思い入れが強くてついつい突っ込みが多く成ってしまうすてれんきょです。

官兵衛が小寺政職の近習に成るところから始まるのですが、自己紹介が「職隆が一子、官兵衛孝高にございます。」って、弟たちは抹殺󾬅󾍁
『播磨灘物語』でも弟たちは登場しなかったけど、抹殺しちゃうとKRD24Knights(黒田二十四騎)成立しないやん󾌻

龍野の赤松政秀を播磨で一軒だけの赤松氏のようなストーリーに成ってるけど、ドラマとして複雑過ぎて置塩城の赤松宗家(つまり、龍野赤松の本家で、小寺政職の主家)はカットされて、これからも登場しないのかな?置塩城まで登ったすてれんきょとしては少し残念。
龍野赤松との戦闘シーンが、戦国の時代が進んでいる濃尾地方の織田VS斎藤の戦闘シーンとは違い、足軽はお仕着せの胴巻きもしていない土百姓のまんまになってるのは、信長の中央から見ると田舎の百姓一揆のように解釈してる?播磨人としては納得しかねる!播磨の方が都に近くて、中世の制度が残ってて兵農分離してないので百姓は自腹で鎧は持ってるはずでしょう?
岡田君のハンサムぶりを見てもらいたくて兜を被らないのでしょうが、誰もが月代を剃らなくて、髷を結ったままだし、烏帽子被ったままなのはどうだろう?


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「素敵な金縛り」の更科六兵衛のヘアスタイルが“大童(おおわらわ)”といって、戦時の正しいヘアスタイルです。NHKの時代考証って、ドンドンええ加減に成ってるんじゃない󾬉

官兵衛は生涯槍働きをしなかったそうですが、後にそのことを同僚の大名に尋ねられると「人には得手不得手が有って、敢えて不得手な事をしなかったまで。」と応えたそうです。岡田君の身長は170cmで、そんなに小柄でもないですが、母里武兵衛(永井大)や、黒田休夢叔父さん(隆大介)のキャスティングは大成功だろう。その休夢叔父さんはいつ頃から僧形なのか知らないのですが、増位山随願寺の塔頭に居たそうです。
⇩2月11日に行われる随願寺の鬼追い会です。
https://www.youtube.com/watch?v=rRpZxQjMgEE&feature=youtube_gdata_player
鬼追い会の後には餅まき、護摩焚き、火渡りもあります。

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増位山は廣峰山と尾根続きの山で、随願寺は当時はかなりの規模で、寺領も一万石ほどあったそうです。

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さらに大河ドラマ効果で、いろいろと資料が出てきて、姫路市の北部郊外の香寺町恒屋城を預かって、恒屋を名乗ってた事もあるようです。

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櫛橋左京進が後の展開もあって、当面のライバルとされているようです。とうちゃんの左京亮が官兵衛の肩を持つのは後の展開への布石なのでしょう。
当時は商人の社会的身分がひどく低いようで、堺の商人出身の小西行長も、大した出身でもない加藤清正から「薬屋」とバカにされていたそうです。黒田家の公式記録にも目薬のことは抹消されているようです。


おたつと浜辺デートを楽しんでいた官兵衛ですが、妻鹿に黒田家の城があり、妻鹿の海のような気がします。
その、おたつの名誉のために言っておきますが、廣峰神社の大別当•廣峰氏は鎌倉幕府の御家人帳にも乗っていて、室町の御家人でもあります。従四位下の位階もあり、室町幕府の身分で言えば、廣峰氏の家来と言える御師は赤松氏の家来の小寺氏、浦上氏と同格と成ります。中世の身分で言えば官兵衛の方が低くなります。

官兵衛紀行は御着城趾でしたが、冒頭のグランドの向こうに見える山は、妻鹿の国府山城のあった甲山ではないだろうか?グランドは姫路市立飾磨高等学校のグランドを挟んだ御旅山から撮影したように思えるが、NHKさんVTR間違ってないですか?