私の生い立ち①人生いろいろ | 元也のブログ

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気儘に更新しています
不定期で申し訳ありません(^^;



3月にアメンバー限定で書いたブログです。


ごめんなさい。イブの写真はありません。



私が生まれた家は市場の前に在り

平日は毎朝

行商人が早朝から通りに様々な露店を並べ

がまの油売り(日本刀で二の腕を薄く切り

がまの油を塗って止血する)

の実演を見ながら

幼稚園に通い小学2年まで

平和に過ごしましたが

依怙贔屓する担任教師を好きになれず

徹底して反抗した為に

小学校3年から6年生までの

3年間

担任教師にほぼ毎日のように

教室で張り手でビンタされ

硬い木製の三角定規で頭を叩かれ

廊下でバケツを持ち立たされ

放課後に祖母が迎えに来る

日々を過ごしました。

にも関わらず薄情な

両親は学校に一切抗議もせず

私の養育放棄をしたので

見るに見かねた祖父が

知古の住職に頼み





中学は京都妙心寺内の某塔頭寺院に

預けられ剃髪し坊主頭で

寺院地区の中学校に衣を着た和尚に

連れられ全校生徒から異様な目で見られながら

4月の入学式に赴きました。

同級生に塔頭寺院のご子息が居ましたが

彼らに親の住職は同伴せず

優しそうな母親と参加し長髪でした。


[寺院]

当時、私の預けられた寺院には

花園高校と花園大学に通う

地方寺院のご子息と在家のご子息が5人住み

中学生は私だけでした。


全員で勤める朝晩の読経と掃除以外の

典座、風呂、門番を6人で一週間毎の

輪番制でした。


[風呂]

風呂は薪を焚いて沸かし

底に板を敷いて入る五右衛門風呂で

薪での火加減が難しく毎回

熱すぎる!と怒鳴られ

和尚が外出時は帰るまで誰も入浴出来ず

度々深夜になりました。


[典座 食事当番]

寺院の裏の畑で肥(人糞)だけで育てた

大根、胡瓜、里芋、ほうれん草、小松菜等

菜食の野菜だけで出汁も化学調味料も

使えない精進料理を誰も教えてくれず

祖母が書いて持たせてくれたメモを見ながら

中学生が一生懸命作っても

毎回、遅い!不味い!と怒鳴られ。


檀家さんから戴く

古古米3割と割れた麦7割の一升の麦飯も

古古米3割の薄粥も上手く炊けず

飯も満足に炊けんか!と怒鳴られました。


[作務 掃除]

京都盆地の冬場の水拭き掃除は辛く

広い本堂や書院の冷たい床を

水拭きして直ぐに凍る寒さに

手はアカギレて血が滲んでも

当然ハンドクリームなどは

一切使わせてもらえず

痛くて雑巾を強く絞れず

床を水浸しにすれば

お前はガサツだ!拭き直せ!と怒鳴られ。


手が痛くて擦る仕草を見られる度に

アカギレぐらい我慢出来んのか!と怒鳴られ。


[開門]

開門の当番は

夏場は5時で冬場は5時半ですが

毎晩9時の就寝まで寺院の業務が終わらず

9時過ぎから宿題と

読経回向や鐘木魚の練習で

当然早朝に起床など出来ず

お前は何時まで寝とるんだ!と

大声で怒鳴る和尚の罵声で

目覚める始末。


[衣類]

花園高校の先輩が着古し肘と膝が擦りきれ

破れた穴をパッチで塞いだ

学生服とジャージを着せられ

法事以外は足袋など履かせてもらえず

年中裸足でボロボロの草履を履き

寺院外に使いに行かされる時は

惨めなボロボロのジャージ姿を同級生に

見られるのが恥ずかしくて

同級生の姿を見つける度に

電柱に隠れながら歩きました。



京都は同和地区があり

当時は私の通った中学にも

傾いた壁が倒壊しないように

壁を柱で支えた貧しい長屋住まいの

ご子息が多かったのですが

身の上話しもしていないのに

彼らからも

親に捨てられ寺に預けられた

可哀想な小僧さんがいると同情されるくらい

惨めな学生服と私服姿でした。



[昼飯]

中学校は給食が無く

各自が親に作ってもらった

私から見れば

貧しい子供達でも

一品でも肉か魚の入った

美味しそうな弁当を開けるのに

私は梅干し1つだけの海苔も無い

塩おにぎりが毎日の昼飯でした。



[休日]


日曜も法事で作法が違うと!大声で怒鳴られ

東司 便所の肥え汲み

風呂を焚く薪割りや鍬で畑を耕す重労働で

一生懸命頑張っても

高校生や大学生のように上手く出来ず

毎回和尚や先輩から

お前はガサツだ!と怒鳴られ

終日拘束されました。



学校では

世間から虐げられ差別されている

同和の同級生も

教師も凄く優しく接してくれるのに


毎日寺院に戻ると

怒鳴られ罵声を浴びて

何度も自殺して楽になりたいと

思う程に哀しく辛く

養育放棄した親を恨んで

薄い木綿の煎餅布団の中で

一人で泣いて過ごしました。



[父親]


私が小学一年生の頃から

素面の顔を見た事がありませんでした。

毎晩5時頃になると

ウイスキーをストレートで飲み始め

一晩でボトル一本を空けてました。


酔うと柳ヶ瀬の繁華街に飲酒運転で繰り出し

家庭を顧みず深夜まで

キャバレー、スナック、クラブ、お座敷遊びに

興じていました。


飲酒している父親は温厚でしたが

父親を批判し一度機嫌を損ねると

人前でも酷い言葉で怒鳴り罵声を浴びせて

烈火の如く激昂する

精神起伏の激しい人格に豹変する

アルコール中毒でした(><)


まだ後編がありますが

いずれ🆙させて頂きます。

お見苦しいブログを

最後まで読んで頂き

ありがとうございましたm(__)m

元也 三拝