気仙沼の子どもキャンプが縁で出会い、お友達になったミュージシャンのライブに行った。
会場は、「crossing」という名のLive Bar。
「crossing」とは交差点という意味だそう。いろいろな人や音楽が交差する場、とのこと。
ライブのゲストには、福島県のいわき市に住み活動しているミュージシャンの方が。
いわきの話も交えながらのライブを聞きながら思い浮かんだのが、
震災からしばらく(半年くらいか?)の間の、自分のこと。
震災1か月後に気仙沼に初めて行き、2~3週間気仙沼に行っては、東京に帰ってきて1週間~10日間くらい過ごし、また気仙沼へ・・・と、
被災地と、被災していない街とを、短いスパンで往来していたので
そのあまりに対照的な風景や、人の様子、暮らしぶりが、自分の中で交差して、交差しすぎて、グチャグチャになって、整理できず、
すっかり自分自身が「crossing」交差点、それも渋谷駅ハチ公口前交差点状態(笑)、だった。今にして思うと。
何とも言えず緊張して、いろいろ頭で考えて、やたらイライラしていた。
気仙沼から帰った翌日、渋谷のおしゃれなカフェで若い女性とお茶を飲んでいた時、
「私、被災地で直接何かするのは嫌なので、ネットとかで出来る援助がしたいんです!」という、その女性の一言に、やたらむかっ腹を立てたのも、このころだった。
(でも別に、その女性に怒りをぶつけたり、かみついたりはしなかったが)
「crossing」交差点で、自分は右往左往していたなー、と思う。(今も、右往左往している)
ライブはとても素晴らしかった。友人たちも、いわきからのゲストの方も。
音楽も、そこで聞けた話も。そして雰囲気も。
いわきの話を聞きながらも、自分もビールを呑みながら、リラックスできていた。
渋谷駅ハチ公口前交差点状態当時の自分だったら、ビール呑んでリラックスとはいかなかったと思う。
このライブは、東京の人たちと、いわきの人たちが、出会い時を過ごす素敵な「crossing」交差点になったと思う。
せっかくの素敵なライブだったので、スムーズにリラックスして、交差点を渡り切ってしまうのではなく、
やっぱり、交差点では、少しの(沢山の?)右往左往も、してみようと思う。
例えば、自分は、
「人の健康にどれだけ影響を及ぼすか、誰にもはっきりと分かっていない」という意味で、放射能については危険性を考えないといけないのでは、と考えている。
いわきが、福島市や郡山市等などと比較して、線量が低いのは知っているが(自分で行って測ってきたので)、
それでも、東京より高い。(その東京も放射能汚染されていることも、しかり)
その中で、いわきで暮らし続けるということは、どうなのだろうか・・・
と、心の中で考えてはいるのだが、
幼い子供さんとともに、いわきに暮らし続けている、今回のゲストの方と、どういう風に、語り合えるのだろうか・・・
なんてことを考えると、やはり、右往左往してしまう。
別に相手を説得したり、自分の意見の正しさを押し付けたいのではなく。
ただ、もしかしたら、自分の思っていることは、相手にとって心穏やかでないかもしれない。
そういうことも含めて、変に隠したりするのではなく、話しながら、
それでも、互いに仲間だと思えるような、関係を作る術? を持っているのかなあー。
右往左往。(今回は、そういう話をする機会は訪れなかったので、右往左往のまま)
で、最近観た映画。
『おだやかな日常』→ http://www.odayakafilm.com/
原発事故直後の、東京が舞台の映画。
放射能への不安という、穏やかでない状況の中で、異なる想い、考え、立場の人たちの姿。おだやかな日常でいられない人、おだやかな日常と思いこもうとする人。それぞれが孤立してゆく。
この映画の主演女優兼プロデューサーのインタビュー記事を読むと、
その見出しが
「3.11後、この日本で浮き彫りになったもの。それは‘他人の価値観を受け入れない心’かも知れない」
とてもストレートで、仰々しく?、気恥ずかしく聞こえてしまう言葉かもしれないけれど、
でも、渋谷駅ハチ公口前交差点状態当時の事を思い出すと、
分かる気もするなー、とも思える。
再度、
互いにとって、おだやかでない事も含め、仲間と思える関係を作る術を持っているだろうか?
右往左往。