テレビのニュースを見ていますと、不思議に思います。
殺人事件や自殺、交通事故、家事、強盗(ミクロなニュース)などは毎日起きています。
政治や経済、国際情勢(マクロなニュース)の類は、多くの人の関心を集めることは必然です。
マクロなニュースは社会人にとっては重要な決定要素になりますので、お金を払う価値もあり、
マスメディアが取り上げるのも納得できます。
しかし、ミクロなニュースはどうなのでしょうか。
確かに、その件に関わる人にとっては人生を揺るがす大事件なわけですが、その他の多くの人々
にはあまり影響のないように思えます。
せいぜい、世間話に使われ、時には人々に無駄な心配事を増やすだけのように思えます。
不確実な憶測、解釈も垂れ流しにされ、ニュースを聞いた人は混乱するだけでしょう。
世論への影響力もさほどないでしょう。
今回、私が不思議に思うことは、そのような比較的小さいニュースであるのに、毎日報道されるようなニュースに発展することがあるということです。
現在ホットなところでいうと、「大津の中2いじめ自殺」でしょうか。
インターネットでキーワードを入力すると、あっという間に13,500,000件ヒットしました。
芸能人でもデヴィ夫人がブログでコメントしたり、CMでいじめ撲滅を訴えてみたりと、
社会的な運動になってきた事は間違いなさそうです。
この事件の動向は、今回私の踏み込む所ではないのですが、なぜ、こうした動きが
稀に起こるのでしょうか?毎日、同じような事件が起こる中で。。。
うーーーん??
マスメディア論について勉強しなければならないようです。
なにやら、教育の在り方や法制度、保護の強制力、周辺の人間関係の在り方。
そういったものが問い直されているみたいですね。
まてよ、、、
これって無限ループじゃね??
なーんて考えていると、J・S・ミル「自由論」でもこんなことが書かれて
いた事を思い出しました。
「その意見が如何に真理であろうとも、もしそれが充分に、また頻繁に且つ
大胆不敵に論議されないのであれば、それは生きている真理としてではなく
、死せる独断として抱懐されるであろう」
(出典 岩波文庫 「自由論」 J・S・ミル著 塩尻公明 木村健康訳)
うむむ。頭が痛いですね。
要は、新しく浮上してくる問題は、その時代ごとの情勢に即した問題であるので
、過去から存在する解決法ではいずれは対応しきれなくなる。
つまり、当事者である私たちが、ここで新たな解決方法を見出さなくてはならないと。
だとすれば、ここ最近叫ばれてきた、原発やいじめ等は過去に作られた真理から
大きくずれてきたために、こうして不満が噴出してきていると言えるようです。
傍観者は出てきてはならない。参加せよ。
脱原発デモ、今度参加して参ります。
私たちが考えないで、だれが考えるのでしょうか。
また、考えるだけでなく、行動しなければ、部屋の中で好きな人のことを妄想し続ける
ことと同じですから、なにか行動しなければ、得るものも無いです。
マスメディアの突発的・過剰な取り上げは、国民がなにか歪みを感じている証拠でしょうか。
それとも、一部の上層部がマスメディアを牛耳って、なにかを隠ぺい、真実を歪めようとしているのでしょうか。
私はマスメディアの事はさっぱりわかりませんが、前者であることを祈ります。