藤本 由香里,白藤 花夜子

大学の授業の副読本として使用。男性は具体的なもの(AVやポルノグラフィー)に対して興奮し、女性はイメージ的なもの(読み物、妄想)に興奮する。男性と女性の性感覚の違いが言葉で説明されている。(当たり前か。体験はできないもの。できれば体験したいものだ。)
セックスというのは女性にとって、自分の存在価値を見出すための手段なのか。
最高のオーガズムを迎えることのできない女性は、まだ覚醒できていないじょうたいであり、それは一種の自己開発セミナーになっている。
制度的・風習的に縛られてきた女性のセックスが自由になった今、貞操を守り通すかや、いわゆるヤリマンになるかの瀬戸際に立たされている女性たちが今後どうなっていくのか、気になる。
もっとも、日本において女性の社会進出が進む現在では対幻想なるものはなくなるのではないだろうか?何故ならば、かつては男性の対になることでしか、体を許すことを条件にしか得られなかった社会的地位、自分の価値が、今では自分の努力によって多少は得られるようになってきたからだ。これからの女性のセックスは
①楽をして社会的地位が欲しい女性。
②セックスによる快楽が欲しい女性。
③自己の存在意義を確かめたい女性。
①~③が日本社会においては振りかざすものになるだろう。
世界ではまだ異なることに留意してもらいたい。現在、女性はセックスという原始的武器を切り札に持ちながらも、能力のあるもの、努力したものは立派に社会進出できる世の中になってきているのではないかと思う。
セックスという所作では生産はできない。唯一の生産物は子孫ンだけである。
これからの時代もやはり、セックスは低俗なものとみなされ、貞操を守りつつ自己実現できている者が尊敬の眼差しを受けていくのではないかと思っている。