今月お義父さんが亡くなった。
5歳のうちの子にもその事実は何となくわかっていて、通夜葬儀のときも泣きそうになったり、かと思えばいとこたちと遊んでケロッとしたりと忙しそうだった。
そして、翌日からのお家のごっこ遊びに変化があった。
火葬に入るシーンだったり、天国に行くというシナリオが増えた。
保育園に行く時も空に向かってじーじに挨拶をしたり、お仏壇の仏さまを指差してあそこに行ったんじゃろ?という。
亡くなるというのは無くなるんじゃなくて、日常に融けていくことだと感じる。
きっとこのごっこ遊びも終わりが来る。終わりがきた時が日常に融けこんだ時なんだと思う。
私たちも四十九日とか法事があるが、それは送る行為じゃない気がする。「みえないけれどいる」という感覚になるための、大切な時間なのだろう。
天国行きの電車は公文教材のおもちゃ。天国のじーじはレゴのサンタさん。さて、何話まで話があるだろうか。多分完結しない間に、新しいシナリオになるのだろう。