本日1記事目




父のことが怖かった。


父のことが嫌いだった。





そんなわたしが父を

大好きだったのだ、と思えたのは




わたしから連絡を断ち、

父の情報が入らないところまで逃げたから。



わたしへの批判がたまに入れば

その情報は、わたしに流さないでほしいと頼んだり、


さらに父の存在を考えなくて済む環境へ身を置いた。





そうしてみたら

わたしは父を冷静に、

どんな人間であるか考えられた。



それがわたしからの

父の理解、という愛情でもあった。








3年前、

一人暮らしをしていた父が、

脳梗塞で倒れて、

右半身麻痺になった。


左脳のほとんどが機能しなくなった父は、

思考が緩くなり

否定や批判や罵倒がなくなってからは、



わたしから距離を少し近づけて

電話や手紙でコミュニケーションしてる。

最初はまた父はあの父に戻るかもしれないと、おそるおそる。。





昨日ツキイチ声サロンでも

親と距離を置くことの話になりました。




自分の中の大事な場所に、

親がいない

親を入れたくない。


親なのに。

罪悪感がある、と。




もし、

相手に愛情があるとわかっていても

自分がしんどいならば


わたしは、

自分から距離を離したり近づけたり

微調整している。



親でも。誰にでも。




誰とでも仲良く、とか

近くで、は関われないのだ、

と父との関係で教えてもらった気がする。



父は今でも一人がいいという。

家族でいた時も、

誰かと一緒にはいられない。


寂しくてもそれは自分は昔からそうなのだ、と言い


近づけば、

刃物のような言葉や

ヤクザのような脅しや

口より手が飛んできた。




わたしは父の、乱高気流にいつも自分から飲み込まれた。


父のテンションが上がり、怒りを買えば、父はわたしや家族に最悪な犯罪を犯す人、とも思っていた。





テレビを見ていたら、


オメはおとさんが何かで捕まれば

娘として金を集めて釈放しろ。

それがオメがすべきこと。


と説かれた。


娘はいかなる場合も親を優先しろ。


それより、なぜ逮捕になるのか?そんなことを考えてるのかがわからなかった。



ただ、父の愛情はそれで計られていたのだろう。


父はわたしによくお金をくれた。

それが愛情の形。










父はなぜあんなにキレるのか? 

と父を知りたくて

わたしのことより先に気持ちに興味が湧いたのは

父の怒りについてであった。



わたしは父にずっと興味があった。

父はなぜあんなに怒り散らしてるんだろう。



父を理解しようとした何年も、

実は私自身を深く知り、理解していたのだった。



そうなった怒りのメカニズムを

私としてみて

わたし自身が平穏にもなった。





怒りを、

攻撃を、

父を、理解することは


わたしの人生を豊かにした。



わたしにある感情を、理解したから。




父にありがとう💕と言えるまで

長い道のり。

父の日に、

すっかり忘れていた攻撃的な父を思い出す。


ああ、怒り散らす父が、

健やかで元気だったなあ、と。


今朝のお弁当


Meg.