彼とオヤツを食べている時

「今、山奥ニートってやつ見ててさ。
僕の理想っていうか、やりたいって
思ってること、既にやってる人が
いるんだなぁと思って。」

彼はそう言って話し、私は何とも
思わず「ふーん」と返した。

「それで、Yaccoにも見てもらおうと思ってさ。」

私は、、、

「それ調べたら100円くれる?」と返したが
彼からは言葉1つ出てこなかった。

が、
ブログネタも、そうアレコレ種類があるわけでもないので、まーいっか精神で軽くググりました。



山奥ニートとは。
と、いうか、正確には
「山奥ニート」やってます。(石井あらた作/光文社)という本のことを指している。

作者は都会で2年ほどニートとして生き、その際に東日本大地震による福島県の被害を知り、ボランティアとして被災地へ向かい、ドブ掃除をする。

そこでの体験から「誰かに必要とされたい。」という思いが生まれる。そして、同じニートという存在(人種)が集まれば協力して、強い力を持ち何か成し遂げられるのではないかと考える。

そして、いきついたのが限界集落である山奥で家賃0円の建物に十数人で暮らすという、生活であった。

特に筆者はニートではあるものの、アフィリエイトで月2万円を稼いでいるというのだから驚きだ。
上記の本が売れれば、収入はさらに増えるだろう。

つまり、私が誇張したいのは、彼はあくまでニートであり、引きこもりでは無いという事である。

集落の行事にも参加し、集落の人と積極的に関わり、集落に欠かせない存在として感謝されている。
これは、限界集落だからこそだと作者は語る。 

「個」それぞれが重要(貴重)な存在となり、
都会では容易く成し遂げられない
「ニートでありながら人に必要とされ感謝される」という望みを彼は成し遂げたのである。

その様に、自ら活動し、自分の楽しいや面白いを見つけに行ける様な者だからこそ、山奥ニートとして在れるのである。

つまり、山奥ニートとは、
限界集落のような、都会的な刺激の無い場所で、自らの刺激になることを探し、マイペースに人生を謳歌するニートである。

これには、新しい地で出会う人々(地域)に溶け込むコミュニケーション能力が重要といえる。ニートは、全てとは言わないが、働いていないというだけで健常者(一般人)なのである。

一方、引きこもりは周りとの関わりに躊躇する等コミュニケーション能力に問題のある場合が多い。私自身はひとつの病気だと考えている。

だからこそ、ニートと引きこもりをしっかり区別した上で、「山奥ニート」という言葉を考えてほしいと私は考える。