お久しぶりです | ふんわりシフォン

お久しぶりです

父の四十九日の法要が終わりまして、またしても脱力しています。



ゴリゴリした人間関係を感じまして、人に理解してもらうため、分かってもらおうと口にしたことが行き違うこともあるのだなと感じました。



ぽかりとあいた穴の深い底には、星を映した水面があって、わたしはその周りを歩いているのです。

時折、覗きこみながら水面が溢れるほど水を湛えるのを待っているようです。





なんで書くのか

自分が辛かったり、苦しかったりした時に、話しかけるのが自分の中のもう一人の自分で、その自分のしたいこと興味のあること…別の人間であったならしたであろうことを書いているのだと思います。



表面的な造形や性別、年齢などを越えた根っこにあるもの。

それは同じで、違うのは興味の対象かもしれません。




人の激しい感情に触れて、わたわたしていましたが、父が穏やかであり、わたし自身も衝突のないなごやかな雰囲気であって欲しいと願っています。



それは意見を言わないということではなくて、お互いの意見を言い合っても上手くすり合わせていけたらいいということです。






余談ですけれど

父のお骨を納骨しました。理由あって叔母のお骨もあります。血が繋がらない祖父のも。

一族とか血族とか言うけれど一緒に生きてきた証が家族になるということではないでしょうか。