「愛」と書いて
「かなし」と読む事を
数年前にある方のブログで知った時
胸の下の方に「愛(かなし)」と云う「音」が
スーッと落ちていった
「合(アイ)」は何となく分かる
しかしながら
「愛(あい)」は昔からよく分からなかった
「愛(あい)」は
キンキンした「音」でしか聴こえない
「愛(あい)」は何故だか受け付けない
あぁ~なんて「愛」の無い私なのだろう、、
そう思って生きていた
ところが、
「愛(かなし)」は心の底まで染みていった
「愛(あい)」を
「愛(かなし)」と呼ぶのなら分かる!
父の「かなし」母の「かなし」
脈々と受け継がれた
血の筋に息づく滞ってしまった想い残し
「祖」の魂の諸々の「かなし」、、、
「愛(あい)」が「表」ならば
「愛(かなし)」は「裏」だ
日本語の中にある単語の一つ一つが
「表裏一体」となっていて心が震える
「店じまいの閉店セール」が始まった様に
急速に消滅のサイクルに入った
現地球の世界線、、、
本当は既に無い地球の「記憶」の中に我々は
「意識」を置いているだけなのかもしれない
いつか消えてゆく灯火の
「気奥(きおく)」の裏側に
「かなし」だけを持って
想いを残さずに旅立てれば
さいわいかな、、、
友鯉(ゆうり)
(*_ _)✩彡
「のこされし者のうた」浜田真理子...