命日に願うこと | はなまるの花マル日記

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6月に入りました。

そして、もうすぐ6月5日。

お父さんが亡くなって丸3年。


まだ3年しか経ってないんだ。

こんなに長い間、お父さんの顔を見ずに、声も聞かずにきたことが今までなかったこら、もうずいぶんと月日が経ったように感じる。


でも、3年も経つといろいろなことが変わっていくもんだな、とも感じる。


日々の生活の中のさまざまなこと。 

“お父さんが亡くなった”という事実の受け止め方。

自分自身の気持ち。

涙の量。

夢に見る日数。

いろいろ。



でも会いたい気持ちは変わらず募る。


たまに、死ぬのも怖くなくなるくらい
お父さんへの想いが募ることもある。

って、
こんな言い方したら、誤解を招くよね。


死んでしまってもいい。という投げやりじゃなく、お父さんも経験したのだと思うと、死ぬのも平気というか、また会えるんじゃないか、ていう期待すらあったりする前向きな方ね。


わたしといるときに、周りの友達が不思議と孫とおじいちゃんの話をあまりしない。

なので、 今はちょっとそれに救われる。


やっぱり、わたしだって、はなこやまること触れ合うおじいちゃん(お父さん)が見たかった。

って、きっとちょっといじけてしまう。っていう本音が言えるのはここだけなんだけど。

はなこがピアノがどんどん弾けるようになった。

まるこもピアノはじめた。

ふたりとも元気に学校通ってる。

お父さんが亡くなってから、
はなこもまるこも成長した。

お父さんが知らないはなことまるこがいる。



でも、そうやってちょっと寂しがってるときにまるこが言う。
「じいちゃんにランドセル見せたかったなぁ~」

はなこも、
「じいちゃんって、こうだったよね」
って、懐かしんでたりする。


その気持ちが何よりうれしいことだから
もうそれでよし!としよう。



そして、また月日が流れたら、
友達が孫とおじいちゃんの話で盛り上がっていても平気になるときも来るだろうし。
そのときまで、少しずつ自分の気持ちと向き合っていけばいいかな。


でも、せめて命日ぐらい死者に会えるといいのに…。
一年に一回ぐらいそんなことがあってもいいのに…。


と、切々と願ってしまうのでした。