“て▪あっしゅ”から妙心寺への道順を調べると、大徳寺前のバス停が繋がりがエエみたい。





北大路通までてくてく歩くと、大徳寺門前に“大徳寺納豆”を売るお店が並んでるん。





あの一休禅師が中国から伝えたという説。
ほんまはどうなんやろ?

職場の後輩に六条の御息所なみの怨霊に憑かれとる奴が居って、去年の正月に天台宗のお札やったのに、効き目が短い。
ちょっとでも善と縁を結べる様に土産に買うたけど、本人の性根が直らんと何してもアカンな。





京都のバス停て、系統毎にバスが何処に居てるか判るん。

地下鉄の駅とか、バスターミナルで観光用路線図が貰えるんで、それを見ながらやと寺社巡りも楽チン。






乗り換え1回で妙心寺前。

現在の京都で敷地が1番広いと思う。塔頭の数も1番やろう。






石田三成の父親▪正継の菩提寺。寿聖院。


 



↑こんなお寺やさかい、読んでな。





三成一族のお墓。

墓地は受付せずに見学でけた。


内部は撮影禁止なんで、画像はないけど、位牌とか父親▪正継の肖像画が見学できる。


三成嫡男で、重家という人が居てるんやけど、関ケ原の時には15歳で、大阪に居てたんやけど、敗戦を聞いて寿聖院に入って得度したんやて。

名前を宗享と改めて、「霊牌日鑑」という石田家の記録を残してるん。
その中に三成は播磨で仕官したいうて書いてるやて。
(学生さんの解説)

これまで長浜のお寺で小僧してた三成を秀吉が気に入って引き取ったのが一般的で、すてれんきょもそれを信じとった。


めっちゃ興味深い話し教えてくれたんで、すてれんきょも三成が仕官したやろう播磨のエピソード教えてあげたん。



秀吉が領内を見回りしてて、喉が渇いたんでお寺でお茶を所望したん。ここまでは三成のエピソードと一緒。

和尚は秀吉がラフな格好してるから秀吉とは気付かんと「お湯はあるけど、これはご領主様に差し上げるためのものや。あんたにはあげられん。」言うて、断ったん。
秀吉は笑って「わしがその秀吉じゃ。」言うて、そのお寺を「湯沢山茶くれん寺」いうて名付けたん。

このお寺は姫路市井ノ口の荒川小学校北隣に現存してる。
ちなみにすてれんきょは荒川小学校卒業。


このエピソード教えてあげたらめっちゃうけた😂


そのうちの1人はすてれんきょの被っとおニット帽に付けとお鳥獣戯画の兎のピンバッチに気付いてくれたん。
鳥獣戯画いうて気付いてくれた人初めてや。





意気投合して、写真まで撮らせてくれたん。
しかも撮影OKな外まで来てくれたん。


あの娘次のお客さんに「湯沢山茶くれん寺」のエピソード話ししてるやろか?