頼政のおっちゃんの武勇伝語り出したら長う成ってもた。

鵺を2へんも退治した弓の名手も平氏の圧倒的な兵力には勝てんかった。

うっかり以仁王の誘いに乗ったんが間違いやったな。
新宮十郎の情報管理がずさんやった説もあるし。
以仁王も新宮十郎も不遇を嘆いて、一発逆転狙う山師的なとこあるん否定出来んしな。

この当時は家督を譲って隠居するいう概念は無かったんかな?
院政自体が家督を譲っておきながら実権は握っておく矛盾した政治形態やもんなぁ。
今から見たらええ歳して生臭爺さんに見えるな。



そんな事しとったらアッという間に時間が過ぎて、鳳凰堂の中も入る時間のうなった。


京阪で2駅やったかな?
戻ったら、黄檗駅が在るん。
JRも隣り合って在るん。

○○寺町とか、寺の名前が町名に成っとんはようあるけど、山号が町名に成っとんは初めてや。

ちょっと東の方に歩くと






黄檗山萬福寺。






龍目井。
隠元禅師が萬福寺を龍に見立て、目と成る井戸を掘らせたん。







駒蹄影園碑。
鎌倉時代のはじめにお茶の種のまきかたが解らんで困っとったら、栂尾の明恵上人が通りかかって、馬を畑の中に乗り入れて、蹄のあとに種をまくように教えたん。

いきなり明恵上人言うてもピン💡とくる人あんまり居らんのちゃう?





↑鳥獣戯画はたいていの人は知っとう思う。
この鳥獣戯画を所蔵しとる所が高山寺いうて、明恵上人が実質的に開基したお寺なん。
その高山寺に明恵上人が日本で初めてお茶の種子をまいて栽培したん。
つまり、日本のお茶のパイオニア
その高山寺で栽培されたお茶がメッチャ評判良かったらしい。
そんなこんなで宇治の人はお茶で町起こし思い付いたんやろな。
思い付いたんはええけど、明恵上人が植えたお茶は栄西が南宋から持ち帰った種子。
要するにお茶の種子なんかどこにもあらへん。種子からまきかた、栽培方法までぜ~んぶ明恵上人におんぶにだっこ状態やった?
伝説の域を出んみたいやけど、事実やったら宇治の大恩人やな。





明恵上人。





松の樹上で座禅くんだり、石っころを肌身離さず持っとったり、木彫りのワンコ可愛がって側に置いたり、ちょっと変わった人でもあるらしい。




もう1個の龍目井と白雲庵。

もとは萬福寺の塔頭やったらしい。





庭が立派やけど、日本式に枯山水とか池泉回遊式とかとちゃうんや。





お寺らしい石塔があるけど、誰かの供養塔なんかな?





酒樽で修行したらしいけど、どんな意味があるんやろ?






入店する前に画像がいっぱいに成ってもた😩


つづく