昨日のブログ
思いの丈を書いて 読み返してみて
結局 なにが言いたいんだ??
になってしまっていた。
訳が分かりませんよね
すみません
そんな中でも意味を汲み取っていただき
コメントしてくださった皆様 ありがとうございました。
最近の父は 痛い しんどいばかりで
気持ちの落ち込みも酷く
何処かに気晴らしに行こうと誘っても
「どうせ目が見えないから」と言う
目が見えなくても自然の風を感じたり
音を聞くだけでも気晴らしになるかもよ!
車椅子押すから行ってみようよ!
と言っても
「出るのが めんどくさい」
とベッドで過ごすだけ。
これをかれこれ1年くらい誘ってる。
テレビも見れないからラジオを聴いたり
寝たり 起きて座ったり……
痛かったり しんどかったりすると
「いつまでこの生活が続くんだ」と落ち込んでる
今までもシャントの入れ替えの話が出るたびに
痛い思いをしてまで生きなくてもいい!
もう手術はしない!!
といいながら結局はやってる。
だから今もしんどいながらも生きてる。
抵抗はするけど結局は受け入れて手術してる感じ。
父も葛藤しているのは分かるんだけど
イライラして母にあたったり
看護師さんにキツイ口調で言ったりする話を聞くと
イラッとしてしまう私がいる。
病院からしても めんどくさい年寄りだと思う。
暴言をはいたりすることを聞き
本当に申し訳ない気持ちになる。
この前は
「こんなに痛いことするなら
もう透析にはこん!!」
と看護師さんに怒鳴ったらしい。
そう言いつつ結局は次も行ったのだけれど……。
母にも
「目の見えん気持ちは お前には分からん」とか
「このしんどさは お前には分からんだろうが」とか
父が話しかけて母が聞こえなかったら
(母もだいぶ耳が遠くなってる)
嫌味を言ったり 怒ったりすることもあるそうだ。
母も
それを言うなら
支えようとしている方の気持ちも分からんでしょ?
と言いたくなるのだけれど
余計に火に油を注ぐことになるから我慢しているそう。
そして やはり次女と比べてしまうんだ。
次女は どんなにしんどくても 痛くても 苦しくても
人にあたることはなかった。
どんな時だって。
いつだって。
反対に「迷惑かけてごめんね」「心配かけてごめんね」「ママは大丈夫?」「ママいつもありがとう」
「ママがいるから次女は頑張れるよ」
って言葉をかけてくれていた。
しんどい時も 吐きながらでも
「ありがとう」と「大好き」を言ってくれてた。
だから 余計にイラッとする。
小学2年生だった幼い次女
中学生だった多感な年齢の次女
そして20歳になってからもそれは変わらず
人にあたることなんてなかった。
傍にいる人に対して反対に気遣い感謝してくれてた
どんな時にも「ありがとう」「ごめんね」って
私にも周りの人にも看護師さんにも……
本当に凄いって思う。
そんな凄い次女を誇りにも思う。
なのに父は何なんだ??という気持ちがあるのも
正直な気持ち。
父も
やるせない気持ちを吐き出してしまうんだろう
我慢できないんだろう
年齢もあるから理性というものが少し欠けてきているのかも知れない。
それを、理解しなくてはな……とも思う。
次女と比べてはいけないなとも思う。
そもそも人それぞれなのだから
比べること自体 してはいけないとも思う。
だけど……
駄目だと分かりつつ比べてしまう自分がいる。
最近の父を見ていて
そこまでして生きなくてはいけないのかな?
とも思ってしまう。
最近は「行きたくない!!」と言い
なかなか透析に行く支度もしないそうだ
透析をやめてしまえば 数日〜2週間程度で
亡くなるそう。
だけど しんどくなるから結局はすることを
選んでいる。
本人にしか分からない しんどさ 辛さ
いっぱいいっぱいあると思う。
そんな暴言を時々はいてしまう父だけど
やっぱり大切な父で 生きていてほしいと思う
だけど しんどそうな父を見ていて
生きていてほしいと思うことはエゴのような気もしてるし 楽にしてあげたいなとも思ってしまう。
心も身体も解放してあげたいなとも思う
だけど まだその時期ではないんだろうね
父の学びはなんだろう
周りの家族の学びはなんだろう
そんな事も考える
そんな葛藤もあり 最近のわたしは
次女への想い
父への想い
母への想い
色んな想いが交差したり ぐるんぐるんしたりして
余計に心穏やかではない感じです。
ごめんなさい。
またまた吐き出してしまいました。
このブログは またアメンバーに変更にさせて
いただきます。