はなまるの花マル日記 -23ページ目

はなまるの花マル日記

日々の出来事
日々の頭の中の出来事
日々の美味しい出来事
綴ってます

友達から教えてもらった並木良和さんのYouTubeを聴くと、まぁ出てくる出てくる。

自分の中のカルマが。

そのカルマをどうしようか、とまた並木良和さんに頼る 笑
YouTubeでね 笑

そしたらすごい!

ただ話を聞いてるだけなのに、心がスッキリ晴れてくる感じ。

今年の夏は並木良和さんに始まり、並木良和さんに終わったよ 笑

でもさ、ほんとにすごいの。

そんな話ある?っていうくらいびっくり仰天な話ばこりなのに、それが真実だと心から思えるんだよね。

どんどんのめり込んでいってもう完全にハマってます。

今は並木良和さんからインドのakikoさんにハマってる。

からの〜もう気持ちは宇宙。

宇宙が知りたくて知りたくてたまらない毎日。


あ、話がそれました。


で、並木良和さんを聴いてるうちに、なんとなーくわたしのお母さんに対する気持ちがどんどん変わっていった。

ある夏の日。

お母さんがわたしに
「昨日お父さんが夢に出てきてね。◯◯くんと(わたしのダンナ)はなまるとわたしで座っててね。みんなでテーブル囲んで、お父さんが言ったの。お前たちどうなってるんだ?って。みんな黙ってたわ」
って夢の話をしてきた。


前までのわたしなら
「お母さんにそんな夢見させちゃって申し訳ない。
追い込んでしまって申し訳ない。」

そう思ってた。

でも、今は違う。

実際、お母さんに
「どうもこうもないよね。てか、それをわたしに言ってどうしろって言うの?」とまで言った。

そのあと心の中で
ていうか、娘のわたしに、ダンナの妻であるわたしに言ったって、わたしを困らせるだけって分からないかな?って言うくらいお母さんを突き放してた。

もちろん、だからといってお母さんが嫌いになることはなく、“はい、この件はおしまい!”ってスルーした。

これは自分でもびっくりだった出来事。


ダンナはダンナで、
「俺はお前を困らせたいわけじゃない。ただ、なんでお前が犠牲にならなきゃいけないんだと思って、お母さんに腹を立ててただけ。でも、お前のお母さんに対する気持ちも分かる。とにかくお前が大事なんだよ、俺は。わかる?でも、もしかしたらお兄ちゃんの想いも積んで生まれてきてるから、そういうしがらみがえるのかもしれないね。分からないけど…」と想いを伝えてきた。

その時に、はっと気づいた。

今まで腹を立ててたダンナのお母さんへの態度。
わたしとお母さんを良い意味で引き離すためのものだったんじゃないか。


そう思ったら、ほんとにほんとに今までのことが全部腑に落ちる。



すべてのことが覆ったあの日。
コメダでの出来事。


わたしは一生忘れない。


もう目から鱗。


ほんとに今まで全く気づかなかった、
お母さんに対してだけ思う、“かわいそう”。

小さな頃からお母さんの母は病弱で、まぁまぁ大変な生活をしてきて、その母を早くに亡くし、わたしのお父さんと結婚して生まれた長男を小学2年のときに交通事故で亡くし、仕事をそろそろ引退して夫婦でゆっくり過ごそうと思ってた矢先にお父さんにも先立たれ…

そんなお母さんがかわいそう…。


そう思ってたわたし。


友達は言う。

「お母さんがかわいそう=はなまるがかわいそうって言ってるようなものだよ。お母さんが自分の人生を歩んでないって言ってるけど、はなまるも同じ。はなまるも「お母さんが、お母さんが」っていつもお母さんのことばかりで自分の人生歩んでないんじゃない?」



!!
そうなのかーーー!
自分、そうだったのかーーーー!


もうコメダで号泣!


てか、友達すごい。

もともとただ者ではないと思ってたけど、やっぱりただ者じゃなかった。
ビビるわ。


その日の夜。
いろいろ考える。


でも、どんなに思い起こしても、幼い頃にお母さんに何かを言われたわけでも、何かを感じたわけでもない。むしろ、わたしのために色々やってくれた日々しか思い出せない。

お母さんを幸せにするんだ!
という思いは勝手にわたしが思ってただけ。

お母さんがわたしに依存してた?
そんなことありえないような…


でも、ふとこれかな?と思い当たることはある。

どちらかというと、社会人になるまでいざというときの金銭面で助けてくれた両親。

何か大きなものを買ってくれたときに、

あくまでも冗談だけど、
「いいよー!大人になったら恩返ししてくれれば」
ということをお母さんは言ったりしてた。

お父さんは何も言わなかった。

わたしが結婚して同居するときも、お父さんはふたつ返事でいいよ、とだけ言うのに対し、
お母さんは「同居するからにはやっぱり無理と、出て行くだけはなしね」とさりげなく釘を刺されたり…


どれもこれも大したことではないし、冗談で言ってたことなんだけど、この小さな積み重ねがもしかしたらわたしとお母さんの確執を生んだのかもしれない…

「わかったよー!」「もちろんそんな出て行くようなことはしないよ」なんてさりげなく返したりしてたんだけど、色々してくれることには素直に感謝していたし、感謝していたからこそ恩返ししなきゃな、なんて思っていたのかも…



次でラストです!













今年の5月。

友達が急にわたしを呼び出した。
夜にコメダで待ち合わせ。

コメダで過ごしたあの時間が
わたしの人生を変えることになる。

友達が
「はなまるのお父さんが急に降りてきてさ、はなまるのことを心配してた」

え?
わたし?
お母さんじゃなくて?

続けて言う。
「なんかさぁ、ダンナさんとお母さんじゃなく、ダンナさんとはなまるじゃなく、お母さんとはなまる。なんだよね。そこにさ、なにか確執があるような気がする…」

「はなまるさ、小さな頃お母さんに何か寂しい思いと感じてた?とか?」

いや、それはないなぁ。
むしろ寂しい思いをしてたのはお母さんじゃない?

だから、わたしは絶対お母さんを幸せにしてあげようっていう想いが強かったし。

「そこじゃないかな。お母さんの悲しみはお母さん自身にしか分からない。はなまるがどうこうしてあげられないよ。お母さんはお母さん自身で乗り越えて自分で幸せにならないと」


でも、お兄ちゃんを亡くしてあれだけ悲しい思いしてさぁ、なんとか幸せにしてあげたいなぁと思うんだよね。

「でもさ、お父さんは?お父さんに対してはかわいそうとか思わないの?お父さんのことはわたしが幸せにするぞ!って思わないの?」


…………


「お父さんだって、同じ経験して同じ思いしてるわけやん。」


!!



そうやん。
あれ?お父さんにはなんとも思わない。
なんでだろ?


「それはさ、きっとお父さんはお父さんの好きなことをやってきるからじゃない?もちろん、お兄ちゃんのことを経験して大きな悲しみも経験したんだけどさ。お父さんはそれをちゃんと消化して、しっかり自分の人生を歩んでた。だからそこにかわいそうっていう想いが湧かないんじゃないかな…」


「お母さんはおそらく深い悲しみからなかなか抜け出せずにいて、うまく消化しきれなくて。もちろんお母さんから言わせればそんなの経験した人にしか分からないわよって思うかもしれないけど、だからこそ、やっぱり自分で抜け出すしかなくて…。はなまるから見ると、いつもお母さんが人のためばかりに動いて自分のことを後回しにしがちなのも、ねじれを起こしてるのかも…。」

そうかも。
“お母さんのことを幸せにしてあげたい”
の、前に
“お母さんがかわいそう”
が前提としてある。
お父さんにはないのに、お母さんに対してだけ。

それはお母さんが自分の人生を歩んできていないから?

さらに友達が追い打ちをかける。


「おそらく小さな頃からお母さん自身も無意識ではなまるに依存してたんじゃないかな。で、それをはなまるも知らないうちに感じ取って、わたしが、わたしが、ってなっていったのかもしれないね」


そうなのか…?
依存?
依存ってなんだ?


「お母さんの悲しみは経験したお母さんにしか分からない。それをお母さんもきっと分かってる。そこからお母さん自身で抜け出さないと。はなまるはもっと自分の人生を生きなきゃ」


その言葉で自然と涙が溢れてきた。


友達の言葉が心にスーッと入っていく感覚に戸惑う自分。


そうか。
わたし、自分を犠牲にしてたのか。
初めて知ったわ。


あともうちょい続きます。








わたしの実家で一緒に住みだしてからはなんとかうまくいっていた。

わたしの父、母、ダンナ、娘2人、わたしの5人。

でも、一緒に住み始めて半年もした頃、2009年に
父が癌になり、闘病生活が始まる。

その4年後の2013年6月に父が他界。


その後からはもうはっきりいって地獄。


お母さんとダンナの相性の悪さがどんどん加速し、
間に入るのも限界の日々。



お母さんはダンナに対して寄り添おうとしているのに、ダンナはお母さんの顔を見るのも無理。
一緒の空気を吸うのも無理という状況。


お母さんがダンナに何をしたわけでもない。
ダンナも言っていた。
ただただ根本的に無理なだけって。


「それってどういう意味?
一緒に住むって覚悟決めたならそんなこと言ってないで受け入れなよ!」
と、毎日わたしと言い合い。


お母さんは毎日ダンナにビクビクしてだんだんと自分の部屋に閉じこもるようになっていく。

そんなお母さんに「ごめんね。こんな生活するために一緒に住んだわけじゃないのに。」と、泣いて謝るしかなくて…

新居はただただ居心地悪い家になった。

なんのために家を建てたかも分からなくなっていたとき、ダンナが
「お前はお母さんしか見てない。お母さんのことしか考えてない」と言った。

またわたしを責めるのか。
子供が母親のことを想って何が悪いの?
わたしが悪いの?あなたは悪くないの?


こんなに同居が大変だとは…
みんなこんなんなのか…


もうお母さんと別居するしかないのか。
でもダンナはそれはいまさらできないと言う。
わたしもしたくない。
でもどうしたらいい?
このままじゃみんな最悪。

もうなんなんだ。
この地獄。

同居する前に戻してほしい。

結婚する前に戻してほしい。


やり直したい。
そしたら絶対一緒に住まない。


イライラが子供達にも伝わる。
家の空気が悪い。


そんな日々が4年くらい続いた。


そんな月日の中でだんだんと自分の中で折り合いをつけていき、なんとか現実を変えていくしかないとまた再び歩き始めた。


お互いに存在を意識しないように
わたしも母に寄り添いすぎないように
ダンナに寄り添うように

わたしだけじゃなく、お母さんも、ダンナも
それぞれが自分の中で折り合いをつけてなんとかやり過ごしていく。
気持ちの向きを変えていく。


少しずつ地獄からは抜け出していった。


お母さんとダンナは相変わらず口をきかない。

お母さんはダンナに気を使って、話しかけないし、ダンナが家にいるときはあまり顔を合わせないようにしてる。

ダンナは変わらず一切お母さんと口を聞かない。


夕飯の時間も子供の習い事を理由にして、ずらす。


「離れたがってるのはダンナなんだから」と、
わたしは夕飯をお母さんと子供らと一緒に食べる。

ダンナは後で食べる。

その方がダンナにとっても、
お母さんも揃って食べる夕飯よりよっぽど気が楽だろう。


これでよし。
これがわたしたち家族の形だ。


そう思っていた。
今年の春までは。


まだまだ続きます。









といっても、バトルしてるわけではなく、冷戦でもない。


むしろうまくいっているわたしたち親子、母娘。

と思っていた。前までは、


なぜ確執かというと…

話はわたしが生まれる前に遡ります。


わたしには7つ上の姉がいる。
ほんとは、さらに3つ上の兄もいた。


その兄は、小学2年のときに交通事故で亡くなった。


青信号を渡っていたときに、右折ダンプカーが突っ込んできたらしい。


その兄が亡くなった後、姉1人だと…ということで生まれたのがわたし。


だから、もし兄が亡くなってなかったらわたしは存在してなかったかもしれない。
(ここはわたしが勝手に思ってるだけやけど)



子供の頃のわたしの記憶にあるお母さんは、

いつも好きなことをやって、仕事も楽しみながらやってるお父さんを影で支えて、自分のことはいつも後回しで、自分のことよりも家族のことを優先して…

というイメージ。


そんなお母さんを見ていて思ったのか、
お兄ちゃんのことがあったからなのか、

わたしは物心ついたころから

お母さんはわたしが絶対に幸せにしてあげないといけない!

という強い想いがあった。
ついこの前まで。


小学生の頃から、なぜか周りの大人に
「わたしはあの家を継いでいく」

別に自営でもなんでもないのに 笑


今のダンナと結婚するときも当たり前のように

「わたしはあの家を出るつもりはない。名字も変わりなくない」

という意志を貫き、不思議とダンナも抵抗なく受け入れてくれて、

結婚当初こそアパートで住んでいたけれど、
3年目くらいには実家に入っていた。


これですべてよし!
と自分で納得した思い描いていた環境だと思っていた。



長いので次に続きます