愛しい「我が子」である折口春洋氏、この春秋に富む若き國學院大學教授を、あの硫黄島の戦いで喪った哀しみの学匠詩人、慶應義塾大学教授折口信夫氏が、戦後すぐの昭和21年、ある随筆の冒頭にて、「文学を愛でてめで痴れて、やがて一生を終えようとして居る一人の、追憶談に過ぎぬかも知れない」と、しるしておられるのが、その時若かった、わたくしの心に刻まれました。

「愛でてめで痴れて」と信夫博士が呟きますとき、それは何とも、暗い華やぎのある、官能的なことばとなって、沁みて参りますね。


世間一般の「正論」「常識」から未熟さを指さされましたとき、折口信夫氏の文藝に、まだ年若いわたくしは、しずかに鼓舞されたものです。それは、かそけくも、勁き、楯のような存在でありました。

同じ想いをなさった方々も、多いのではないでしょうか。

処方箋に、治療薬は「文学」と書いていただいて、心の危うい季節に、服用したかのような、ありがたさ。

これもまた、文学の功徳で、ございましょうか。



  

折口信夫氏と折口春洋氏
(『新潮日本文学アルバム折口信夫』72ページ)

二度目に召集せられて行った春洋を見る為に、
金沢へ行って、一人ひき返した後、私の心を潤すように来た春洋の歌、
其をしみじみ味うている。
けれどもすべては空しくなったのである。
やがては、その春洋を思う唯一人の私すらも、居なくなるこの世の中である。

春畠に
菜葉荒びしほど過ぎて、幻影(おもかげ)に
師をさぶしまむとす

つつましく
面わやつれてゐたまへば
さびしき日々の、
思ほゆるかも  折口春洋

折口信夫「わが子・我が母」
     


『池田彌三郎ノート、折口信夫芸能史講義戦後編』(慶應義塾大学出版会)より


そうそう、お薬の処方と申しますと、余談をあとひとつだけ、お許しください。

精神科医の中井久夫先生は、患者様に処方するお薬、医師自身で嚥んで確かめてみるとよいと座談会にて話しておられましたが、口に含みましたときの苦さ、あるいは、なんとなくの嚥下のしにくさなど、じかに体感した者のことばで、患者様のお耳からお心へ届き得るのではと、これもまた、心にのこりました。

私も家族が一人、統合失調症でございますので、このような先生がいらしてくださるのは、嬉しく、薄い暗闇のなかで、そっと安堵も、いたします。


貴重なお時間を賜わり、最後までお付き合いをいただきまして、本当にありがとうございました。衷心より感謝申しあげます。



中井久夫訳『カヴァフィス全詩集』(みすず書房)、今も私の枕頭の書です。
丸谷才一氏は、「中井久夫さんの訳のせいで、わたしは、なるほどカヴァフィスの詩はこういう息づかい、こういう色つやであったのかと、ずいぶん納得がいった。」と述べていらっしゃいます。
『丸谷才一全集』(新潮社)第12巻、337ページ。「読売文学賞選評」


待望の池澤夏樹氏の『カヴァフィス全詩』も

出版され、ふたつの全詩集を合わせ鏡にして、初めて見えてくるカヴァフィスの風景が、わたくしにはございました。

できますならば、2冊を合わせ読まれますことを、ぜひともおすすめいたします。



「中井久夫の臨床作法」表紙の中井久夫氏