◯注意!
私の記事では私のうつ病の過程を描写していくことになる。そこにはわりと生々しい表現も含まれる。具体的には、
・鬱
・自殺
・抗うつ薬の服用
・吐き気、嘔吐
・その他もろもろ
などなど。精神的に不安定だったり、苦手な描写がある人は全く無理をしなくて良い。この記事を読まなくたって別に人生がどうにかなることは無いから。
以上のことを踏まえた人のみ、この記事を自己責任において読み進めてもかまわない。
◯こんにちは!希死念慮
ああ〜死にてえ〜……。
マジで死にたい。8月になってからずっとメンタル最悪。クソofクソ。情緒不安定の極み。
もうずーっと進路のことで頭を悩ませている。何を隠そう、私は4年生の8月なのにまだ進路が決まっていないのである。大学院を受験するからだ。
もちろん院試に受かればなんの問題も無い。ただのハッピーエンドだ。でも落ちれば地獄行きだ。
私の家には金が無い。私はニートも留年も浪人もできない。昨日電話したら「金は出せねえぞ」とぶっきらぼうに父に言われた。私からしたら父の4人兄弟は全員私立に行かせてもらってる癖になんで私は1人(弟は高卒就職した)なのに国立でひーひー言わねばならんのだと納得がいかないのだが。ゆえに院試の失敗は就職を意味する。ここで重要なのが、私は「働くこと」に関してとんと自信がないと言うことである。
もしも落ちたたら。休学してバイトしながら来年再受験する選択肢がある。もしくはもう就職しちゃってその後社会人として再受験するという選択肢がある。どちらにも言えることは、「私は働かなくちゃいけない」ということだ。それがどうしても怖いのである。
私は一度だけデパ地下のパン屋でバイトをしたことがある。レジ打ちや配膳をしていた。くっそ怒られながら。新人教育係的な人がいて、その人にまー怒られた。なんで質問しないのって言う癖に、聞いたら「普通分かると思いますけどね」なんて冷たく言われて、もうどうしたらいいのか分からなかった。毎日毎日説教をされた。トドメは「私の言ったことを直さなかったらどこのバイトも続きませんよ」と言われた。私はそこを1ヶ月でやめた。
やっべ書いてて涙出てきた。もう昨日からずっとコレなんだよな。ずーっと泣いてる。一度おさまってもまたぶり返す。
私は働くのが怖い。
働くってことを考えると、どうしてもあの人の声と顔を思い出してしまう。また怒られるんじゃないか、今度は何を叱られるんだとビクビクしてしまう。どうしようもない恐怖感に襲われる。実際働いていた時は現実でも怒られて夢の中でも怒られて本当に頭がおかしくなりそうだった。
私はまともに働けない人間だ。発達障害のある欠陥人間だ。その上進学もできなかったら、いよいよ私は何もできない。労働も勉強もできないなら、じゃあ私には何ができるって言うんだ。それこそ死ぬしかないじゃないか。むしろ世界は私に死ねと言っているんじゃないか。
多分このままだと院試に失敗したら私は自殺してしまう。きっとどこかから飛び降りてしまう。それぐらい今メンタルの状態がまずい。今月に入ってからずっと悪い。私の1日は毎朝吐くことから始まる。ストレスが溜まると吐き気に出るのは昔からの変わらない体質。吐くものがないのにゲーゲー便器に向かってえづくのは中々しんどい。
夏休みに入ってから永遠に勉強と死にたいを繰り返している。実は私は内部の大学院も受験していたのだが、それには落ちたのだ。つまり私は院試というものに一度失敗している。もう残りは本命の外部の院試しかない。そしてそこは難関だ。また落ちたら、と考えるのは自然なことじゃないだろうか。
私は手帳の3級も持っているから、就労移行支援も考えた。これは就職する前にビジネスマナーやスキルを身につけてから就活しましょうねという障害者向けのサービスだ。卒業後はこの制度を利用することを考えたが、現実的ではない。というのも、この制度を使っている間はアルバイトができないのだ。働けない人のための制度なのだから当然なのだが。つまり利用中の生活費の問題があるのである。
障害年金も考えた。私は3級の軽度だし、おそらく私程度の障害の重さだと審査に落ちるだろう(手帳の級数で完全に判定される訳ではないが、3級ぐらいでは多くの場合落ちてしまう)。障害年金の受給基準は年々厳しくなっており、そう簡単に通るものじゃないのである。現実的ではない。
生活保護も考えた。生活保護は申請すると3親等以内の身内に「援助してくれませんか」という旨の連絡が入る。これが絶望的に無理だった。家族になんて絶対に知られたくない。となると、この制度も使えない。
障害者雇用はどうだろう。これに関しても色々調べてみた。求人が出ているのは、私の苦手な業務ばかりだった。事務とか警備とか。webデザインとかITとか、私が得意そうなことは大体「実務経験必須」と書いてあった。新卒の私には絶望的だった。
いっそのこと公務員になろうか。でもこれはすぐになれるものじゃない。採用時期も限られるし、ある程度の勉強が必要になる。それに第一そんなに興味がない(し、おそらく向いてない)。
普通の就職は、きっと私にはできない。できたとしてもすぐに合わなくてやめるだろう。普通に生きるとか、普通に働くとか、もうそんな自信はすっかり無くしている。
どうだろう。なかなか詰んでないだろうか。ここまで来るとやはり世界は私に死ねと言っているのではないのだろうか。死があまりにも魅力的な選択すぎるのだが。それに死んだら奨学金の返済も免除される。なんて素敵なのだろう。やはり死は救済?
ちょっと本気で思考回路が不味くなってきたから、誰かに相談しようと思った。でも今はお盆だ。大学も休業期間だし、心理士さんは夏休みに入ってるし、かかりつけの病院も閉まっている。そこで勇気を出して初めて命の電話をかけてみた。何度かかけた。繋がらなかった。いよいよ死のうかと思い始めてきた。
今の私はメンタルがボロボロ過ぎる。ストレスが致死量を超えている。せめてもの慰みにとこうしてブログを書いている。感情を文章にすれば少しでも落ち着くかと思って。本当に死にたい……。
大学は明後日にならないと開かない。開けたとしても心理士さんはまだ夏休み中だ。通院がもうすぐなのは幸いだけど、それだってすぐじゃない。福祉の先生に相談したいが、大学が閉まっている間はお休みだ。かと言ってこんな話友達にできるわけないし、ネットの相談も繋がらない。あれ?これ詰んでない?
◯私が私を殺すには
死ぬとしたら完全に死にたいなあ。死にきれなくて後遺症が残るのが1番最悪のパターン。やっぱり死ぬなら高所からの飛び降りだろう。刺したり首を吊ったりするよりも余程コストがかからないし、一瞬で死ねる。でもあんまり人には迷惑かけたくないんだよな。死体を片付ける人が可哀想だもん。私自身が地面でグチャグチャになった私の死体を処理できたら1番いいんだけど、そうもいかないもんね。
人に迷惑をかけずに、かつ楽に死ねる方法って中々無いんだよねえ。大体どちらかは該当していない。
本当に落ちたらどうしよう。真面目に死ぬしかないんじゃないだろうか。そればっかり考えている。
昨日電話していたとき。父に言われた。
「叔母が死んだら休学でも何でもできるけどな」と。
叔母は、私の最愛の人だ。病弱で、もう何年も通院している。そして私は臓器提供を考えたことがあるぐらい、生きていてほしいと思っている。この人がいれば他は何もいらないってぐらいに愛している。
「何を不謹慎なことを言ってるの!」と私は返した。父は「いやいや、もうずっと病院に行ってるしあり得るだろ」と言った。冗談でも私はそんなことを言って欲しくなかった。
そしてこともあろうに、そんな叔母に対して。一瞬でも。私は「叔母が死んだら私は落ちたとしても生きていけるのだろうか」と。そう、思ってしまった。
……私はなんて罪深い人間なのだろう。私は、酷い人間だ。最低だ。人間のゴミだ。人の死を願うなんて。まして、最愛の人の死を願ってしまうなんて。私には叔母を愛する資格が無い。生きる資格もない。こんな私は死ぬしかない。
もうこれは私が責任を持って私を殺すしかないんじゃないのだろうか。
救われたい、と思うのは罪なのだろうか。苦しみや悲しみから逃れたくて死を選ぶのは、いけないことなのだろうか。そんなに自殺はいけないことなのか。
生きているだけで迷惑だから死にたいというのに、死んだら迷惑がかかるとは何事だ。
泣いたと思ったら落ち着いて、落ち着いたと思ったら泣いて、このところ感情が変だ。ちなみにちょっと前までは泣き止んでたけど、今はまた泣きながらこれを書いている。
耐えろ耐えろ。明後日だ。明後日まで我慢すれば少なくとも福祉の先生とは会える。そしたら相談ができる。これをあと2日間耐える……?そんなことできんの?うう、私死なないでいれるかなあ……。
死にたいを我慢するのは大変だ。包丁から、ロープから、ベランダから離れていないといけない。刃物とか自殺に繋がるものは隠す。そうでもないとどうなるか分かったもんじゃない。
そして何よりもしんどい……。気力を保って我慢しなきゃいけないから当然疲れるのだ。精神的な体力を奪われる。
お金があれば全て解決するけど、そうもいかないから困っている。お金という現実が、どうしようもなく私の喉元を締め上げていく。
なんだかもう、生きるのに疲れたよ……。
◯夢殺し
電話したとき、そこに叔母もいた。「何がしたいの」と言われた。何もしたくないなと思った。
将来の夢が大嫌いだ。
だって何を言ったって、〇〇じゃないと厳しいよとか、それは無理だよとか、みんなみんなそう言うから。じゃあ何?私は何をしたいって言えばいいの?何が正解なの?何なら私は怒られずに済むの?
大人たちはいつも私の語る夢を否定する。だから頑張って頑張って大人の言うことを聞くようにしてきた。あれもダメ、これもダメって。今更好きにしろって言われたって、そんなの全然分かんないよ。
夢って何?
やりたいことって何?
私が語るものはどれも「ふわっとしてる」とか「あいまい」だとか言われる。そして咎められる。私の言う夢はどれもこれも現実的じゃないみたい。私ってそんなにダメかなあ……。
私本当に生きるの下手だなあ。上手な夢の見方1つも分からない。
多分私は精神的にかなり幼い。それは今まで上手く人とコミュニケーションが取れず孤立してきたからだ。そして大学生になってやっと交友関係を持てるようになって、精神年齢が10歳ぐらいになった。やっと私の人生の針は動き出したのだ。
例えるなら、今の私は小学校4年生や5年生ぐらいの子供で、「将来の夢はなあに?」と聞かれている。そんなの空虚な妄想しか出てこないに決まっている。私の体がその年相応だったらそれでいいのだろうけど、体の年齢は22歳だから許されないでいる。どんなに精神的に幼かろうと、私には社会的には一般成人女性としての責任が求められるから。
何をしたいって言えばいいんだろう。この人達は私が何を言えば満足するのだろう。それが分からない。
書くことが好きだから、文章や言葉に関する仕事がしたいと言った。そしたらそれはそういうコンクールに応募しなきゃダメだと言われた。私はそういう小説家になりたいんじゃなくて、言葉を扱うなら広く何でもいいと言った。だったらそういう会社でバイトやインターンをしなきゃダメだと言われた。3年生のとき、私は不登校の時に落とした分の単位を取るのに奔走していて、そんなことをするヒマが無かった。言い訳だと言われた。自己責任だとも。好きでメンタルを壊した訳じゃないのに。
進路の話をするとき、叔母はいつも「でも」と言う。私はその言葉が大嫌いだ。
全部私のせいなんだ。何もできないのも、できそこないなのも、全部全部。みんな私が悪い。私は悪い子だ。人の役に立たない。社会のお荷物。
なんかもう書いてて本当に死にたくなってきたなあ。生きていたらまた書くだろうけど、ちょっと本当にまずい状態にある。
死んでなかったらまた会いましょう。