1日の出来事を別けて書くから順番間違っとるわ。
仏性山本覚寺言うお寺が上徳寺のはす向かいにあったわ。
↑京都市駒札。
読んでな。
次々に5本線の格式が高いお寺が出て来るのは流石は京都やな。
鎌倉3代将軍源実朝の正室▪坊門信子の創建で自分の名前を付けた言うんやから格式高いよな。
↑源実朝。
で、昨日の記事にした上徳寺も含めて、この辺り一帯を本塩竃町というらしいけど、内陸の京都で塩竃ておかしい思たら、嵯峨源氏の祖で光源氏のモデルと言われる源融(みなもとのとおる)の邸があった。
↑この人。
鴨川の水を引き込んで、奥州塩釜の風景を再現してて、難波から海水を運ばせては塩焼きの煙りを眺めて楽しんでた。
というとこから町名がついてる。
て、どんだけワガママやねん❗️
因みに当時は河原町通は無かったん。河原町通は秀吉が鴨川を埋め立てて出来た通りやから、水も引き込めるわな。
↑上の肖像は小倉百人一首やけど、河原に住んでるから、河原左大臣て呼ばれてるん。
汐汲みというと、足利義満の時代に世阿彌いう能の創始者が居てたけど、この人の作品に「汐汲み」というのがあって、やはり光源氏のモデルと言われる在原行平が須磨に流された時に海女の姉妹を愛人にしたん。松風▪村雨て名前まで付けてたんやけど、赦されて都に帰る時に置き去りにしてるん。
平安貴族は雅な生活してるイメージあるけど、酷いこと平気でするよな。
須磨に今も在る松風村雨堂。
源融はワガママ人やけど、子孫には凄い人が居てるん。
渡辺綱。
この人は源頼光いうて、すてれんきょのご先祖の家来で、金太郎と同僚やねん。
で、源頼光と渡辺綱や金太郎の家来で大枝山の鬼,酒呑童子を退治してるねん。
他にも妖怪の土蜘蛛も退治してるし、
渡辺綱1人で鬼の茨城童子も退治してるねん。
あと、子孫で有名な人は渡辺渡(わたなべのわたる)いうて北面の武士やった人が居て、嫁さんが袈裟御前いうて、絶世の美女やねん。
大映が「地獄門」ていう映画で詳しく描いてるけど、平治の乱の時に遠藤盛遠いう北面の武士が大活躍したん。
平清盛が戻ってきて乱は収まったけど、清盛が遠藤盛遠に褒美は望む物を言え。言うたら、遠藤盛遠は袈裟御前が欲しい。言うけど、夫の渡辺渡がその場に居てるんやで。
遠藤盛遠は袈裟御前が諦めきれんで、しつこく口説くん。
袈裟御前は困り果てて、遂に今夜忍んできて、夫の渡辺渡には酒をしこたま飲ませて酔い潰しておくから。部屋はここやから、夫の首を跳ねて来て。と、言うねん。
遠藤盛遠が部屋をうかがってるとこ。
首を跳ねたら、袈裟御前やったん。
遠藤盛遠はそのまま逃げて、出家して文覚に成ったん。
文覚が頼朝にドクロを渡して挙兵を促してるのは去年の大河ドラマで遣ってたな。
源融からあちこちに話が飛んでしもた。
京都歩いたら次々にこんなエピソードが出て来るから寄り道ばっかりで全然前に進まれへん。