1995年(平成7年)1月17日午前5時46分
淡路島北部を震源としたマグニチュード7.3の大地震。
まだ、夜も明けきらず、
暗闇の中,
長く大きな揺れ、
家財の倒れる音,
食器の割れる音
何が起こった?
飛行機✈️でも近所に落ちた?
北朝鮮🇰🇵からテポドンが撃ち込まれた?
僅かな時間にいろんなことが頭をよぎった。
テレビ📺をつけると、地震のニュース。
刻々と伝えられる各地の惨状。
私の生まれ育った街,兵庫がえらい事になっている
住宅業界に入って11年目
惨状となった神戸,西宮でも多くのお客様の家を建ててました。
大丈夫だろうか?
ここまでの揺れや火災になっていないだろうか?
気になるにも現地に行く術もなく、自宅から電話するも繋がらず。
夜になり一人のお客様から連絡が。
当時は携帯もなく、固定電話が頼り。
建てていただいたお客様とプライベート年賀状のやり取りをしていたので、連絡をいただけた。
「無事やで!建築中,文句言ってきたとなりの家がうちに寄りかかってるけど、大丈夫やで。
しっかりした建物ですありがとう❗️」
ホツとした瞬間でした。
翌18日は知り合いに原付を借り、神戸,西宮へ。
お客様宅を数件周りましたが、建てさせていただいたお家🏠には被災し建物が倒壊した知り合いや親族の避難所的に使われてました。
私が販売していた建物は2✖️4工法。
耐震性に優れてますが、関西では当時「耐震性」はお客様にはそんなに被爆物ではありませんでした。
「関西は地震はそんなに心配ないから」
それが展示場,商談時によくお客様から言われた言葉でしたが。
阪神大震災を経験して
家はお客様の命,財産、そして思い出を守る!
そんな想いを持ち、あれから28年になりますが
愚直にこの仕事に取り組んでいます。
当時もいろんな規制はありましたが,いい加減な家も多かった。
建てて間がない家も全壊や半壊になったのを見たり聞いたりしました。
残念な思いです。
同じ業界なので。
これからもお家が果たすべき役割り🏠
お家のあるべき姿を追い求めて,情報発信をしたいと思っています。
あなたにとっていい家創りの一助になれば幸いです。