ちっくたっく放送局 ときたま井戸端日記9

 

2014:2:14

寒さの2月、私は毎朝出勤しなくても一日寮で居るだけで用事が足りています。

私のオーダーで月・水・金・午前に食材が配達され、午後二時からそれを調理するのが私のメインの仕事です。

出かけて行っての用事はすべて私的な用事です。

 

寒さの中、暗いうちから出勤する寮生、また真夜中に雨に打たれ帰ってくる寮生にはご苦労様と言いたいです。

私は管理人室の寝床の中ですが。

これが我が娘だったら代わってやりたいと思うし、サービス残業など当たり前の報われない仕事は辞めさせたいと思うところです。

 

さて厳しい内容とは知らずに3月から4名の寮生が増えて

12名になります。

私は私にできる精一杯でサポートしたいと思っています。

私にとっては給料は変わらず(献立作りも私の仕事になった)忙しくなりますがいいところは会社はさらに私を重宝に思ってくれるはずです。

 

 
 

また、思ってくれなくてもいいのです。

74歳で辞めた前任者の寮母さんは約20年間会社に期待した挙句、なにも応えられなかったらしく会社を敵に回し日々憎しみで暮らしていました。

「乞食がする仕事」と、ご自分の仕事を捕えていました。

 

24時間縛られる勤務体系ですから息抜きにもろもろの知恵がいります。

4年経ってやっと私のやりやすい道を見つけました。

火、木の午前はまったくフリーの時間にすること、宅急便受け取りは午後12時から6時まで厳守と決めますと午前が動きやすくなりました。

 

その空けていた曜日の午前に娘と私の診察日が期せずしてぴったり合ったのです。

娘は木曜に、私は火曜日に、最初からまるで綿密に計画していたかのようにです。

また十字架を背負っての毎日ですから会社に物申す元気も余裕もありません。

主に置いて行かれないようにすがるのに一生懸命な毎日なのですから。

 

会社はどうであれ給料を払う側ですから敬意を払うべきと私は考えます。

63歳で採用され67歳になった今、定年のないこの職場は最善です。

私の得意とする料理をメインの仕事とできる幸いを心から感謝しています。

神様は私に最善の仕事と場所を与えてくれました。

 

西宮での喫茶店時代、私はなりふり構わず仕入れに自転車で東奔西走、無給(経費がかさんで利益が出せなかった私の責任)で朝4時から働きました。

わずかな年金と娘が広島で働いたデオデオの失業保険に助けられました。

 

一年4か月後、主がストップをかけてくださいました。

そうでなかったら私は倒れていたでしょう。崖っぷちというより崖から落とされたと思えた時、恵みのこの職場に導かれてきました。

崖っぷちではなく崖の下にイエス様は居られるのです。

喫茶店のお客様数人から33万円という軍資金をいただきました。

 

ここに来て確かに問題は起こり、神経を逆なでされることがありますが、

笑って流す術も知りました。

スローな馬車に乗せられた感がありますが老い行く私には心地よく、御するイエス様の背中を見ながらも窓の景色は変えられていき同じ日は一度もありません。

スローと言っても秒速300キロの地球に乗せられているのですからそれだけでもすごいことではないでしょうか。

 

人はそれぞれです。「置かれた場所で咲きなさい」と岡山の清心女学校の渡辺学長が言っています。

マザーテレサの話に共鳴した女生徒らが奉仕団を組んでカルカッタに行きたいとマザーに申し出ました。

マザーは「ありがとう。でも大切なことはあなたの近くにあるカルカッタに気づいてそこで喜んで働くことなのよ」 と答えたということです。

カルカッタは私たちのすぐそばにあります。確かに!