数か月前、弟が両親を弟宅に招き、食事をしました
親孝行で素晴らしい弟です
しかし、後々私は、弟の言葉に深く傷つくことになります。
そして、あの日のことは生涯忘れることはありません。
思い出しただけでも、涙が出ます。
弟宅の食事から数日後、実家で弟家族と私と息子が一緒になりました。
その時に弟が
この前、両親を自宅に招いたのは、両親の負担が大きくて大変だから、息抜きに呼んだ
という内容を言いました。
要は、私と息子が両親に負担をかけていると。
もちろん、私もわかってはいます。負担をかけてしまって、申し訳ないと思っています。
また、私がやっているセラピーを見たことがあったので、弟は
パズルとか勉強とかやる意味あるの?
掃除とかいろいろ普通の生活捨ててでもやる意味あるの?
と言ってきました。
なので、私も、
自閉症にABA療育が効果的で、週20時間するといいこと、2~3歳が伸びる時期で今は何がなんでもセラピーを優先したいと考えていること、答えようとすると、
わかるよ、おねえが言いたいことはわかるよ、でもさ…
と、私の話は聞いてもらえずでした。
両親への負担を注意されたことと、セラピーの否定で、私は、悲しくなり、涙が溢れてきました。
そんな、否定が2時間続き、私は、泣き続けました。
大人になって、こんなに泣いたことはないというくらい涙が止められませんでした。
結局、私の話は聞いてもらえぬまま…
その場にいた母は、泣いてる私に声をかけることも、弟を止めることも、一切ありません。
見かねた弟の奥さんが、わたしを励ましに来ました。
でも、私は、母に来て欲しかった…それも、悲しくて涙が止まりませんでした。
私は、負担という言葉に、息子がお荷物のように否定されたと感じ、悲しくて悲しくて悔しくて…
母や弟には、家族だから、わかってほしいと私が思いすぎてしまったのかもしれません。
それ以降も、弟と普通に接していますが、心の中ではずっとモヤモヤしています。
そもそも私が、息子の多動、衝動、奇声がひどく、実家で過ごすことが多くなってしまっているのが悪いと思います。
だから、きっと弟のような視点が普通なのだと。
でも、今日は、思い出してしまい、涙が溢れてきました。
しかも、2時間程、涙が止まらず、暗い気持ちになってしまい、自分の心を整理するために、ブログに書かせてもらいました。
負担という言葉の破壊力、まだ私の心に刺さっています