ユンギャン河合隼雄氏は、遠藤周作氏の『スキャンダル』(新潮社)を高く評価されておりますね。

遠藤周作氏の『スキャンダル』は、文壇からは、黙殺とは言わぬまでも、中村真一郎氏の痛烈な批判をはじめとして、あまり称賛はされなかった作品のように記憶いたします。

おそらく、文学の専門家からご覧になると、少しく物足りなかったのかもしれません。専門家に異議を唱えるつもりはございませんが、私のような素人読者には、ルドンの絵で飾られた装幀もまことに見事な遠藤氏のチャレンジングな佳品と感じましたものですが。


毀誉褒貶ある『スキャンダル』を、稀代のユング心理学者河合隼雄氏が、高く評価されたことは、私の目にとまりました。とりわけ、三浦朱門氏との対談において、河合氏は、「ぼくは『スキャンダル』がすごく好きなんです。あれは非情に宗教的な本だと思います」と『スキャンダル』の本質を喝破なさったところに、瞠目いたしました。この「宗教的」という河合氏の言葉に、私は思わず、はっとしたものです。

あたかも河合氏は、『スキャンダル』の行間から、「臨床家河合隼雄」氏の前に覚束なげに佇む「クライエント遠藤周作」氏の、声ならぬ声を、耳ならぬ耳にて、聴き取っているかのようでした。あるいは、遠藤氏が自らの心の襞に分け入る捨て身の内的冒険に、寄り添う河合氏、

それはお二人が、和みながらも峻烈に、切り結ぶ連歌のようでもあります。(この姿勢は、河合氏が、埴谷雄高氏の名作『死霊』、あるいは、梶井基次郎氏の「Kの昇天−あるいはKの溺死」を熟読し、評価された姿勢にも通じるのではないでしょうか。)




余談でございますが、

精神科医、ユング派分析家の秋田巌氏は、名著まことに名著の『写楽の深層』(NHKブックス)にて、河合氏との、命の危機を感じるほどの数年間にわたる教育分析の凄みを記していらっしゃいます。

『写楽の深層』は、一読をお奨めしたい、本当に素晴らしい稀有の書です。


大切なお時間を賜りまして、拙文を最後までお読みいただきましたことに、心より感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

何卒ご自愛くださいませ。





主人公のカトリック作家と瓜二つの男が新宿の風俗店に出没していた。ドッペルゲンガーでしょうか。それども、詐欺師なのでしょうか。
作家の無意識を追求する、魂のドラマが始まります。

「青年の時には人間は肉体で生きる、
壮年の時は智恵で生きる、
老年とは次の世界に行くための心そのもので生きるとむかし何かで読んだことがある。
老いれば老いるほど心は次の世界の投影に敏感になるのだと言うが、今のぼくに展げられたこの醜悪の色の世界も次の世界に行くための通過儀礼であり準備なのだろうか。
醜悪世界は、何を教えようとしているのだろうか。
それがまったくわからないのだ。
ただぼくのかすかな希望は、その醜悪世界をも光が包んでくれるのではないかということだ。」(遠藤周作『スキャンダル』246ページ)






「その二年半(河合隼雄氏との教育分析)はただただ苦しいのみであった。文字通り死にかけたこともあった。分析が進んでいくと夢が深まっていく。恐ろしい夢を見るようになるのだ。大量の汗とともにうなされつつ飛び起きたことも何度かあった。そのうちの一度など、心臓が本当に止まった、と思った。分析でこのような凄い夢を見て死にかけました。などと言っても先生は『はあ、そうですか』とおっしゃるくらいでさほどの反応はない。周囲の者は『徐々に影が薄くなっていく、大丈夫か』などと言い出す始末である。」(秋田巌『写楽の深層』55ページ)


三浦朱門氏と河合隼雄氏の極めて示唆に富む対談が収録されております。
また、ご本人には血管腫と告られ、隠されていた吉行淳之介氏の肝臓癌を、宮城まり子氏から極秘裏に遠藤周作氏が教えられていたことなども、日記の中で明らかにされています。


河合隼雄氏の畏友、牧康夫氏の『フロイトの方法』(岩波新書)
私がフロイトに関心を抱くきっかけを賜った、学恩ある一冊。最近再読させていただき、感嘆いたしました。

河合氏は亡き牧康夫氏を想い、涙されました。
また、エラノス会議では、流浪の貴種ヒルコを想い、涙されましたですね。