あまり話したくない理由。。。 | はなまるの花マル日記

はなまるの花マル日記

日々の出来事
日々の頭の中の出来事
日々の美味しい出来事
綴ってます

お父さんが亡くなって、2ヶ月。

わたしは携帯をほとんどいじってない。

というのも、友達も気を使って連絡してこないし、わたしも連絡してない。

たまに入ってきたら、それに対して返す程度。




スーパーやドラッグストアへ買い物に出かけて、幼稚園のお母さんたちに会っても、何気ない会話をする程度。

一部、お父さんのことを知っている人に会っても、わたしはそのことにふれられないよう、今まで通り普通の会話をする。

そうすると、向こうも気遣ってくれて、そのことに触れない。




そう。触れないでほしい。




前にも話したけど、何事も経験しなきゃ分からない。



親を亡くした人の気持ちは、親を亡くした人でないと分からない。

わたしは30代だけど、30代で親を亡くすのと、50代で亡くすのとは違う。

逆に、わたしには、10代、20代で親を亡くした人の気持ちは分からない。

事故などで、突然親を亡くした人の気持ちも分からない。



やっぱり経験しなければ、分からないんだよね。



大切な仲間や友達が心配してくれたり、同情してくれたりするのは分かる。

自分のことを気にかけてくれるのはとてもありがたいこと。

そのことには、嬉しく思う。




でも、やっぱりわたしのこの気持ちは、経験していない人には分からない。


わたしの周りの友達は年齢的にも、まだ親を亡くした人はたった一人しかいない。






だから、わたしは、仲間や友達にお父さんの闘病生活を含め、お父さんとの別れのつらさを話そうとは思わない。




心配してくれてるなら、ちゃんと前に進んでるから大丈夫。

お父さんとの別れも受け入れてるから大丈夫。

涙が出るのは、もう会えないから恋しくて、恋しくて、仕方がないだけ。



それは、話してもどうにもならないこと。

だったら、お父さんが恋しくなったときに、思いっきり泣けばいい。




同情してくれてるなら、それも大丈夫。

わたしは、お父さんの娘として生まれてくることができて、最高に幸せだし、

お父さんとの最期の時間も、濃い深い時間だった。

何より、お父さんの人生がとても豊かな人生だった。それが素晴らしい。

最期もお父さんの望むように送ってあげられたと思う。



だから、むしろ幸せな別れ方ができて良かったと思ってる。




お父さんが、30代のときに小学生の息子(わたしのお兄ちゃん)を亡くしたときのことを、誰にも話さなかった理由が、今は分かる。


お父さんが、がんになって闘病生活を送っている間も、ほとんど誰にも話さなかった理由が、今は分かる。




その事実をしっかり受け止め、


自分の中できちんと消化してたから。




今のわたしもそう。



だから、経験していない人に、わたしの想いを話そうとは思わない。

だから、経験していない人に、経験したことも話そうとは思わない。

うん。



ただ、同じ経験している人に対しては違う。

そういう人とは、自然と話がぽろっと出てしまう。

話してると、なんだか相手も同じ気がする。



じゃあ、なんでブログには書けるんだろう。。。



わたしのブログは日記のようなものなので、自分の心の中の想いや、自分の考えをまとめるには、やっぱり言葉にして残しておきたいなぁという想いから書く。

書くことによって、あとで「やっぱり違う」とか、改めて「やっぱりそうだ」と思い直すことができるから書く。


今日も、こうして想いを文字にしたことで、わたしは自分の気持ちを改めて知った。

この気持ちを知ったことで、これから友達と会っても、気持ちはぶれない。




でも、年月が経ったときに、こんなわたしも、いつか、お父さんとの闘病生活や別れのときの話をすることができる時が来るかもしれない。

話をしたくなる時が来るのかもしれない。



そのときはそのときだよね。




この気持ちを知った今、

そろそろ、友達と会ってもいいかなぁと、思えるようになった。