約4年間忘却の彼方へと旅立ったインド行脚を終わらせようと思った。ハンターハンターがいつか終わることを祈って


しかも初めて行ったインド編だけでも終わってないのに東南アジア一周編なども書こうと思ったらもう


続きを書く前に休刊が長すぎたから近況を書く

ここ最近ずっと体調が優れなくて困っていた。最近は取り戻し始めていてひとまず安心している。


1番おおじょこいていたのはたいして飲んでもないのにえげつない二日酔いに悩まされていた。といっても常識量以上には飲んでいたのだろうがとにかくありえないほどダメージが深かった

先月浜松にライブをしに行った際など朝起きたら寝る前と変わらない酔いの尺度で、酔い覚ましにと呼ばれたざるそば一口啜った直後脳が光って爆発しデパートの多目的××トイレで体中の体液が噴出せなんだ。その日は深夜まで酔いが覚めなかった


とにかく内臓の体調が悪く親知らず歯茎奥に穴が空いてしまい口臭にも悩まされている


整腸剤がよいと聞いたのでビオフェルミンを飲めば最初は良い気がしたものの血便続いてビビり散らかしていた


人生で初めて湧いた感情。



運動したいかも、野菜中心の食事がしたいかも、ヨーグルトなんか添えたりして

もうお酒飲みたくないかも





夢にまで見たパンデミックはゾンビワールドではなく大袈裟なインフルエンザだった


へらへらとこそこそ遊んでいたら自分もまんまと患い肺炎で危なかったのできっと100年前だったらコロっとおっちんでいたとおもう。



体調も復活しつつあるのできっと季節の移り変わりのアップデートみたいなものだったのだろうと思う。そういうことにしたい



えらいもので当時の旅の感想を丁寧にもメモを残してあるので思い出しながら書いていこうと思う


前回がヒマラヤに連れてかれたところで終わってた


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その翌日もうおっさんはおらずアルン君と下山することになった



当時ですら酒の朝帰りは何度も経験していたが標高四千メートル下山となると嬉し恥ずかし朝帰りどころではない

膝が発電できるくらい笑っていた

なんでかわからんけど街に着いた途端アルンに100ルピー取られた。近道教えてやったからくれとかほざいて

なんか山頂でのキャンプ代もしれっと払わされた気がする。安かったと思うけど

8時過ぎにでて着いたの16時とかだったと思う


丸一日空けてたもんだから宿屋の親父もおまえさんどこいってただ!?な表情で訝しがられとにかくシャワーを浴びてハイで寝れないから行きつけのチャイ屋に行った


ここのチャイ屋のチャ坊主がほんとにいい子で毎日暇があれば通った。小姓趣味はないんだけど親父も優しいし落ち着くから通ってた



自分がインチキ登山してる間にダライラマがお寺に来てたらしく街は大賑わいだったと後から知り合う日本人に教えてもらった

なんで持ってないんだ。会いたかったよ仏教BIG3に

僕は当時からなんちゃって仏教徒だったから会いたかった本物に。もってねぇな、業だな。


日本食屋があったからコロッケ定食食べたらしい




ダラムシャーラの屋台飯

ケバブとかカレー揚げ芋とかモモって餃子

どれも美味しいんだよ








止まっていた宿がキャンプのバンガローみたいな個室で入り口に丸太のベンチがあるんだけどそこにいると小猫の兄妹が膝に乗ってくるんだよ。むちゃ可愛いんだけど四六時中動いてくれないから煙草を吸うのが億劫だった覚えがある。他にもいろんな四足歩行が二足歩行と坊さんと僕みたいな外人と共存しててみんなぼぉーっとしててよかった。ヤクって毛むくじゃらの牛みたいなのがいたんだけど写真撮り忘れてしまった。肉も乳ものちにゲットするブランケットといいすごくお世話になりました。



とにかく数日ダラダラダラムシャーラ滞在してたけどもうこの山村にも用がなくなったのでさらに北上して次の街に移動をしようと決めた

次の街はマナリー。最後の栄えてる山岳村。噂に聞くヒッピーの溜まり場、バスのチケットは取れるのだろうか


to be continued