皆さん、はじめまして!!

 

私は1987年9月大阪・関西医大付属香里園病院で生まれましたうさぎのぬいぐるみ

 

一週間後の退院の朝の事です晴れ

 

私は大きな発作を起こしました 大泣き

 

検査したら、すい臓からインシュリンが出過ぎて

血糖値が異常に低くかったんですアセアセ

 

この事で退院どころではなく急ぎ救急車で

滝井にある関西医大本院に運ばれました 救急車

 

当時、この私の病気は主治医も初めて知る病気だっので

治療の方法も薬も大冒険状態だったのではないのでしょうかあせる

 

母ちゃんは母ちゃんで赤ちゃんの私に3時間おきに

20ccのブドウ糖を5ヶ月間飲ませ続けたそうですあせるあせる

 

当時の私は赤ちゃんで言葉も状況も理解してないので

逆に幸いです

でも、当時の担当医と今も一緒にいる母ちゃんに感謝です飛び出すハート

 

そして5ヶ月の時

私はすい臓を切除する手術をすることになりました

ただし「すい臓を切り過ぎていたら糖尿になる」というリスク話を

母ちゃんは担当医から聞かされていたそうです!?

 

結果、お腹を真横に33針縫う手術は成功したものの

低血糖からくる脳のダメージの後遺症で「てんかん」と「学習障害」の

2つの障害が残りました。

 

また、2才の時に淡路の病院の医療ミスで腸捻転の発見が遅くなり

再びお腹を今度は縦に開いて手術をしました おねだり

私のお腹にはT字に手術痕残ってます。

 

それから2014年(平成27)のことです。

私はいきなり失明寸前の緑内障にかかりました。

その時、診てくれた関西医大枚方病院の眼科のドクターが

偶然私の異常に高い血糖値を見つけてくれました。

同時に背骨ヘルニアにもなり、歩行が困難になりましたあせる

 

赤ちゃんの時の低血糖の後遺症で

精神障害者手帳療育手帳の2冊を持っていましたが

加えて不治の緑内障糖尿病背骨のヘルニアになり

忙しい通院生活が始まりましたあせる 

 

時は遡り平成7年

母ちゃんは私の親権を取るため高知の法律扶助協会の助けで

裁判を起こし勝訴し裁判離婚をしました。

実父は金持ちでありながら1円も養育費を払わず雲隠れを 凝視

 

私は母子家庭の子供として

一生懸命働く母ちゃんの背中を見て育ちました。

 

1995年8才の時

高知から広島に来て「日本キリスト教団広島教会」に

 

2000年13才の時

主の十字架クリスチャンセンター 広島神の教会」今の【TLEA】へ親子で

行くようになり2000年9月8日に私は洗礼を受けました お祝いケーキ

 

感謝な事に私はイエス様を受け入れてからマイナスに見えていたのが

こう意味だったのか、そうだったのか、神の業を見たり体験したりと

日々マイナスからプラスへ変わる人生となり今があります

今日も楽しくイエス様に委ねれるよう信仰を持って今日をむかえてます

 

時にはイエス様から試練もありますが毎日てんこ盛りの退屈しない人生をイエス様と共に今日も歩いてます飛び出すハート

 

世の中には私より、不幸な身の上の人もいらっしゃるでしょう

どうか私よりあなたが幸せであって欲しいと思っています。

今日は、『こばとROOM♪』に訪問してくださり

ありがとうございました花束