もうすぐ 丸3年。
アキが旅立ってからこんな月日が経ってしまった。

幼稚園年長だったテルは小学3年生、
小学4年だったカナは中学1年生になった。

アキもこの春ランドセルを買ってあげて
1年生になっていたはず…。
なんて考えるのは無駄 でも、考える。

最近の私は
こころに隙間があるにせよ
通常の毎日を送れている。

でも。
3年という月日を見て
改めて思う。

もう3年も前のこと。
でも我が家にとっては
過去のことにするには
記憶に新しすぎるな と。
この記憶の新しさが
過去のことにできない理由であろうと思う。

ここがおそらく
他所様と我が家との違いなのだと
この前気付いた。
だから思いやりでかけてもらった
「落ち着いた?」の言葉に引っかかってしまう。

私たちは
あの日を過去にするには
あまりにも
まだしっかり、大事に、過酷に、
覚えている。


今年も。
夫と私が2013年から共同で使っている
カレンダーアプリに、
『年休』の文字。
いつも平日に年休取る時には、大概アプリに予定を入れる前に一言「この日休むつもりだよ。どっか買い物あるー?」とか、声をかけるのに。

去年も今年も。
命日はいつの間にか年休になってる。

これが
なかなか表情を表に出さない夫の
大きな涙なんだと思うと。
毎年『年休』の文字に泣けてくる。


セミが鳴き始めた。
また夏だ。
アキの命が天に昇ってしまったあの日を
私はまだ鮮明に覚えている。

まだ過去にはできないのだと。
改めて思う。

そして、まだ未だに
会いたいと思う。
抱きしめたい。
やっぱり。
大事な我が子が目の前で生きてるって。
普通だけど普通じゃないんだと。
強く思う。


アキ。
お母さん、まだ生きてます。
まだ生きてますが、まだあなたが好きです。

私の心は
大切なあなたを失った理由を
未だに問い続けています。
そして答えは見つかりません。

アキ。
会いたいです。
遊びたいです。
抱きしめたいです。



(2022.7.11)