歩けるようになったら、

じゃなくて

車椅子のまま、

右半身麻痺のまま、


やりたいことを叶える。





そのために

お願いして頼んでみて

助けてもらい


実現していく。




父は倒れてからこういうマインドになったのではなく


昔から
こうしてきた。








わたしが弘前に行った日、
偶然弟も東京から弘前にきていた。




父はきょうだいたちに協力してもらい、


トンカツ屋さんに行き、

ねぷた祭りを堪能する。





わたしのブログを時々読んでいる親戚の叔母が、



めぐはパニック症はもうよくなったの?


と聞いてきた。




"うん。症状は変わりないよ。
で、このままでトークショーもやってるの。"




わたしは、
いつになっても変わらない恐怖が


消えることや
なくなることを望むのをやめて


恥をかくのを覚悟して
責任もろもろ取るつもりでイベントを開催し
不安定な体調のまま仕事をしている。





覚悟するまで
17年かかった。






"めご子ちゃんはそうならないといいね〜。"




叔母の言葉に
わたしは答える。




もし、あの子がそうなっても
大丈夫だよ。
だって今のわたしが
パニック症のまま大丈夫で
幸せなんだから。





叔母は更年期のある時期に
動悸がして苦しんだらしく
娘に同じ苦しみをして欲しくない親心なのだ。






目の前の誰かに
わたしはいつも思う。


大丈夫大丈夫。




今のわたしが幸せで大丈夫だから、と。





父や母のように、


いつからでも人生は
素晴らしく、
幸せに満ちたものだと気がつくこともできる。


過去のあらゆる出来事は、

全てが幸せに続いていた道のりで

幸せに気がつくための伏線に過ぎないから。







父や母の


波乱の人生の


わたしは途中から参加して


彩も添えてきた。





また、わたしの人生に

色濃く影響をのこしたのが

父や母で


わたしはその影響から


自分の人生の
限られた時間、
好きなことして生きていい、と

教わった気がしてる。






父が義理の弟に、


丁寧に爪を切ってもらい


その写真が送られてきた。






愛されている幸せな父の風景。


わたしも誰かに
丁寧に爪を切られてもいい許可たち。


わたしも誰かに
なにもかもしてあげたいと
愛情もかけていい選択。





父のように動けなくとも
こうして愛される現実。


母のように逃げても
幸せに生きていいこと。






幸せになるのに条件も年齢も
罪も罰もなく

自分がそう決めたら
幸せになることー。




Meg.