3学期になって 
いろんな意味で、動き出した次男


ここ1週間くらい
以前のような腹痛が復活し
お休みが続いてて。



 


昨日は、玄関のチャイムが鳴って
いつも 気にかけてくれる女の子が
「これ、バレンタインの・・・」
って言って、ニコッと笑って
かわいい包みを手渡してくれた。






本当に 人ってありがたい






人に傷つき 人に泣いて
人に癒され 人に励まされる

人がいないと 
こんな気持ちも生まれない







ありがとう って
ただ ただ 思っています








長男が起立性調節障害を
発症してからしばらくは、

例えば
まあまあ体調が回復してきたら
今日は行くか休むか、とか




判断するのに 1回思考する
下手すりゃストレスになったり


今思えば、
それって 外側を気にしてた時期
今なら 絶対やらないこと











それがあるから 次男には
あまり多くは言わなくなった・・・







でも、学校へ行く意味は
1回ちゃんと 話をした






その上で、
選択するのは 次男だから






ひとつひとつ
自分で決めるってことが
当たり前にできる自分に
自信を持ってほしいから






自分で「決める」ってことを
意識してる









私は、子供たちの
気持ちを守りながら

いろいろなバランスを取る




















失敗は、
自分の意識が「失敗」と
認めない限り
失敗じゃないって
思っているし

全部、たた 道の途中なだけ
失敗なんてない
って思っているから







誰かと比べることよりも
自分のオリジナリティを
引き出すことに
意識を向けるようになってきたのは
子供たちの不登校のおかげだと
思っています









不登校のカタチも
人それぞれ、理由もそれぞれ
やっぱり正解はないって思うし

ただ、これまでは
多数決の少数派だっただけ

不登校が少数派だから
人と違うって思われるけど
そんなの多数決でしかない

それを 長男と次男を見てて
心底 感じる日々





親の在り方も
本当に人それぞれ
その背景もそれぞれだから

正解はないなって
やっぱり思うから







そうしたら、ますます
「今、どうしたい?」
って 自分に聞くようになった

もちろん  
子供たちにもその姿勢は同じ











不安になると
人は正解を探そうとするし
答え探しを始めるけれど





だけど、答えって
自分にとっての 正解って
外を探してもどこにもない






自分の歩いた道そのものが
ただ 軌跡となって
ただ そこに輝いているだけ





泣いたり笑ったり
怒ったり不安になったり
嬉しくなってまた泣いたり









それが ただ 輝いている

地球の上に生きる命が
ひとつひとつ美しく輝いている






























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