本日、公休の私はスーパーでアンコウと鶏の肉を買い、ブイヨンベースの鍋を作りました。
ええ、独り鍋です。寂しくないです本当です。
てなことは置いといて、読書は相変わらずあまり進みませんが、読んではいます。
「論語 講談社文芸文庫」
いつか読もう読もうと思いつつも手が出なかった本。読んだ結果は、出来れば働く前に読みたかった。というか、社会に出る前に読みたかったと思わせられました。短い文章の中に人間の真理を付いているようなそんな印象を受けました。だから、今度は別の訳者で論語を読んでみようと思います。で、できるなら、これをきっかけに中国の古典に手を伸ばしてみたいと思います。それだけ印象深く味わい深い本です。次に読んだときは内容も加えます。
「砂漠の思想 阿部公房」
これは、阿部公房のエッセイ集。読んで思ったのはこの人多分、恐ろしく頭がいいんだろうな、んでもって凄く探求心がるんだろうな、という感じ。
内容は多岐にわたっていて、この本自体にテーマがあるというものではない。けれど、多岐にわたっているからこそ、作者の思考の経路が分かってくる。自分で考え、その考えを追う所はある種スリリングですらある。そしてその追う姿勢というのは、翻って自分自身の限界を超えようとするかのように探求しているように思う。多岐にわたるテーマを追っているのに、それがまるで自分自信を探求しているような、そんな印象を受けた本でした。
「薔薇の輪 クリスチアナ・ブランド」
最近、探偵小説から遠ざかっていたので久々のガッツリ探偵小説。しかも本邦初訳。
私はこの作者、ブランドが大好きで、最初に読んだ本は「招かれざる客たちのビュッフェ」という短編集だった。衝撃をうけたものでした。ま、それはさておき感想は。
ある女優とその娘、その娘は生まれた時に障害を受けていた。その娘と母のやりとりを新聞で連載し、人気となり、女優自身も同時にスターとなっていったのだが、その娘の父がアメリカのギャングであり、捕まっていたのだが、心臓病で特赦を受け、保釈され、娘に会いたいと言ってきた。そこから物語は進んでいく。
ブランドの特徴としては、徹底追求型。また、仮説も徹底追及されるので、そのたびにこれ以外、回答はないと思ってもすぐに覆される。恐ろしく頭が良く、また、(いい意味で)意地悪な作家なのだ。まぁ、それがたまらないのだが。今回もその頭の良さがいかんなく発揮されている。そして論理のアクロバットも抜群だった。
ああ、やはり探偵小説はいいな。
ではまた、新しい本にとりかかります。
前回から読んだ本
黒い壁の秘密 グリン・カー
シェイクスピア俳優であり、座長でもあるアバークロンビー・リューカーは「リチャード三世」の公演を終え、湖水地方の小村へ赴いた。そこには近年ユースホステルが出来、山や岩場に出かける人たちに利用されているという。そのホステルの近くのパブで数か月前にクライミング中に無くなったという若者の話を聞いている途中消息を絶った友人を探してほしいと男女が訪れる。
久方振りにずっしりとした探偵小説を読ませていただいた。場所が場所だけに雄大な自然を舞台に物語は繰り広げられる。イギリスの探偵小説だな~という感じ。ただ、読者は選ぶんだろうとも感じる。しっかりとしたというのは、描写も丁寧で、人物やその人間関係も丁寧に描き出されるため、その描写をじっくりと読むことが出来るかどうかにかかってくる。そして、その中にも伏線は張り巡らされているため、これを楽しく読めるかにかかってくるんだろうなと感じた。
個人的には、うん、上手い‼ と唸ったのだけど。
体育館の殺人 青崎有吾
帯には「❝平成のエラリー・クイーン❞衝撃のデビュー」とあった。これは買わねば‼ そして読まねば‼ で、手に取った本。
高校の体育館で男性学生が何者かに刺殺された。周りは放課直後で激しい雨が降り密室状態だった。
いやね、これは久しぶりに論理を堪能させていただきましたよ。最初は事件現場にいた卓球部の女の子が警察に疑われるんだけど、これを助けるのが、何と学校に住んでいる(比喩じゃなく本当に住んでいる)裏染天馬という学生。これがまた、いい味出してる名探偵キャラなのだ。アニメおたくのダメ人間、だが成績が超優秀。いわゆる賢すぎて変。という感じ。この人物が警察を相手に論理を重ねて卓球部部長を助ける。しかもこれ、まだ序盤戦。このあとは捜査を行い、最後には一堂に会して謎解きを始めるのだが、もう、謎解きの部分だけでも私はとても楽しめました。いや、ほんとどっぷりと浸って読んだ。最後のシーンも良かったな。
スタインベック短編集 スタインベック
「二十日鼠と人間」、「怒りの葡萄」などで知られるノーベル文学賞作家、ジョン・スタインベックの短編集。映画好きの人なら「エデンの東」を書いた作家と言えばわかるだろうか。
12編からなる短編集で、中には掌編とも言えるものも入っている。けどこの掌編、「朝めし」というのだけど、なんかほっこりするんだよね、朝の描写と綿摘み人との会話、そして匂いが感じられるかのような「朝めし」の描写。これらが一体となって当事者と同じく幸福な気持ちに浸り込める。
他にはエラリー・クイーンの「犯罪文学傑作選」にも編まれた「殺人」。殺人に至る過程の心理描写はなく、状況を淡々と述べていく。最後の夫婦の会話はこちらの短編集の方が良かったかな、「犯罪文学傑作選」の方は分かりやすくされていて、せっかくの今までの書き方がもったいなく感じました。
これ以外にも「蛇」この作品、調べると都筑道夫氏の「怪奇小説という題名の怪奇小説」の中にそのまま入っており、怪奇小説の様相を呈しております。けど、個人的には「肩当て」のほうが怖さを感じました。厳格な老人の婦人が亡くなり、その老人は号泣し、周りを代表して一人が家で様子を伺っていたら、眠ってしまい、目を覚ますと、泣き止んだ老人の様子が一変していた。身につけていた服を脱ぎ、肩当てを外し…。と、うん、やっぱ私的にはこっちの方がやだ。
他にも語りたい作品は山ほどある。オチの秀逸な「熊のジョニー」や、自分も考えさせられる「敗北」、母親の姿に強さを感じた「逃走」等、全てがお見事、と感じましたが全ての感想を書く余裕もないので今回はこれまで。
さて、次は会社に入ってからいつかは読もう読もうと思いつつ手をつけてなかった本に手をつけます。
黒い壁の秘密 グリン・カー
シェイクスピア俳優であり、座長でもあるアバークロンビー・リューカーは「リチャード三世」の公演を終え、湖水地方の小村へ赴いた。そこには近年ユースホステルが出来、山や岩場に出かける人たちに利用されているという。そのホステルの近くのパブで数か月前にクライミング中に無くなったという若者の話を聞いている途中消息を絶った友人を探してほしいと男女が訪れる。
久方振りにずっしりとした探偵小説を読ませていただいた。場所が場所だけに雄大な自然を舞台に物語は繰り広げられる。イギリスの探偵小説だな~という感じ。ただ、読者は選ぶんだろうとも感じる。しっかりとしたというのは、描写も丁寧で、人物やその人間関係も丁寧に描き出されるため、その描写をじっくりと読むことが出来るかどうかにかかってくる。そして、その中にも伏線は張り巡らされているため、これを楽しく読めるかにかかってくるんだろうなと感じた。
個人的には、うん、上手い‼ と唸ったのだけど。
体育館の殺人 青崎有吾
帯には「❝平成のエラリー・クイーン❞衝撃のデビュー」とあった。これは買わねば‼ そして読まねば‼ で、手に取った本。
高校の体育館で男性学生が何者かに刺殺された。周りは放課直後で激しい雨が降り密室状態だった。
いやね、これは久しぶりに論理を堪能させていただきましたよ。最初は事件現場にいた卓球部の女の子が警察に疑われるんだけど、これを助けるのが、何と学校に住んでいる(比喩じゃなく本当に住んでいる)裏染天馬という学生。これがまた、いい味出してる名探偵キャラなのだ。アニメおたくのダメ人間、だが成績が超優秀。いわゆる賢すぎて変。という感じ。この人物が警察を相手に論理を重ねて卓球部部長を助ける。しかもこれ、まだ序盤戦。このあとは捜査を行い、最後には一堂に会して謎解きを始めるのだが、もう、謎解きの部分だけでも私はとても楽しめました。いや、ほんとどっぷりと浸って読んだ。最後のシーンも良かったな。
スタインベック短編集 スタインベック
「二十日鼠と人間」、「怒りの葡萄」などで知られるノーベル文学賞作家、ジョン・スタインベックの短編集。映画好きの人なら「エデンの東」を書いた作家と言えばわかるだろうか。
12編からなる短編集で、中には掌編とも言えるものも入っている。けどこの掌編、「朝めし」というのだけど、なんかほっこりするんだよね、朝の描写と綿摘み人との会話、そして匂いが感じられるかのような「朝めし」の描写。これらが一体となって当事者と同じく幸福な気持ちに浸り込める。
他にはエラリー・クイーンの「犯罪文学傑作選」にも編まれた「殺人」。殺人に至る過程の心理描写はなく、状況を淡々と述べていく。最後の夫婦の会話はこちらの短編集の方が良かったかな、「犯罪文学傑作選」の方は分かりやすくされていて、せっかくの今までの書き方がもったいなく感じました。
これ以外にも「蛇」この作品、調べると都筑道夫氏の「怪奇小説という題名の怪奇小説」の中にそのまま入っており、怪奇小説の様相を呈しております。けど、個人的には「肩当て」のほうが怖さを感じました。厳格な老人の婦人が亡くなり、その老人は号泣し、周りを代表して一人が家で様子を伺っていたら、眠ってしまい、目を覚ますと、泣き止んだ老人の様子が一変していた。身につけていた服を脱ぎ、肩当てを外し…。と、うん、やっぱ私的にはこっちの方がやだ。
他にも語りたい作品は山ほどある。オチの秀逸な「熊のジョニー」や、自分も考えさせられる「敗北」、母親の姿に強さを感じた「逃走」等、全てがお見事、と感じましたが全ての感想を書く余裕もないので今回はこれまで。
さて、次は会社に入ってからいつかは読もう読もうと思いつつ手をつけてなかった本に手をつけます。
本を読む時間が増えたので、前回の読了以降のメモ書きっぽいものを。
「やさしい女・白夜」ドストエフスキー
読書会のテキストとなっていたのは「白夜」だったのだが、何を間違ったのか、最初に読んだのは「やさしい女」だった。
これを読んで最初に頭に浮かんだのが、ポーの「マリー・ロージェの謎」。ご存知、「モルグ街の殺人」や「盗まれた手紙」に続く、デュパン物(最初の名探偵キャラ)である。
なぜこれが頭に浮かんだかといえば、どちらも実際の新聞の記事が発端となっている。
「やさしい女」ではイコンを抱いて飛び降り自殺した女。
「マリー・ロージェの謎」ではアメリカで起こった迷宮入り事件を推察する。
両方とも新聞が作者にネタを提供した形になると思うのだが、資質というか興味というか、アプローチが違っている点が面白い。その上で、どうしてそのような状況になったかを各々の持っているもので探っていく。
ポーは新聞の記事で、ドストエフスキーはそ記事から想像の翼を広げて。
ま、さておき、感想としては「やさしい女」を書かないと。
知っている人も多いと思うが、クリスチャンにとって自殺はご法度である。しかも、当事者は聖母マリアのイコンを抱いての飛び降り自殺を行っている。これはクリスチャンにとっては大変なことで、大きな矛盾を孕んでおり、それが作家ドストエフスキーの創作意欲を掻き立てたのだろうと推察される。
自殺した女性をテーブルの上に安置し、男の回想が始まる中 、男が神経症気味であり、その男の伴侶が安置された女性であることが語られる。男は質屋を営み、そこに質草を持って女性が現れるのだが、男の支配欲はその女性に向けられる。そして女性は男と結婚する。
そこから男の行動ルールや強要性が露見されるが、物語はただこれだけでは終わらない。状況と環境。主人公の視点では書かれているのだが、それでも女性の意思表示とも思える描写があるのがドストエフスキー。男の語りはあくまでも自分基準で自己弁護的、それでありがながらも緊迫感と悲痛な女性のあり方が一種の喜劇味さえ与える。なによりタイトルがそれをあらわしている。「やさしい女」とは秀逸だ。
「第四間氷期」安部 公房
読んで、まず一言と聞かれたならば、こう答えるでしょう。
「とんでもない程の閉塞感‼」
逃げ場がないというか、なんというか、初めてこの人の本を読んだけど、よくこんなことを考えたなと思った。SFは凄い。
「久生十蘭短篇選」 久生 十蘭
この人の本を最初に読んだのは、高校生の頃、「日本探偵小説全集」の中に「久夫十蘭集」があって、その中の「顎十郎捕物帳」を読んで、「凄い、捕物帳でここまで探偵小説として完成されているのを初めて読んだ‼」だった。勿論、岡本綺堂の「半七捕り物帳」は読んでいたけど、道具立てや扱い方が、米英探偵小説の見事な換骨奪胎だったのだ。
で、これは探偵小説に限ったことではなかったことが、この短編集を読むと良く分かる。
この人の道具立ての扱い、文章力、描写が一言で言うと、「超お洒落」
表現が豊かでありつつも、無駄な描写を避け、削ぎ落としている。で、読んでて思うのが、この人、半端なく頭がいい人なんだろうな、ということ。
う~んと、本の感想というより印象の話を書いてしまったな、ま、いいか。
「ラディゲの死」 三島 由紀夫
初三島です。文豪ミステリー傑作選等で「復讐」はよく編まれるため、これだけは読んだことがあったのだが、他は一切読んだことがなかった。
これは短編集で、最初の1篇「みのもの月」が17歳で書かれたことを知り、まずぶったまげた。で、そのことを周りに話すと、小学低学年の三島の作文を勧められ、読んでまたぶったまげた。
天才とはまさに、こんな人の事を言うんだろうな。
これも短編集のせいか印象で終わっちゃいました。
「蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ」 室生 犀星
あれ、前に感想書いてなかったっけ、と思われるかもしませんが、それは読書会のテキストと短編で、他の短編と表題「われはうたえどもやぶれかぶれ」読んでなかったのです。
これは、特に表題の短編(中編か?)が今の私には引っかかる。
なんせ病院が舞台の話なのだから。で、尾籠な話ではあるが、尿が出る時の痛みの話とか、実際にあってみないと分からないきつい話が、入院した今の私には良くわかる。
これは私の話だが、全身麻酔をするため、手術中の呼吸を確保するためにチューブを口に入れられる。んでもって、ものの見事に麻酔にかかり、気づいたときには病室にいるのだ、その後の感覚は、喉の奥の痛み、そして尿を取るためチューブが尿道にも入れられていて、その痛み。
いやはや、小説中の主人公は老人だけど、中年の私がここまでリンクした状態に入るとは思わんかった。
なので、ここでの印象は、痛み、病院での人間関係など考えるところが多かった。
「十二神将変」 塚本邦雄
この作者は本来(う~ん、こういう書き方自体は限定するようで本当は嫌だけど分かりやすくするため)現代短歌で著名な人で、この小説は「旧字旧かな」(別では「正字正かな」ともいう)で書かれております。
読んだ印象としては、和物の「黒死館殺人事件」かと感じられた。あまりにもの多くの薀蓄、絢爛たる描写。
探偵小説として見た場合は、大きな凄さというものはない。けどこれは作者が意図したものであると読んでいると感じられる。本来書きたいものはそこではなく、事件を元としての人間関係の曼荼羅ではないかと感じられる。そう考えると読み解き方もまた一つ広がるのではないか。
「京都寺町三条のホームズ」 望月 麻衣
阪急梅田駅のブックファーストにて棚にあったのを見て買った小説。そりゃ買うでしょ、たまにお世話になる三条が舞台、んでもってホームズと名が付きゃ。ライトミステリーとあって(私本人は何がライトミステリーなのかは理解できていないが、読みやすさと捉えるならば)、リーダビリティが高く、どんどん読み進めていくことが可能です。女子校生が主人公とあって、恋愛を絡めたちょっとしたビルディングスロマンにもなっており、ほのぼの感が半端ございません。京大院生のイケメン、ホームズ君もいい味出してます。ですがこれ、作者の名前を調べるためにアマゾンで検索をかけたところ、結構ぼろかすに書かれている。そこまで書くか? と思ったので、ちょっとお節介ながら反論してみようと思います。
「中身もストーリーもスッカスカだし、オリジナリティーの欠片もない。これ文庫にする意味とかあんの?
なんか嫌がらせとか言ってくる人がいるんで、少し詳しく書きましょうかね。
まず、私はサイトと書店で読みました。書店では少し読んだだけで辞めました。買うに値しなかったので。
まず、描写。これいい歳した大人が書いてるとは思えないほど稚拙。というか、これで金取るとかぼったくりでしょう。もっと情景、心情描写上手く表現しましょうよ。
そして、これ、ミステリーじゃないですよね。陳腐なキャラと恋愛になんちゃってミステリー絡めただけのライトノベルでしょ。ミステリーって名乗るのも烏滸がましい駄作。
作者に向上心も無く、本も読まないのがよくわかる。
こんなものに600円も出させるとか馬鹿じゃないの? 」
それでは始めます。詳しく書くと書いておきながら、論証材料となるストーリーの内容のなさ、オリジナリティーのなさを表す指摘がない。そして描写が稚拙、と書いてはいるが、その当該箇所が書かれていないため、何を持って稚拙とするのかを説明できていない。
ミステリーじゃない、という表現、これはファンを名乗る人やマニアの人ならわかるが、十羽一絡げにはできない大きな問題が絡んでくる。何を持ってミステリーとするかの前提が必要になってくる。これは東野圭吾氏の「容疑者Xの献身」において大きな論争ともなっている。だからこそ前提として、「これをミステリーであると仮定したうえで反論」を起こさなければならないところを、これを行わず安直に行っているところが、個人の感情的な感想に終わっている。そして、もう一つ書くと、オリジナリティーという言葉が冒頭にあるが、こと探偵小説においては物語の結構に対し基本が存在する。その存在を作ったポーや、長編においての基本を作ったともいえるヴァン・ダインはそれ故に偉大ともされる。それが分からないのであれば、安易に「ミステリーじゃないですよね」等と書くべきではない。読む人が読めばその文言自体で無知が露呈されるのだ。
あ、探偵小説に入って急に感情的になってしまった。
では、また、次の読書の感想で。
って、そんな読む人はおらんか。
「やさしい女・白夜」ドストエフスキー
読書会のテキストとなっていたのは「白夜」だったのだが、何を間違ったのか、最初に読んだのは「やさしい女」だった。
これを読んで最初に頭に浮かんだのが、ポーの「マリー・ロージェの謎」。ご存知、「モルグ街の殺人」や「盗まれた手紙」に続く、デュパン物(最初の名探偵キャラ)である。
なぜこれが頭に浮かんだかといえば、どちらも実際の新聞の記事が発端となっている。
「やさしい女」ではイコンを抱いて飛び降り自殺した女。
「マリー・ロージェの謎」ではアメリカで起こった迷宮入り事件を推察する。
両方とも新聞が作者にネタを提供した形になると思うのだが、資質というか興味というか、アプローチが違っている点が面白い。その上で、どうしてそのような状況になったかを各々の持っているもので探っていく。
ポーは新聞の記事で、ドストエフスキーはそ記事から想像の翼を広げて。
ま、さておき、感想としては「やさしい女」を書かないと。
知っている人も多いと思うが、クリスチャンにとって自殺はご法度である。しかも、当事者は聖母マリアのイコンを抱いての飛び降り自殺を行っている。これはクリスチャンにとっては大変なことで、大きな矛盾を孕んでおり、それが作家ドストエフスキーの創作意欲を掻き立てたのだろうと推察される。
自殺した女性をテーブルの上に安置し、男の回想が始まる中 、男が神経症気味であり、その男の伴侶が安置された女性であることが語られる。男は質屋を営み、そこに質草を持って女性が現れるのだが、男の支配欲はその女性に向けられる。そして女性は男と結婚する。
そこから男の行動ルールや強要性が露見されるが、物語はただこれだけでは終わらない。状況と環境。主人公の視点では書かれているのだが、それでも女性の意思表示とも思える描写があるのがドストエフスキー。男の語りはあくまでも自分基準で自己弁護的、それでありがながらも緊迫感と悲痛な女性のあり方が一種の喜劇味さえ与える。なによりタイトルがそれをあらわしている。「やさしい女」とは秀逸だ。
「第四間氷期」安部 公房
読んで、まず一言と聞かれたならば、こう答えるでしょう。
「とんでもない程の閉塞感‼」
逃げ場がないというか、なんというか、初めてこの人の本を読んだけど、よくこんなことを考えたなと思った。SFは凄い。
「久生十蘭短篇選」 久生 十蘭
この人の本を最初に読んだのは、高校生の頃、「日本探偵小説全集」の中に「久夫十蘭集」があって、その中の「顎十郎捕物帳」を読んで、「凄い、捕物帳でここまで探偵小説として完成されているのを初めて読んだ‼」だった。勿論、岡本綺堂の「半七捕り物帳」は読んでいたけど、道具立てや扱い方が、米英探偵小説の見事な換骨奪胎だったのだ。
で、これは探偵小説に限ったことではなかったことが、この短編集を読むと良く分かる。
この人の道具立ての扱い、文章力、描写が一言で言うと、「超お洒落」
表現が豊かでありつつも、無駄な描写を避け、削ぎ落としている。で、読んでて思うのが、この人、半端なく頭がいい人なんだろうな、ということ。
う~んと、本の感想というより印象の話を書いてしまったな、ま、いいか。
「ラディゲの死」 三島 由紀夫
初三島です。文豪ミステリー傑作選等で「復讐」はよく編まれるため、これだけは読んだことがあったのだが、他は一切読んだことがなかった。
これは短編集で、最初の1篇「みのもの月」が17歳で書かれたことを知り、まずぶったまげた。で、そのことを周りに話すと、小学低学年の三島の作文を勧められ、読んでまたぶったまげた。
天才とはまさに、こんな人の事を言うんだろうな。
これも短編集のせいか印象で終わっちゃいました。
「蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ」 室生 犀星
あれ、前に感想書いてなかったっけ、と思われるかもしませんが、それは読書会のテキストと短編で、他の短編と表題「われはうたえどもやぶれかぶれ」読んでなかったのです。
これは、特に表題の短編(中編か?)が今の私には引っかかる。
なんせ病院が舞台の話なのだから。で、尾籠な話ではあるが、尿が出る時の痛みの話とか、実際にあってみないと分からないきつい話が、入院した今の私には良くわかる。
これは私の話だが、全身麻酔をするため、手術中の呼吸を確保するためにチューブを口に入れられる。んでもって、ものの見事に麻酔にかかり、気づいたときには病室にいるのだ、その後の感覚は、喉の奥の痛み、そして尿を取るためチューブが尿道にも入れられていて、その痛み。
いやはや、小説中の主人公は老人だけど、中年の私がここまでリンクした状態に入るとは思わんかった。
なので、ここでの印象は、痛み、病院での人間関係など考えるところが多かった。
「十二神将変」 塚本邦雄
この作者は本来(う~ん、こういう書き方自体は限定するようで本当は嫌だけど分かりやすくするため)現代短歌で著名な人で、この小説は「旧字旧かな」(別では「正字正かな」ともいう)で書かれております。
読んだ印象としては、和物の「黒死館殺人事件」かと感じられた。あまりにもの多くの薀蓄、絢爛たる描写。
探偵小説として見た場合は、大きな凄さというものはない。けどこれは作者が意図したものであると読んでいると感じられる。本来書きたいものはそこではなく、事件を元としての人間関係の曼荼羅ではないかと感じられる。そう考えると読み解き方もまた一つ広がるのではないか。
「京都寺町三条のホームズ」 望月 麻衣
阪急梅田駅のブックファーストにて棚にあったのを見て買った小説。そりゃ買うでしょ、たまにお世話になる三条が舞台、んでもってホームズと名が付きゃ。ライトミステリーとあって(私本人は何がライトミステリーなのかは理解できていないが、読みやすさと捉えるならば)、リーダビリティが高く、どんどん読み進めていくことが可能です。女子校生が主人公とあって、恋愛を絡めたちょっとしたビルディングスロマンにもなっており、ほのぼの感が半端ございません。京大院生のイケメン、ホームズ君もいい味出してます。ですがこれ、作者の名前を調べるためにアマゾンで検索をかけたところ、結構ぼろかすに書かれている。そこまで書くか? と思ったので、ちょっとお節介ながら反論してみようと思います。
「中身もストーリーもスッカスカだし、オリジナリティーの欠片もない。これ文庫にする意味とかあんの?
なんか嫌がらせとか言ってくる人がいるんで、少し詳しく書きましょうかね。
まず、私はサイトと書店で読みました。書店では少し読んだだけで辞めました。買うに値しなかったので。
まず、描写。これいい歳した大人が書いてるとは思えないほど稚拙。というか、これで金取るとかぼったくりでしょう。もっと情景、心情描写上手く表現しましょうよ。
そして、これ、ミステリーじゃないですよね。陳腐なキャラと恋愛になんちゃってミステリー絡めただけのライトノベルでしょ。ミステリーって名乗るのも烏滸がましい駄作。
作者に向上心も無く、本も読まないのがよくわかる。
こんなものに600円も出させるとか馬鹿じゃないの? 」
それでは始めます。詳しく書くと書いておきながら、論証材料となるストーリーの内容のなさ、オリジナリティーのなさを表す指摘がない。そして描写が稚拙、と書いてはいるが、その当該箇所が書かれていないため、何を持って稚拙とするのかを説明できていない。
ミステリーじゃない、という表現、これはファンを名乗る人やマニアの人ならわかるが、十羽一絡げにはできない大きな問題が絡んでくる。何を持ってミステリーとするかの前提が必要になってくる。これは東野圭吾氏の「容疑者Xの献身」において大きな論争ともなっている。だからこそ前提として、「これをミステリーであると仮定したうえで反論」を起こさなければならないところを、これを行わず安直に行っているところが、個人の感情的な感想に終わっている。そして、もう一つ書くと、オリジナリティーという言葉が冒頭にあるが、こと探偵小説においては物語の結構に対し基本が存在する。その存在を作ったポーや、長編においての基本を作ったともいえるヴァン・ダインはそれ故に偉大ともされる。それが分からないのであれば、安易に「ミステリーじゃないですよね」等と書くべきではない。読む人が読めばその文言自体で無知が露呈されるのだ。
あ、探偵小説に入って急に感情的になってしまった。
では、また、次の読書の感想で。
って、そんな読む人はおらんか。