先日、頻繁に集まる仲間に会った。
いつもだと2ヶ月に一度は会うけれども、お父さんのことでバタバタしていた4月頭から9月に入るまで一度も会わなかったから、すっごく久しぶりだった。
お父さんの闘病生活が始まったのは、2009年6月。
手術したのが7月で、抗がん剤治療が始まったのが8月から。
そのときに、この仲間にだけはお父さんのことを伝えた。
といっても、「がんになって、手術して抗がん剤治療してる」とだけ。
それからは、気にかけてくれたりして、「お父さん、体調はどう?」と聞かれたときには、
「うん。治療は頑張ってるよ。元気に今まで通り、仕事もして生活もしてるよ。」
とだけ、伝えてた。
今年に入って、抗がん剤治療をやめたときにも、
2月に“余命宣告”されたときにも、
4月に入院したときにも、
5月にいよいよ。。。というときにも、
一切、何も言わなかった。
だって、言ってどうなる?
このつらさ、わかる?
お父さんが良くなるなら、いくらでも、誰にでも話す。
話して楽になるなら、とっくに話してる。
本当につらいことは、なかなか話せないよね。。。
話したくないよね。
お父さんがいなくなるまで、
この仲間をはじめ、お父さんの状況を何も知らない友達と会ってるとき、
くだらないこと話して、笑って過ごしてても、いつもどこかで、
「お父さんがいなくなってしまったときに、わたしはどれくらいの月日が経ったら、友達に会えるようになるんだろうか。。。。」
「お父さんとの別れを受け入れることができるんだろうか。。。。」
「いつまで、こうやってお父さんのいる生活を続けられるんだろうか。。。。」
「お父さんがいなくなってしまったら、わたしはどんな状況になるんだろう。。。」
そんなことが、頭から離れなかった。
いつも、心のどこかがつっかえてた。
今年に入ってからは、買い物をしているときに賞味期限を見ては、
“この頃はお父さん、どうなってるんだろう”
って、常に頭をよぎって、どうしようもなかった。
お父さんがいなくなって、昨日初めて仲間に会った感想。
乗り越えられた、かな。
久しぶりに顔を合わせた仲間は気を使って、一切お父さんの話をしなかった。
わたしも、お父さんの話をしなかった。
だって、絶対涙止まらなくなるもん。
それは絶対いやだったから。
お葬式のあとに、仲間をはじめ、たくさんの友達から、心のこもったメールをもらった。
わたしもメールでは、お父さんがいなくなった寂しさを伝えた。
友達に会おうと思えるようになったのは、そこから歩き出した証拠。
だから、友達と会ってるときは、泣かない。
そう決めた自分を、ちゃんと貫くことができた。
そして、ちゃんと友達と一緒に笑うことができた。
4年前、お父さんの病気が発覚したときに、
“いつか、この日が来る”と思っていた、ふたつのこと。
・お父さんとの別れ。
・お父さんとの別れをしたあとに、再び友達と会う自分。
ふたつとも、乗り越えられたよ。
お父さんとの別れの悲しみは、一生乗り越えられないけど、“別れ”を受け入れることはできた。
友達とも再び笑って会うことができた。
ずっとずっと、心につかえてた何かがとれた気がした、そんな日でした。