私が小学生のころ、教師が生徒に文字で伝える手段とすれば
輪転機で印刷された藁半紙であった、
その後印刷技術の発展とともに街中にはコンビニエンスストアという
便利な何でも屋ができ、そこには安価で速度が速く印刷される
コピー機という機器が設置され、誰もが自由に利用できる
サービスが確立され、2010年の今でもいまだに提供されている。

その素晴らしい自由度のある機器は、視覚的にも高度に、
個人の意思を多く伝えるという武器にもなった。

視点を変えていえば「言論の自由」というものを実感する初歩段階として
言論を拡張させる手段として大きな機会を提供してくれた。

2010年の今に至ってはどうであろうか?

その様な要素があるのだろうか?

紙に文字という記号を転写させ視覚的に認識させるという手段は
今現在電子媒体に移り、ようやく日本でも夜明けが起ころうとしている。

つまり、紙の存在がメディア性を失いつつあり、その代替要因として
電子媒体のほうがメディア性を高めている事は、
一昔前のEメールやいわゆるホームページ、そしてブログに変化して
現在では、ソーシャルメディアがその性質を受け継いでいると言えば
わかりやすいであろう。

コピー機による個人の意思の拡声器的な要素は、コピー機の時代ですら
伝え方として駅での手渡しや電信柱への貼り付けや、郵送したとしても
相手からの反応は何らかの形であった。

WEB2.0とか3.0と言われWEBの世界ではこの10年で大きく変化したが、
紙媒体の世界に関しては、双方向性が昔からあった。

紙と電子媒体とで、何か大きく差があるとすれば、伝わる速度の速さから
伝わり"反応がかえる"という双方向性のみならず、さらに進化させて
その先にある人と人とのつながりの機会の消費をも速めている。

すなわち、"つながること"は意思疎通の機会を増やし、何かを生み出す
機会を創造しているということ。


今後はクラウドコンピューティングを軸に意思の疎通は
さらに高度化していく。

1990年代のビルゲイツ

2000年代のスティーブジョブス

2010年代はマークベニオフ

  この青図はありだと思う。

 
 機械や機器やアプリケーションは何かを達成しようとする物や道具
 に過ぎないことを先ず最初にたくさんの人に伝え、その先にある目的や
未来をもっともっと創造できれば、次の世代またその次の世代の
新たな人間社会を継続する糧になると私は信じてやまない。



『 電子メディアリテラシーを一般人が使いこなす事は

意思の疎通を頻繁化させ、人類の未来を創造する。 』





米AppleがiTunesでビートルズの配信開始を

「明日、いつもと同じ一日が、忘れられない一日になる」

Tomorrow is just another day と告知した。

ビートルズが好きではあるが、英ビートルズの会社との戦いを

繰り返してきたスティーブジョブズ氏の歓喜の心だったのであろう。


ここで受け止めなければならない事は、音楽を聴くことを

カセットテープ CD 等の現物メディアをかえして流通していたのに対し

ネットによる音楽配信というデジタルデータ流通が台頭し、

そして2010年11月17日、それが一般的にも常識化され

認知され、そして次のステージになることも知らせてくれているのかもしれない。

ネット配信が当たり前の時代が来て、ビートルズがituneで出たからと言って

それがどうしたのかな? と思う世代も多いであろうが、じっくり考えてみると

何より2000年代を楽しませてくれたジョブスが古い体質へ何かを投げかけ

何かを勝ち取ってくれた瞬間であったかのように思えた。

すごい先の未来より、手の届く未来と過去に線引きを仕掛ける事の

大変さを身を持って理解できる歳になったが故に、

その偉業に ありがとう と心から感謝した瞬間でした。











 

そろそろ皆さんも新米をいただき終わった頃ではないでしょうか。

植物としての米、食物としてのお米。

小学生にお米好きですか?ときくと意外と好まない子が多くいました。

主食ってみなさんは何食べてるの?  ときけばソーセージとか肉と答えている子、
ポテトチップス・やきそば・ラーメン・白菜・キャベツ・パン・お米という中で
圧倒的に米という子が少なかったことを知り、少し驚きましたね。

お米はどうやって作られているか知ってる?ときけば、
マシーンで作ってるwとかスーパーで作ってるとか、え?本気で答えてるの?
というような答えが圧倒的に多く、幾ばくか居る畑と答えた子が誤っているかのような
さえずり程度。

お米はね、お百姓さんが畑で作っているんだよ~というと、

先ずお百姓さんの意味ががわからない。

これが現実なのかそれとも私が見た現実がたまたまの偶然だったのか。
教育の地域差なのか都市部教育の現状なのか。

いずれにしても

ものの" 有り難さ " をどの様に伝え、何に感謝して どの様に社会と触れ合っていくのか
という概念を、私がたまたま出会った子供たちはどの様に心の刻むのか?
   と感じました。

食育でいえば、どのように料理をするとか何ができるという以前に
どの様にできて、人の手がそのように加わり、どうやって家庭に運ばれ
そしてどの様に食されているかという一連の情報を味あわせてあげたいと思いますよね。

泥まみれになった手で、暑い・重い・冷たい・痛いとかたいへんとかという
何かを肌で感じながら食と触れ合う事を今一度させてあげたいなって感じます。

例えば
、私が小さい頃は、米粒を残したものなら、
”一粒のお米もお百姓さんが丹精込めて作っているのだから、
たとえ一粒だって残さずに食べるんだよ"
なんて言われながらも"ハイハイ" とかカラ返事していましたが、
なにげに毎日言われていたことが、家庭でみについたものでした。

核家族化した現代では、なかなかおばあちゃんやおじいちゃんが教えてくれた
そんな世話焼きの様な事はでき難いかもしれないけど、
時にはそうやって、今のママ達もいちいち横で念仏のように子供が幼いうちから
伝えていってあげてね^^って思いますよ。

感謝をすることの教え方は作物や食から教えることができますが
実は「 飾る事 」からも教えることもできます。

食で教えることは 口にし味わう習慣から教えれるのに対して

飾る事から教えるとは 視覚として目で見て偶像化し教える事ができ
脳裏に記憶として焼付きます。

11月も半ば、そろそろ暮ですね。

日本人としてアイデンティティを感じる事とすれば、
クリスマスよりニューイヤーよりなにより私は
『 お正月 』です。

お正月のお花を飾ったり、しめ飾りを飾るという事。

花でいえば松と千両を軸に様々な花木や枝そして花もの。

しめ飾りでいえば、しめ縄・玄関飾りや等が代表的。


そう!!! そもそも しめ飾りとは 何をしめているの??という事。

そうですよ、お米を収穫をした後の稲藁( ワラ )ですよね。

五穀豊穣と感謝の心を込めてしめて、それを祀る心で供える慣習。

昨今では

悪い気が入らないように、神聖な場所と下界を分ける結界として
の意味が込められています。
それは結局は、先人たちが心のどこかで何かを

『 大切にしようとする心 』を伝える手段であったのですよね。

大切にする心を 伝えるには 先ずは すぐ来る正月に向けて

玄関飾りを供えて、子供たちにうんちくをぶつぶつと

  どうか伝えていただけたらなぁと思います。







「 
  海援隊の坂本竜馬は最新式ミニエー銃1000丁を土佐に運ぶ。

  そして残りの9000丁を岩崎弥太郎は戦時で値が上がる事を見越して
  売りさばくという。

  土佐の上士で新しい土佐商会主任・佐々木高行はその言葉をきき、
  お前はそんな危険な事をするのか 地下浪人のやる事だと嘲笑う。

  商売人はかせいでなんぼですろうと岩崎は言う。
                                           」

 直向きで素朴な考えを持った弱者が、少しばかり影響力を持った者から
 鼻で嘲笑われた光景。
 

先日私はこの様なシーンをツイッター上でも文字から目にした。

やはり奢りなのであろうか、上から下を見下ろすかのように語りかける醜い人種を社会は育て、
濃厚に高度化した社会の一面では必ず蔓延っており
そうが故に、憤りを感じた者達がそれに飽き飽きし、結果として民主化を促進させていき
新たな自由と居場所を求めて大きくうねり始めるのだなと感じた一瞬でもありました。

そう、それを今私が見かけたという事は今がその時。

 新たな仕組みでこれからの居場所を作る時期。

 TPP問題も、グローバリズムの元、新たな考え方と視点で物事を
 作り上げるにはその好機なのかもしれません。

 私の考えでは、

 こういう時こそ捨てなければならないものをザックリと捨てる勇気と

 残さねばならないものを選び抜いて残すことをサクッとやれる環境を作りながら、

 短い時間で何かを仕掛けれた者が生き延びれるのだと常々思っています。

 まるで遺伝子がそうであるように。

 『 残すものは何かな 捨てるものは何かな 』

  を日頃からいつも考えながら、いざという好機にいつも選択できる支度をする。

  それが私の選択の論理。



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