市民病院からのカルテが送られて来ました。

これで 市民病院 C病院 亡くなった病院の
3つの病院のカルテが集まりました。

あと2つの病院
大学病院のは事細かく付けていたし
帯状疱疹で入院した病院のは請求しない事にしました。
カルテ自体も もう消えてしまっているのかも
知れません。

市民病院からカルテが届き 
医師のカルテを見て 色んな事がよみがえりました。

最初の耳鳴りから始まった受診の日から
カルテがありました。



念のため受けたMRIから腫瘍がある事がわかり
何が何だかわからぬまま
心が全く付いていけないままに
それでも必死に走り続けてきた あの頃。

色んな事が鮮明に 思い出されてきて

しんどくなったけれど
これだけ頑張ったんだなと思うと
やはりカルテさえも愛しくなりました。

それと同時に あんなに当時辛かったのに
思い出したくないほどに辛かったのに

戻りたい…と思ってしまいました。

次女が居たあの頃に…

まだ希望が持てたあの頃に……

生きていたあの頃に。


だけど戻ってしまうと 
次女は苦しい想い
痛い想いをしてしまうから
やっぱり戻ったら駄目だ 絶対に駄目だ

今は魂の存在になって
痛い所も苦しいところもなくて
凄く軽やかで 幸せに過ごしているんだもんね

カルテには15年前の病気が分かった時のこと
手術 その後の経過

そして2021年に
次女が心肺停止になってしまった前日に
市民病院に行き 誤嚥性肺炎を起こしていると
言われたのですが

その日のことや

次女が歩けなくなってから 訪問医にも
月に一度自宅に来てもらっていたのですが
医師同士のやり取りなども書いてあって
知らなかった事も書いてあって……

とても胸がぎゅっとなりました。

そうだったんだ……

た思うことも書いてあって悲しい

やはりカルテを見るということは
かなりのエネルギーを消費します。

メンタルえぐられます。

それでも 私は次女の全てを知っておきたい

次女に関することは いくら苦しくなろうとも
知っておきたいと言う気持ちが強くて
見ずにはいられませんでした。


3つの病院のカルテ開示を請求して
思ったことは
それぞれの病院で全くカルテの付け方
出し方が違うんだなぁ~ってこと。

亡くなった病院のカルテが一番 
素人からすると 見えやすかったです。

哀しいカルテなのだけれど……。


カルテ開示について 長々と書いてしまいました。

長らくお付き合いしてくださり
読んでくださり ありがとうございました。

もし これからカルテ開示をしようと思っている方がいらっしゃったら
参考になると幸いです。

そしてご質問などあれば
私に分かることであればお返事させていただきます。