フィフィさんのツイートでこのブログを見て、私はこの事件を初めて知った。
あまりにも凄惨でショックであった。
ブログ主は「被害者が忘れられてしまう」という言葉を使っているが、同感である。
また、死刑制度に反対する者の欺瞞にも異議を投げかけている。
時間と犠牲を費やしたのちに裁判官に裁いてもらうのか、それとも、ファーストレスポンダー(第一対峙者)がその場で裁きを下すのか…
普通の良心的な人が強く勇敢にならないと、これからも悪が勝ち続けるのであろう。(たとえ死刑になったとしても、奪った命がある以上勝ちである。)
この関光彦という悪魔のような犯人が最初の犯行(性暴行被害は少女が初めてではない)の時点で対処されていたなら、無垢なる4才児を含む善良なる家族4人はその後の人生も描くことが出来たし、少女も純潔を奪われず悪夢のような残酷な体験をせずに済んだろう。
この悪魔、未成年だから死刑にはならないとタカをくくっていたらしい。
今、アメリカもそうだが、日本も左翼フェミニズムによって、秩序が破壊されて口先だけの“平等”という詐欺が蔓延して、善が悪にされ悪が善になりすます時代だ。
ある芸人が戦争するなら侵略される方がいいみたいな意見を言ったそうだ。完全に悪魔の思う壺。
国家の存亡もままならない日本で、個人の自衛のための武装など、夢のまた夢。
しかし、か弱い女性やお年寄り障害を持つ人こそが、身を守る道具を持ってこそ屈強な悪魔と対等以上に立ち向かえる。
銃で強盗を撃退したおばあちゃんたち
ここで、洗脳されきって飼いならされてしまった我々は、善良な市民と他人を傷つける輩と混同して同列に評価するようになっている。
悪魔が武器を持つのは、持つなと言ってもどうせ聞かないし、その性格からしてそんなもんだろう。だが善良な人は似合わないから持ってはいけない。このトリック。
以前にも引用させていただいたドクペ姉さんのツイートから。
我々の安全をいつまで他者に委ねるつもりか
自分の為ではなく、次の被害者になるかもしれぬ誰かの為に。
護身術も有効だが、実際は男女の力の差はどうしようもない。
女性に転換したトランスジェンダー が、陸上競技もレスリングも皆優勝している。