源義経が摂津から嵐の中わずか数時間で海を渡り、四国に上陸し軍を集合させた場所がここ《勢合》。





梶原景時と船の舳先に舵を付けるとか、猪武者やとか、揉めて関係が悪なって頼朝に讒言されたとか、いろいろある渡海。

平家物語にはそんなことも書かれとうけど、兎に角打倒平家に向けて屋島へ進軍したコースを小松島市は「義経ドリームロード」て名付けて観光イラストマップに載せてるん。


小松島市のホームページにも載せてるん。




小松島市のホームページ読んだらすてれんきょのブログなんかより詳しいから、すてれんきょのブログ読む必要のうなってまう😩


まぁ、こんなとこ行ったで。いう自己満足のブログやからかまわず書く。




坂の向こうに敵が居るかも?

なので、弓に弦を張って臨戦態勢で進んだ坂。





坂の入り口にある釈迦庵。

仏足石がある。


坂を越えたら弦巻坂なんやけど、車が通れないんでパス。





軍をまとめて気勢をあげた旗山。




ここでトイレ借りよう思てたら、先客が裏から出てくるから、男子は裏やと思て裏にまわったら溝に足はまって転けた😭

遍路さんの表示ややこしい思わへん❓️

そんなトイレの横から階段登って、





義経騎馬像。

騎馬像で日本一高いんやて。

そやけど自立でけんでかまし物しとるし、弓で高さ稼いどうやん。これはずっこいやん。

すてれんきょ的には湊川公園の大楠公騎馬像の方が大きいに感じるな。




正面やと逆光なんで裏にまわって撮ったんで判りにくいけど、迫力伝わらへん❓️





鳥居に向かって右に、反時計回りに旗山を廻ったら、天馬石があるん。

説明板では「池月」の表記になっとうけど、平家物語やったら「生食」でちょっとちごてる。




弁慶てどこ行っても愛されキャラやな。

「弁慶の岩屋]て、言われとうけど、落武者の隠れ家みたいやん。それでも弁慶に絡んだ名前つけたいんや。




新居見山城跡てこの山でエエんかな?

よう判らんけど、近藤六親の居城で200騎あまりの勢力で義経に味方したらしい。
200騎あまりいうたら1万石ほど?
この時代足軽は居てないから純粋な騎馬武者が200騎あまり言うのと、足軽ふくめた200人あまり言うのとやったらかなり違いあるんちゃうやろか?

騎馬武者なら従者2人位付いとんかなぁ?
後の時代には足軽として兵力に入る?
もしそうやったら3万石ぐらい?






くらかけの岩。

新居見城跡からそんな遠ないとこに春日神社があって、その横に義経が鞍を置いたと言われる、

休憩取りすぎちゃうん?

勢合に旗山、ほんでここでは鞍まではずして休憩。
たしか、義経軍は2昼夜寝ずに屋島に駆けつけた。て聞いたけど、どうなんやろ?






横の春日神社は近藤六親の氏神さんなやろうな。
小さいけど、彫刻がなかなか立派やし、蟇股のとこ鹿の彫刻があって、近藤六親は藤原氏やと宣言しのんやろうな。


この後、屋島まで義経軍は進軍するわけやけど、一旦ここで終了。