こんばんわ星

 

もう5月も終わりますね〜

 

私はすっかり忘れていたのですが

5月は父親の命日でした。

25年も前のことですが。

(↑忘れるなw)

 

父は見た目もカッコよく

よくいろんな人に

俳優さんみたいだと言われていました。

 

(私は父に顔が激似なんですが

なぜか美人ではないのが悲しい・・・謎が深い汗

 

性格も穏やかでいつも

アルカイックスマイル。

そしてミステリアスなところがあり

それが益々魅力的な雰囲気を

醸し出していました。

 

芸術を愛していて

いつも音楽はクラシックを聴き、

美術館にもよく一緒に連れて

行ってもらった記憶があります。

 

私からするとキザな奴と言いますか

父なりの男の美学というものを

大事にしていたような人でした

 

私の父はいわゆる普通の家庭のお父さんとは

ちょっと違っています。

 

なぜかって

私はあんまり父と一緒に

住んだことがありません。

 

まだ私が幼少の頃、父はある日突然

「海の見えるアパートを

借りて住むからよろしく」

と母に言い残して家を飛び出し

茅ヶ崎のアパートで一人暮らしを始めました。

 

そのアパートは海から歩いて10分程度で

綺麗好きの父は整理整頓が完璧な部屋で

休日にはイーゼルにキャンバスをたてて

優雅に油絵を趣味で描き

ラジオやクラシックを聴きながら

海風を肌に感じながら静かに暮らす・・・

という

子育ての喧騒とは離れて

一人心地良い感性のままに生きるという

妻からしたら

勝手極まりない生活を始めました。

 

娘(私)の子育ては全て母に任せて。

そして生活費も母に

ほとんど渡してくれなかったようです。

 

それでも母は最後まで

父とは離婚しませんでした。

 

父は母に

「お前は強い女性だから

一人で生きていける人」

とか言ったそうです。

 

父は毎週土曜日に郵便のみ取りに

我が家へ帰ってきて数時間滞在し

また茅ヶ崎へ帰るという

暮らしを何年も続けました。

 

母は私に

「お父さんは単身赴任をしているのよ」

と話していたため

私は、何の疑問も持たずにそうなんだなと

当たり前に受け止めていました。

 

なので私にとっては

『父親とは毎週土曜日に家に帰ってくる人』

だと思っていました。

 

それについて何の疑問もなかったし

それが当たり前の私の家族でした。

 

今でもその感覚は変わっていません。

私にとって父は土曜日に帰ってくる人。

 

でも私は毎週父が土曜日に帰ってくるのを

とっても楽しみにしていました。

 

だって父は私に会う時はいつも優しくて

沢山遊んでくれました。

 

絵を描いてもらったり

コインゲームを教わったり

公園に連れて行ってもらったり

海で追いかけっこしたり。

本当に楽しい思い出しかありません。

 

クリスマスや誕生日が近づくと

父が帰ってくる土曜日は

より心がワクワクしました。

 

当時は土曜日は学校の登校がありましたから

午前中の授業が終わると

父に会えるのが楽しみで走って帰宅し

父がもう家に到着していると知ると

嬉しくてたまりませんでした。

 

父は郵便を受け取って

土曜日のお昼だけ母の手作り料理を

家族3人で食べて

(といっても父と母の会話は無い)

一息つくと父は帰り仕度をします。

 

帰りがけに私も一緒に駅まで父を見送りに出て

父と一緒にデパートのおもちゃ売り場へ

連れてってもらう。

 

そこでリカちゃんハウスだったり

うさぎの大きなぬいぐるみだったり

竹馬・一輪車・ゲームボーイ

色んなものを父に買ってもらいました。

 

それはそれは嬉しくて

幸せな記憶しかありません。

 

 

そんな父でしたが、

私が小学5年生の時に病気が見つかります。

癌でした。

 

突然降りかかった闘病生活。

そこから手術をしたり入退院を繰り返す。

 

そのうちいよいよ一人暮らしは難しくなり

私が小学6年生の時に

父が我が家へ帰って来ました。

 

私は

もの心ついてから父と暮らすのは初めてで

結構戸惑いもありました。

 

父は綺麗好きなので

タオルの畳み方にしろ

色々細かく注意される。

 

一番悲しかったことは

当時セキセイインコのミキちゃんを

飼っていて

私はとっても可愛がっていました。

 

とある真冬の寒い夜。

父は「鳥は自然で生きるものだ。

飼うものじゃ無い。

臭いし汚いから外に出せ」

と言って聞かず

 

困った母は、仕方なく

鳥かごをベランダに出しました。

 

外は真冬。

 

インコのミキちゃんは

極寒の夜に耐えられませんでした。

 

朝、ベランダの鳥かごの中で

凍死していました。

 

でも母は私に

本当のことを言えませんでした。

 

母は私に

「ごめんね。ミキちゃんの鳥かごを

掃除していたら

誤ってお外に逃がしてしまったの。

今頃、どこかの空を飛んでるかもしれない」

と。

 

それを聞いて私は

必死に外を探しまわりました。

でも見つかりませんでした。

 

ミキちゃんが死んだ理由は

大人になってから

父が外に出せと

追いやったのだと知りました。

 

母はいつも私を気遣って

私が父を恨まないように

優しい嘘をついてくれていました。

 

だから私は、今でも父親のことを思う時

嫌いという感情は全くなく

むしろ大好きだなと思えるのです。

楽しかった父の良い部分だけ

知っているのです。

 

でも、母はそんな破天荒な父を

「なんだか分からないけれど、

同じ感性を感じるの。

めちゃくちゃだし、

とんだ人と結婚しちまったと思うけど

でも深いところのどこかで

固い絆で結ばれてると感じる」

と言っています。

 

それに母はそんな酷い父の

闘病生活を最後まで支えました。

莫大な治療費と私の養育費や生活費。

全て母が一人で

必死で働いてやりくりしました。

 

だから、父が亡くなった時、

全てやりきった。なんの後悔も無い!

むしろ

スッキリと晴れやかな気分!

だったそうです。

 

 

父が亡くなった後、

父が闘病中につけていた

日記を目にしました。

 

そこには父が亡くなる直前に

書いたと思われる

母と私へのメッセージが

書いてありました。

 

「ありがとう。お前と出会えてよかった。

これからは楽しい人生を送ってほしい。○○(私)とも」

 

と書いてありました。

 

父の破天荒エピソードは

他にもまだまだあります。

 

ちょっとありえないほど

意味不明な破天荒っぷりです。

 

 

自分は中国人でなんちゃらって本名なんだ。

天涯孤独で家族もいない。

と話していたので

長年母はそれを信じていました。

(純日本人だったし家族もちゃんといた)

 

父が亡くなる直前に

父に母親や兄妹が存在することが発覚し

(私にとってはおばあちゃんや叔父叔母)

亡くなる直前にお見舞いにやってきて

初めておばあちゃんという人と

初対面しました。

 

おばあちゃんの存在を知らなかったので

母も私もかなり驚きました。

 

おばあちゃんはとっても優しくて

いわゆる普通の温かいおばあちゃんでした。

 

 

さらにもう一つ。

 

父には前妻との間に子供がいるということも

亡くなる直前に発覚。

つまり私とは異母兄弟となるわけです。

 

その兄とは、父の葬儀で初対面しました。

私より12歳ほど年上で

私からしたら大人の人に見えました。

 

母に「お兄ちゃんよ」と言われても

はぁ・・・そうなんだ

くらいの感じです。

 

それからその兄とは一度も会っていません。

今頃どこで何をされているのでしょうか。

 

 

今、

大人になって思えば、

とんでもない父だな!っと思いますし

私だったら絶対にそんな旦那無理だし

まず絶対に結婚なんてしない笑

 

と思いますが、

夫婦っていうのは不思議ですね。

そんな夫婦でも

何か見えない絆があるみたいです。

 


樹木希林と内田裕也を見てると

ちょっと私の母と父の夫婦像と

似たものを感じる気がします。

(今はもうどうちらもお亡くなりになりましたね)

 

そんな破天荒な父は

今、私のことを

空からどう見ているんだろう。


 

不妊治療だなんて。

そんな自然に反した事やめなさい。

とか言ってそうですw



それにしても

父の話をすると

父の思惑通り

なんとも美しい物語みたいに

なりますよね…


家族としてはハタ迷惑な話

ですが

父本人の美学的には

納得いく人生だったのでしょうか。


どうなんだろう。

もっとやりたい事

本当はあったのかもしれません。

が、今となっては分かりません。


到底理解は出来ない方です。


 

 

あ、今日は治療に

全然関係ない話をしてしまいました。

 

だいぶ前にそういえば、

私に今の鍼灸を教えてくれた

ブロ友のももさんが

うたさんのお父さんの話を聞きたい!

ブログに書いてほしい!って

言われたのを思い出し

ちょっと書いてみました。

(だいぶ前だから忘れてると思いますがw)

 

 

 

最後に話はガラリと変わります!!!

 

 

先日、お菓子断ちを宣言

なるべく野菜やたんぱく質

多めの食事を心がけています。

 

とはいえ、不意に出てくる

食べたい欲求は強く

そうゆう時はゆで卵を食べたり

チーズを食べたりして

栄養のあるお菓子にしよう!

と心がけています。

 

とはいえ・・・

失敗してお菓子食べちゃう日も

あるんですが真顔


そんな日は家でダンス動画を見て

1時間程度

運動したりとかしています。

 

しっかし体重は減りませんね。。。

そもそも在宅ワークで

運動が足りてないのでしょうし

今はマーベロン飲んで高温期だったので

痩せにくい時期だんだろなと

思うことにしました笑い泣き

 

鍼灸の先生も言ってたけど

ダイエットは継続が何より大事だから

無理なく続けることが一番ですもんね。

 

多少食べちゃったってしょうがない。

また頑張れば良いだけ。

 

ってこれダイエットブログだっけ?

不妊治療のための

体質改善のための食でした笑



 

↑今日のお昼ごはん

・移植周期には発芽玄米が良いとのことで

発芽玄米開始しました〜

・塩らっきょを母が漬けたそうで

貰ったので添える

(塩っけが強いのでちょっと塩分の

取りすぎが心配なんですが

らっきょは血液サラサラにするので

1日の塩分量を調整して気をつけようと思います)


 

↑今日の夜ご飯

・夜は主食のごはんを抜くことが多いのですが

今日は発芽玄米余っちゃうので食べる

・その代わりこんにゃくステーキでヘルシーに

・冷奴ともやしサラダ

(醤油を切らしてしまいポン酢などを駆使するも

よく見たらポン酢が昆布ポン酢で、

あ!昆布は伊藤病院に禁じられてた!

と思いましたが仕方なく食べました)

 

 

それにしてもお皿が毎回同じ汗

食器棚が無くてお皿を増やしたいのに増やせないから

いつも同じお皿になっちゃってます・・・

 

 

そして最近久々に

あすけんアプリを再開しました音譜

ずっとサボってて放置していた…



 

ご存知の方も多いかと思いますが

食事内容をレコーディングすると

栄養の過不足をグラフにしてくれたり

アドバイスをくれたりします。


 

 

あすけんアプリは

無料アプリなのですが


ゆる糖質制限プログラムがあり

こちらは月額300円くらいだったかな?

 

無料版でも充分使えるアプリですが

糖質を気にしたいので

今回思い切って

ゆる糖質制限プログラムにしてみました。

 

今まで全然みてないアプリに

月額払っていたものがあったので

そちらを解約して、

あすけんの有料版に変更してみました。

 

お金を払ってるからには

頑張って記録していこうと思います◎


 

 

サプリとかは飲んでいるメーカーのものが

あすけん内に無かったので

若干違うメーカのもので記録しています

 

 

このように

今日1日食べたものの

糖質ランキングが出てきます。


 

 

 

お菓子食べちゃって

あすけんの未来さんに

怒られる日も多々あるんですが・・・笑

今日はうまくいきました☆

 


ゆる〜く続けたいと思います!

 


継続は力なりですもんね。