お兄ちゃん | pili mau i ke aloha

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私は9歳から

実家の両親と兄、姉と

一緒に暮らし始めた。


その理由はこちら


突然 家族になった私に

お姉ちゃんはすごく優しくて

お兄ちゃんはそっけなかった

と、思う(6歳離れてたから絡んだ記憶があまりなくて…)


母はお兄ちゃんが大好きで

私たちは冷やご飯でも

お兄ちゃんは炊きたてご飯

おかずはお兄ちゃんが一番目

三浪させてまで大学に行かせ

仕事は真面目に勤めていたけれど

センスなし、彼女なしの実家暮らし

そんなお兄ちゃんを大人になっても

ちょっと冷ややかな目でみていた。


お兄ちゃんをすごく可愛がって

私には厳しかった

母への反発心もあったからかな。


果物を家まで届けてくれたり

時々美味しいものを送ってくれたり

不器用な優しさもあったお兄ちゃん


でもお姉ちゃんや私が

あれこれ世話をやこうとすると

いーんだよ!ほっといて!

って言うから

たまにしか連絡しなかったんだ。



そのお兄ちゃんが死んじゃった。

実家で一人

毛布をかけてソファに横になった状態で


不審に思った宅配業者がご近所に

ご近所が民生員さんに

民生員さんからお姉ちゃんに

連絡をもらってすぐに見にいったけど

もうすでに…


それから警察を呼んで

現場検証に事情聴取

4時間ぐらい別の部屋で待った後

事件性はないと伝えられ

葬儀社に依頼して安置してもらったと…


お姉ちゃんから電話がきて

悲しいというよりびっくりした。

人の命には限りがある

突然のお別れもあるって

わかっていても

自分の家族はまだ大丈夫って思ってしまうんだね。


私は亡くなったお兄ちゃんにまだ会っていないので

全然実感がわかないの。

でもその姿を見たお姉ちゃんは

きっと動揺してるだろうなと思い

実家に行って手続きや片付けをする

と言うお姉ちゃんのそばに居ようと

2日間実家に行った。


ソファがあるリビングに入るのが

すごく怖かったけど

お姉ちゃんは意外に平気そう。

やることリストを作ったり

書類を集めたり

しっかりしてるけど時々ボケた事をして

笑ったり…いつも通りのお姉ちゃんだ。


いつあちらへいったのか

結局死因もわからないまま…

なにがあったの?

お母さんに呼ばれちゃったの?


お兄ちゃん


全然連絡しなくて

早く気がついてあげられなくて ごめん


まだ泣けてないの ごめんね


ダーリンのときは

泣きながらあちこちに電話したのに

ちゃっちゃと手続きしてる  ごめんね


お寺から

戒名を考えるからプロフィールを

と言われて

酒、煙草、競馬…

こんなんで戒名作れる?なんて

笑って ごめんね


通帳見て いくら入ってる?って

お金を気にしちゃって ごめんね


ひとりで逝かせてしまって

しばらく気がつかなかった後ろめたさ

考えないように

それを胸の奥底に押し込めて

普通にお姉ちゃんと話してる

やっぱり  ごめんね だ。


知らせを受けてから4日

そういえば…を思い出してきた


洋楽を教えてくれたのは

お兄ちゃんだったね。


小学生の私

ザ・シーカーズの

「ジョージー・ガール」

Hey there  Georgy girl~♪を

ずっと エ~ビ~ジョージガール

って歌ってた。


シルヴィ・ヴァルタンも

よく聞いてたね


一番私が聞きたがったのは

ジェーン・バーキンと男性が歌う

「ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ」

もうこれが大人で官能的で

囁き声と吐息のような歌声が

私にとって衝撃的だった。

今思えば本当にませた子供だったなぁ



60年代の洋楽は
お兄ちゃんの思い出だ。
また聞いてみようかな

ダーリン
お兄ちゃんをよろしくね。

mahalo