主人が入院してから、

自分の気持ちを見つめながら、
ここまで3つの記事を書いてきました。

最初から、
こんなことを書こうと
全部決めていたわけではありません。

書きながら、

「あぁ、私はこんなふうに感じていたんだ。」

と気づいたり。

書いたものを読み返して、

「そういえば、こんなことも思ってた。」

と、また違う気持ちが出てきたり。

気づけば、
この4話を書くことそのものが、
私自身の気持ちを振り返る時間になっていました。

そして今、
改めて思うことがあります。

私はたぶん、
これからも悩みます。

主人のことで、
また心が揺れることもあると思います。

不安になる日も、
腹が立つ日も、
寂しくなる日もある。

仕事や副業のことで、
「どうしよう。」
と立ち止まることもあるだろうし、

また、

「ちゃんとしなきゃ。」
「頑張らなきゃ。」

と、自分を追い立ててしまう日もあると思います。

以前の私は、
そんな自分を見るたびに、

「また戻ってしまった。」

と思っていました。

せっかく気づいたのに。
せっかく少し楽になれたのに。
また同じことで悩んでる。

そう思うと、
自分が何も変わっていないように感じて、
余計に落ち込むこともありました。

でも最近、
少しだけ違う見方ができるようになってきた気がします。

悩まなくなることが、
変わることじゃないのかもしれない。

揺れなくなることが、
自分軸を持つことでもないのかもしれない。

大切なのは、
揺れた時に、
少しずつ自分のところへ
戻ってこられることなのかもしれない。

「あ、私いま無理してるな。」
「本当は嫌だったのかも。」
「寂しかったんだね。」
「私は本当は、どうしたいんだろう。」

そんなふうに、
また自分に聞いてみる。

すぐに答えが出なくても、

「今は分からない。」
「そんな気がする。」

くらいで置いておく。

そして、
少し時間が経ってから、
また聞いてみる。

そうやって、
何度でも自分のところへ戻ってくればいい。

今は、
そんなふうに思っています。

以前の私は、
何かが起こると、
自分がどう感じているかより先に、

「どうしたらいい結果になるんだろう。」
「私はどうすればいいんだろう。」

と考えていました。

そして時には、

「この出来事から、
私は何に気づかなきゃいけないんだろう。」

「私の何を変えた方がいいんだろう。」

と、どんどん深く掘ってしまうこともありました。

もちろん、
そこから気づけたことも
たくさんあります。

でも私は、
掘れば掘るほど苦しくなって、
いつの間にか、
自分のダメなところを探し始めてしまうこともある。

それにも少しずつ、
気づくようになりました。

だから最近は、
少し考えても分からなかったら、

「今は分からない。」

「もし気づくことがあるなら、
そのうちまた教えて。」

そんなふうに、
いったん横に置くこともあります。

何でも今すぐ、
意味を見つけなくてもいい。

全部分かろうとしなくてもいい。

必要なら、
また何かを感じる時がくるのかもしれない。

その時に、
また考えればいい。

そして、
自分の気持ちや本音についても、
少しずつ変わってきたことがあります。

以前は、
不安や寂しさ、
「本当はこうしたい。」
という気持ちを見るより、

起きていることを
どうすればいい方向へ持っていけるのか。

そちらを考えることの方が
多かったように思います。

でも今は、

「私は本当はこう感じてる。」

「本当は、こうなったら嬉しい。」

そんな自分の気持ちも、
少しずつ認められるようになってきました。

もちろん、

「こうだったらいいな。」

という希望はあります。

なくなったどころか、
その未来を想像して、

「こうなったら嬉しいなぁ。」

と妄想していることもあります。

でも最近は、

「こうなったらいいな」と、
「絶対こうならなきゃ」は、
違うのかもしれない。

そんなふうにも思うようになりました。

希望は持っていていい。
楽しみにしていてもいい。

でも、
その通りにならなかった未来まで、
今から心配して、
何とかしようとしなくてもいい。

「私は、こうだったら嬉しい。」

今は、
それだけ分かっていればいい。

そして、
違う結果になったら、

その時は、
その時の私とまた考えよう。

どうでもよくなったわけでも、
諦めたわけでもありません。

今だって、
心配することはあります。

それでも、

「どっちになっても、
その時はその時かな。」

と、
ほんの少しだけ思える時が出てきました。

本当に、
ほんの少しだけですが…。

以前の私は、
一度分かったことは、
もうできるようにならなくちゃいけないような

気がしていました。

気づいたのに、
また同じことをする自分。

学んだのに、
また振り回される自分。

そんな自分を見ると、

「まだダメなんだ。」

と思っていました。

でも、
この4話を書きながら、
少し違うような気がしてきました。

私はこれまで、
同じところを何度も
グルグルしてきたけれど、

本当は、
まったく同じ場所に
戻っていたわけではなかったのかもしれない。

前より少し早く、
自分の気持ちに気づけるようになった。

以前なら何日も、
何週間も引きずっていたことから、
少し早く戻れる時も出てきた。

そして、
戻るたびに、
前には知らなかった自分を
ひとつ知ることもある。

それなら、
グルグルすることも、
全部が無駄だったわけじゃない。

もしかしたら私は、
悩まない自分になるためではなくて、
自分に戻ってこられる道を、
何度も歩いていたのかもしれません。

そして、
今回の4話を書いていて、
もうひとつ感じたことがあります。

私は、
誰かに届けるために
この記事を書いているつもりでした。

同じように、
夫婦関係で悩んでいる人。

自分の気持ちが分からなくなっている人。

頑張りすぎて、
自分を置いていってしまう人。

そんな誰かが読んで、
少しだけホッとできたらいいな。

そんなふうに思っていました。

でも、
書いているうちに、
なんだか違ってきました。

「あれ?

これ、私のための記事なのかも」

そんな気がしてきたんです。

書いた記事を、
自分でも何度も読み返しました。

そして、
読むたびに、
また何かを感じる。

「そうだった。」

「私はこう思ってたんだった。」

「これ、まだ自分の中に馴染んでないな」

そんなことを感じながら、
少しずつ、
自分の中に落とし込んでいく。

この記事は、
未来の私がまた迷った時にも、
戻ってこられる場所になるのかもしれない。

そう思ったら、
誰かに届かなかったとしても、
それはそれでいいような気がしました。

もちろん、
誰かに届いたら嬉しい。

同じように悩んでいる誰かが、

「私だけじゃないんだ。」

と思ってくれたら、
もっと嬉しい。

でも、

まずは私に届いている。

それでいい。

そんなふうに思えている自分を、
私は今、
案外、嫌いじゃありません。

私はまだ、
自分のことを全部好きになれたわけではありません。

嫌いなところも、
直したいところも、
まだまだあります。

それでも、

「案外、嫌いじゃない。」

と思える時がある。

今は、
それくらいでいいのかもしれません。

主人が入院して、
いろんな気持ちが出てきて。

この4話を書きながら、
私は何度も
自分の気持ちを振り返りました。

そして今、

「私は、こうだったら嬉しい。」

そう思う自分の気持ちは、
ちゃんと大切にしていたいと思っています。

こうなったらいいなぁ、と
想像することもあります。

でも、
その通りになるかどうかまで、
今の私が背負わなくてもいい。

違う未来になったら、
その時はその時。

その時の私と、
また考えればいい。

これから主人がどうなるのかも、
私自身がどうなっていくのかも、
まだ分かりません。

でも今は、
分からない未来を
何とかしようとするより、

今の私が何を感じて、
何を望んでいるのか。

そこを大切にしていたい。

そして未来のことは、
未来の私にも
少し任せてみようと思います。

そう考えると、

前よりほんの少し、
心が軽くなってきたような気がします。

本当に、
少しずつだけど。

自分の気持ちや感情を
大切にしていこうとしている。

私は今、
その途中なんだと思います。

そして最後もやっぱり、

「そんな気がする。」

なんですけど…🍀

主人が入院してから、

自分の中に出てくる気持ちを、
以前より少しだけ、
そのまま見られるようになってきた気がします。

前回の記事では、

「そんな気がする。」

くらいでいいのかもしれない。

そんなことを書きました。

答えを急がない。
意味を探しすぎない。
出てきた気持ちを、
すぐにどうにかしようとしない。

そうしているうちに、
もうひとつ、
自分の中に出てきた言葉があります。

「私は、私を育てていきたい。」

以前の私は、
何かがうまくいかなくなると、
よく、

「変わらなきゃ。」

と思っていました。

もっと自分軸を持たなきゃ。
ちゃんと境界線を引けるようにならなきゃ。
もっと前向きにならなきゃ。
もっと行動できる私にならなきゃ。

夫婦関係でも、
仕事でも、
副業でも、
自分自身のことでも。

何かにつまずくたびに、

「今のままじゃダメ。」
「ここを変えなきゃ。」

そんなふうに、
今の自分を修正しようとしていたように思います。

もちろん、
変わりたいと思うことが
悪いわけではありません。

私も今だって、
こうなれたらいいなと思うことは
たくさんあります。

でも最近、

「変わらなきゃ。」

と思った瞬間、
今の自分をどこかに置いて、
理想の自分に向かって
走り出そうとしていたことに気づきました。

疲れている私も。
迷っている私も。
寂しい私も。
何もしたくない私も。

「それじゃダメ。」

とはっきり否定していたわけではないけれど、
どこかで、
早くそこから抜け出そうとしていた。

そんな気がします。

でも、
ここまで書いていて、
ひとつ大切なことがあるなと思いました。

私は最初から、
今の自分の気持ちを
こんなふうに感じられたわけではありません。

むしろ以前は、
自分が何を感じているのか、
自分でもよく分からないことが
たくさんありました。

だから私は、
過去にあった出来事を振り返りながら、
何度も自分に聞いてきました。

「あの時、本当はどう思っていたんだろう。」

「本当は嫌だった?」

「寂しかった?」

「我慢していたのかな。」

その時には気づけなかった気持ちを、
あとになって、
ひとつずつ拾い直すように。

そして、
少しずつ自分の気持ちが見えてきたら、
もうひとつ聞いていました。

「じゃあ、本当はどうしたかったんだろう。」

「本当は断りたかった。」
「休みたかった。」
「分かってほしかった。」
「こうしてほしかった。」

その時には言えなかったこと。
自分でも気づけなかった望み。

あとになって初めて、

「あぁ、私は本当はこうしたかったんだ。」

と分かることもありました。

そして、もうひとつ。

今の自分から過去を振り返ると、

「なんであの時、そうしなかったんだろう。」
「もっとこうすればよかったのに。」

と思うこともあります。

でも、
そのたびに思うようにしてきました。

「あの時の私は、それが一番いいと思って頑張っていたんだよね。」

今だから分かることを使って、
あの時の自分を責めなくてもいい。

我慢することしかできなかった時も。
頑張り続けることしかできなかった時も。

あの時の私は、
あの時の私が持っていたものの中で、
何とかしようと、
一生懸命だったんだと思います。

だから、

「あの時も頑張ってたんだよね。」

「ありがとう、私。」

そんなふうに、
過去の自分に言葉をかけることもあります。

「本当は、どう感じていた?」

「本当は、どうしたかった?」

そして、

「それでも、あの時は頑張ってたんだよね。」

自分の気持ちを知って。
本当の望みを知って。
その時の自分まで否定しない。

振り返ると私は、
そんなことを何度も繰り返してきたように思います。

もちろん、
過去のことを全部理解できたわけでも、
すべて整理できたわけでもありません。

今でも、

「あれは何だったんだろう。」

と思うことはあります。

でも、
過去の自分のところへ何度も戻って、
その時には気づけなかった気持ちを
少しずつ拾ってきたからこそ、

今、
何かが起きた時にも、

「私は今、どう感じているんだろう。」

と、自分に目を向けられるようになってきたのかもしれません。

過去を全部整理してから、
今を生きなきゃいけない。

そういうことではなくて。

今はまだ分からないことが、
もっと先になって分かることがあってもいい。

その時にまた、
自分に聞いてあげればいい。

そう思えるようになったことも、
私にとっては大きな変化でした。

そして、
そんなふうに考えてみると、

「私を育てる。」

という言葉が、
よりしっくりくるようになりました。

育てるって、
今いる自分を消して、
違う自分になることじゃない。

今の自分をここに置いたまま、
少しずつ知っていくこと。

そして時には、
過去に置いてきてしまった自分の気持ちも、
迎えに行ってあげること。

「今日は疲れてるんだね。」
「本当は嫌だったんだね。」
「寂しかったんだね。」
「今はまだ分からないんだね。」

そんな自分も置いていかずに、

「じゃあ、今日はどうしようか。」

と一緒に考えていく。

そんな感じなのかもしれません。

私はこれまで、
同じところを何度も
グルグルしてきました。

「また同じことで悩んでる。」
「何も変わってない。」

そう思って、
落ち込んだこともあります。

でも今振り返ると、
まったく同じ場所を
回っていたわけではないのかもしれません。

同じことで悩んでも、
前より少し早く、

「あ、私いま無理してるかも。」

と気づけたり。

落ち込んでも、
以前より少しだけ早く、
自分のところへ戻ってこられたり。

答えが出なくても、

「今は分からない。」

と言えるようになったり。

大きく変わったようには見えなくても、
少しずつ、
私の中に育っていたものがあった。

そんな気がしています。

主人のことも、
まだ心配です。

これからどうなるのかも、
分かりません。

私自身の生活だって、
整っているとは言えません。

だから、

「私は変わりました。」

なんて、とても言えない…。

今だって揺れるし、
迷うし、
止まることもある。

でも、
それでいいのかもしれない。

変わったか、
変わっていないか。

できたか、
できていないか。

そんなふうに自分を判定するより、

「今日は、私の何を知れただろう。」

そんなふうに、
自分を見てあげたいと思うようになりました。

変わろうとするのではなく、
今の私から始める。

急いで完成させようとせず、
少しずつ、

私を知って、
私と付き合って、
私を育てていく。

そして気づいた時に、

「あれ?
前よりちょっと楽になってるかも🍀」

そのくらいでいい。

私は今、
変わろうとしているというより、

「私を育てようとしている。」

焦らず。
急がず。

過去の私も、
今の私も、
置いていかないように。

これからも、
そんなふうに自分と付き合っていけたらと思っています🍀

前回の記事で、

主人が入院して初めて、

「私は、気にしないように頑張っていたのかもしれない。」

そんな自分の気持ちに気づいたことを書きました。

「寂しい。」

「不安。」

「なんだか落ち着かない。」

今までは、そんな気持ちが出てくると、

「大丈夫。」

「私は私。」

そう言い聞かせて、前を向こうとしていた気がします。

でも最近、

自分の中でよく出てくる言葉があります。

「そんな気がする。」

最初は、この言葉を少し曖昧に感じていました。

「そう思う」でもなく、

「そうじゃない」でもない。

なんだか、はっきりしない。

でも今は、

この曖昧さが、ちょうどいいような気がしています。

たとえば、

「私は本当は寂しかった気がする。」

「思っていた以上に、主人のことを気にしていた気がする。」

「『私は私』って、少し頑張りすぎていた気がする。」

今の私には、

それくらいがちょうどいい。

無理に、

「私は寂しかったんだ。」

と決めなくてもいいし、

「もう主人のことは気にしない。」

と決めなくてもいい。

今の私は、

「そんな気がする。」

それだけでいいのかもしれません。

以前の私は、

自分の気持ちにも、

どこかで「正解」を求めていたように思います。

これは依存なの?

これは執着なの?

ちゃんと境界線を引けている?

私は前に進めている?

そして、

「どうして私は、こう感じるんだろう。」

「この気持ちには、どんな意味があるんだろう。」

そんなことも、たくさん考えていました。

どうして、そんなに答えを探していたんだろう。

今振り返ると、

自分の気持ちをそのまま認めてしまうことが、

少し怖かったのかもしれません。

「もう疲れた。」

「何もしたくない。」

「本当は嫌なのかもしれない。」

そんな気持ちを認めてしまったら、

そのまま動けなくなってしまうような。

全部を諦めてしまうような。

そんな怖さが、

どこかにあった気がします。

だから私は、

出てきた気持ちをただ感じるより先に、

「どうして、こう思うんだろう。」

「じゃあ、どうしたらいい?」

と意味を探して、

また動ける自分になろうとしていたのかもしれません。

時には、

「この経験にも意味がある。」

「ここを乗り越えたら、きっと変われる。」

そんなふうに、

頑張るための理由を探していたこともありました。

そうしないと、

自分を保てないような気がして。

でも、その頃は、

そんなことをしていることにさえ、

気づいていませんでした。

無理をしているつもりもなかったし、

それが私にとって、

自分を保つ方法だったのかもしれません。

自分のことを知りたくて、

たくさん考えて、

たくさん学んできました。

もちろん、

学んだからこそ気づけたことも、

たくさんあります。

でも、

自分の気持ちは、

いつも綺麗に名前をつけたり、

意味を見つけたりできるものではないのかもしれません。

寂しいけれど、

少しホッとしている。

心配だけれど、

離れていたい。

主人を大切に思う気持ちもあるけれど、

自分の人生も大切にしたい。

どちらかひとつに決めなくても、

いくつもの気持ちが同時にあってもいい。

そんなふうに思えるようになってきました。

だから最近は、

何かを感じた時、

すぐに答えを出そうとするのではなく、

「私は今、そう感じている気がするんだな。」

と、一度そこに置いてみる。

それだけ。

そこに無理やり意味をつけなくてもいい。

前向きな意味に変えなくてもいい。

頑張る理由を探さなくてもいい。

「そんな気がする。」

そのくらい軽く受け止めてみる。

不思議なのですが、

そうするようになってから、

前より少し楽になった気がします。

そして、

「動かなきゃ。」

「頑張らなきゃ。」

と、自分を奮い立たせていた頃より、

逆に自然に動けるようになってきた気もしています。

気持ちを認めたら、

動けなくなると思っていたのに。

もしかしたら、

気持ちを認めることが私を止めるのではなくて、

その気持ちをどうにかしようと、

ずっと頑張り続けることの方が、

私を疲れさせていたのかもしれません。

……そんな気がします🍀

明日になったら、

また違うことを感じるかもしれない。

それでもいい。

今日の私が感じていることも、

明日の私が感じることも、

どちらも、その時の私。

「そんな気がする。」

今の私にとってこの言葉は、

曖昧なまま逃げるための言葉ではなく、

自分の本音を急かさず、

そっと待ってあげるための言葉になってきました。

焦らず。

決めつけず。

すぐに答えを出そうとせず。

「そんな気がする。」

そのくらいのやさしさで、

これからも自分の声を聞いていけたらと思っています🍀

先日、主人が入院しました。

アルコール依存症と鬱で、今回で4回目です。

入院当日は、家で何度も倒れ、意識を失う場面もありました。

救急車を呼んだ方がいいのか迷うほどの状態で、正直、とても怖かったです。

それでも意識が戻り、そのまま病院へ向かい、無事に入院することができました。


その日は、

「今日、入院できて本当に良かった。」

その気持ちが一番大きかったです。

主人が入院すると、これまではいつも、

正直に言うと、

「解放された。」

そう思っていました。

入院している間だけは、
少しだけ自由になれる。

毎日、

「今日は大丈夫かな。」

「また倒れていないかな。」

そんなふうに主人の体調を気にする時間から少し離れて、自分のペースで過ごせる。


だから、

「今しかない。」

「生活を立て直さなきゃ。」

「副業も頑張らなきゃ。」

と、自分を奮い立たせていました。

でも今回は、少し違いました。

まず最初に浮かんできたのは、

「寂しい。」

そして、

「少し休もう。」

そんな気持ちでした。


主人が入院して少し時間が経った頃、自分でも意外な感覚に気づきました。

なんだか落ち着かない。

心がザワザワする。

私はずっと、

「主人は主人。私は私。」

そう思えるようになってきたと思っていました。

主人のことも、以前ほど気にならなくなってきた。

そう思っていたんです。


でも、本当は少し違ったのかもしれません。

私は、

「気にしないように頑張っていた」

だけだったのかもしれない。

主人を心配する気持ちも、

これからどうなるんだろうという不安も、

きっとたくさん抱えたまま、

その気持ちに気づかないふりをして、

見ないようにして、

「私は私。」

そう言い聞かせていたんだと思います。


だから主人が入院して、少し肩の力が抜けた時、

安心したはずなのに、

心の奥に押し込めていたものが、

ザワザワと顔を出したのかもしれません。


以前の私なら、

この感情にも気づかないふりをしていたと思います。

寂しさも、

不安も、

「大丈夫。」

そう言って、自分を奮い立たせていました。


でも今回は、

「あぁ、私は今、こんなふうに感じているんだ。」

そう思えたんです。


だから今回は、

この気持ちを無視せずに、

ちゃんと感じてあげようと思っています。

力を入れて前向きになろうとするのでもなく、

見ないふりをするのでもなく、

今の私が感じていることを、

そのまま受け止めてみようと思っています。

「寂しい。」

「不安。」

「なんだか落ち着かない。」

そんな気持ちも、

今の私の大切な本音。

焦らずに。

急がずに。

これからは、

自分の感情も置いていかないように。

少しずつ、

私自身を育てていきたいと思っています。



無料タイプ別診断モニターの募集を

無事に終了いたしました🍀


ご応募くださった皆様、
本当にありがとうございました。


お一人おひとりと向き合いながら

鑑定書を作成させていただき、
私自身もたくさんの学びと気づきを

いただきました。


「もっと分かりやすく伝えたい」
「前に進むきっかけになる鑑定を届けたい」

という気持ちがさらに強くなりました🍀


いただいたご感想や学びを大切にしながら、
これからも少しずつ鑑定を育てていきたいと思います。


この度ご縁をいただいた皆様、
そしていつも読んでくださる皆様に、
心より感謝申し上げます✨


本当にありがとうございました🍀