本番は 8月1日~のスタートとしたいと思います。

今は とりあえず 練習中です。

 

 

まめ助のブログ

コンセプトは 皆さんと共に歩めるブログ。

 

 

お互い 切磋琢磨 頑張りましょう。

と言いながら わがまま勝手ですから…

<m(__)m>

 

今日の プロローグ 長くなります。

お時間のあるときに お読みください。

 

普段は 簡潔に 短いものにします。

 

(^.^)ご(-.-)め(__)ん(-。-)ね(^.^)

 

 

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ブログ内容は、日常生活、名言、競馬、その他

結局 何でもありです。

8月から書くブログ、もしよろしければ

関心のあるものだけでも お読みくださると

とっても 嬉しく思います。

 

 

 

日常生活

 

昨日アップしたようなものです。

 

 

名言

 

多分 独りよがりになる事でしょう。

硬いものから柔らかいものまで

人生の応援歌(相田みつをさんなど)

ちょっとでも 共感いただければ、

そんな思いで 綴ってみます。

 

 

競馬

 

お馬さんは ギャンブルという思いがありパスしてきました。

ところが、22年前 友人が苦労して牧場を立ち上げました。

それで、お馬さんに会ってみました。

つぶらな瞳が可愛く まめ助の腕を甘噛みしてきます。

そして 走るときには 一所懸命です

ちょっと お馬さんに興味が湧きました。

牧場では 競走馬を預かり 面倒を見ているとのこと。

友人は 競走馬の持ち主です。

馬の名前をつけてみるかね、という話しになり、

今まで 5頭の名前をつけさせてもらいました。

5頭目は 近々 競走馬としてデビューします。楽しみです。

7年前 最初の名前をつけたお馬さんが中京競馬場で走りました。

その時 初めて 応援馬券を購入いたしました。

今では 中央競馬 地方競馬にも 奉仕しております。

奉仕した金額は ○○○万円(泣き)です。

とはいうものの 熱くなりすぎないように 愉しんでいます

最近では、GⅠ馬の ストレイトガールに会うことも出来ました。

ということで 素人として 競馬のことを書くこともあります。

 

 

その他

 

教育に40年以上関わって参りました。

それで、書きたくなったら 何でも。

 

 

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いいね ペタ をいただくこと多いですが、残念、読まれていない方もみえます。

まめ助は、勧誘や商売っ気のあるブログ以外の方は なるべく読ませていただき

いいね 又は ペタを つけさせていただきます。

 

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それでは 今日は 名言 を

 

細井平洲

 

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細井平洲(ほそいへいしゅう)

 

江戸時代中期から後期の折衷学派の儒学者。

名君として名高い米沢藩主・上杉鷹山(治憲)の師。

本姓は紀氏、諱は徳民、一般に知られる平洲は号で、

号はほかに如来山人、通称は甚三郎、字は世馨。

尾張国知多郡平島村(現・愛知県東海市)の

豪農の家に生まれ、幼い頃から学問に励み、

名古屋の折衷学派の実学者・中西淡淵に師事した。

長崎に遊学後、江戸で私塾「嚶鳴館(おうめいかん)」を開き

身分を問わず学問を教えた。

45歳の頃、まだ江戸にいた上杉鷹山の師となり、

鷹山が米沢藩主に就任し藩政改革に着手すると

平洲は鷹山に助言を与えたり、藩校「興譲館」の創設に

尽力するなど(校名の命名者も平洲)活躍した。

53歳の時には御三家の筆頭・尾張家に招かれ

藩校「明倫堂」(現・愛知県立明和高校)の督学(学長)に就任した。

農村をまわって庶民教育にも力を注いだ。

著書に『嚶鳴館遺草』『詩経古伝』など。

 

平洲の故郷である愛知県東海市では

地元の偉人として今も深く敬愛されており、

平洲の名を冠した学校や平洲記念館などがある。

墓所は上杉鷹山と同じ山形県米沢市にある松岬神社。

 

 

平洲の名言 藩主就任前の鷹山に送ったもの

 

「 勇なるかな 勇なるかな

 勇にあらずして なにをもって 行なわんや 」

 

何かを行うときの心構えとして

心の中に しまっているものです。

まめ助は、上杉鷹山が好きです。

その鷹山を育てた人物、愛知県人です。

 

以下 ランダムに 平洲のことばを

 

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「子供というのは、いろいろと親のまねをします。

それは、幼いときから、親のしぐさや話を

見たり聞いたりしているからです。ですから、

子供に善いことをさせようとするならば、

まず親が善いことをして、見せるようにするの当然です」

 

「苗木のときにはすべて柔らかく、

まっすぐにも育てられるし、曲げて育てることもできる。

苗木のときから心を尽くして育てれば、

その後はあまり苦労せずに、良い木に成長させることができる

 

「柔らかい苗木だからといって、無理に曲げたりして、

自分の自由気ままに育てようとすれば、

どんなに強い木であっても、傷ついて、やがて、

成長したところで、ひねくれたり、ねじれたりして、

役に立たない木になってしまう」

 

「幼いときから善い習慣を身に付けさせることが大切で、

まだ幼いのだからといって、なおざりにしてはいけません」

 

「成長してから強くて堅い木になるものであっても、

苗木のときは、皆柔らかくて弱いものであるから、

大木の陰でなければ、風雨をしのいで育つことができない」

 

大木としての親や周りのかたが、幼い子の陰日なたとなって、

風雨から身を守るように

 

「人と人との交わりにあっては、この思い上がりの気持ちをなくして、

譲り合う気持ちをもてば、お互いの心が通じ合い、物事もうまく運ぶ

 

「先施とは、先ず施すということです。

人との付き合いでは、相手からの働き掛けを待つのではなく、

自分の方から働き掛けていかなければなりません。

人に親しみをもってもらおうと思うなら、自らが親しみをもって接していく。

人から敬われたく思うのならば、自らが人を敬う気持ちをもつ。

こうした自らの働き掛けが、人の心を動かすのです。

特に、親と子、年長者と年少者、上司と部下といったような

上下の関係にあっては、上に立つ方から、

進んで働き掛けることが大切です

 

「学問するということは、知識を得るためだけのものではなく、

学んだことを生活に生かして、よりよくしていくことが目的なのです」

 

「藩主となるあなた(上杉鷹山)に、大事であると思うこと、

お手本にしたほうがよいと思うことはすべて教えました。

あなたは、これからは、現実の政治を行っていかなければなりません。

藩の人々の暮らしを豊かにしていくためには、

まず自らが身を正しく修めて、絶えず努力して、

自分の信じるところを貫いていかなければなりません。

こうしたことは、勇気のある者だけができるのです。

勇気ですよ、勇気なくして、どうして政治ができるでしょうか

(勇なるかな勇なるかな、勇にあらずして何をもって行なわんや)。

いよいよそのときが、やってきたのです」

 

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なお、鷹山の話は ニャンのブログで 途中になっております。

また、ニャン伝で 仲人の話も 書き切れておりません。

 

名言を 書く中で触れたいと思っております。

 

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まめ助

 

またね

 

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