🟦小学生
仲のいい友達が二人いた。
🟦女子中高一貫校
仲のいい友達が二人いたけど、ずっと無口だった。
そのせいでずっと一入寂しい〜笑など馬鹿にされる。
いじめのようなこともあった。
ずっと無口で家に帰ってからも、妹におねいちゃん友達いないくせにと言われるし、
母からもまともに人間関係も築けないくせになどと言われてずっと死にたいと思っていた。
🟦大学生友達を作ろうとサークルにたくさん入ってが一人だけ浮いていたのでやめた。
🟦学生相談室で死にたいことや
働いても人間関係が上手くいかなんじゃないかを相談してた。
🟦大学3年~サークルで人間関係に全くついていけず、
学生相談室で相談していた所、広汎性発達障害の可能性を指摘され2ケ所の病院で発達障害の診断を受ける。
🟦診断されてから発達障害の本を片っ端から読みまくり、講演会にも行きまくり、
当事者会にも参加しまくった。
・🟦発達障害の診断を受けて、
発達障害の人向けのコミュニケーションプログラムに参加し始めてから、
自分が人と関わると人の迷惑になることに気付く
(それまでは、コミュニケーションが上手くいかないことで自分が困っているという感覚で、
人に迷惑をかけているとはあまり思っていなかった)。
・🟦普通にしていると人に迷惑をかけてしまうという罪悪感と、
人に迷惑をかけないために最大限努力しなければいけないという義務感から、
コミュニケーションのトレーニングやグループワークなどに参加するようになった。
🟦人への迷惑を減らすために、
参加するのは、コミュニケーションが苦手な人対象のプログラムや、
主にひきこもりの人を対象にしているフリースペース、
発達障害の当事者会で話さないで聞いているだけでもOKな会など、
ある程度の迷惑が許容されると思われるものだけに限定した。
🟦それ以外では極力人と関わらないようにした。
🟦しれと同時に、発達障害は改善はしても治りはしないと言われているのに、
コミュニケーションプログラムで「修正」という言葉が何度も出てくることに対して、
「じゃあ一生修正できた状態にはなれないのに、一生修正に取り組み続けなければいけないのか?
そうだとしたら終身刑みたいなものじゃないか。」
と絶望的な気持ちになったり
、発達障害は先天的と言われているのに、
発達障害じゃない人から修正や努力をするべきだと言われることに
不尽さや怒りのような気持ちも感じていた
発達障害だったけどそれを克服して普通になった人から言われるならまだ納得できる
義務感からコミュニケーションプログラムなどへの参加を続けていた。
🟦大学3年の終わり頃~
精神的にかなり調子が悪くなったのと、
このまま続けていても生き辛さが大きくなるだけだと感じたのとで、
就活やコミュニケーション能力改善のための行動を一旦中止した。
🟦今後どうしていくのか考える時間が欲しくなり、留年を決めた。
🟦大学5~6年生
発達障害者向けのプログラムに参加。
他の発達障害者むけのプログラムのように人に迷惑だから修正しろといった雰囲気もなく
、同じような発達障害の人と交流できて楽しかった。就職に向けての準備も出来た。
🟦社会人
障害者枠の契約社員を1年。
一般のアルバイトを2年する。
🟦障害者枠は上手くいかず病むことが多かった、
🟦それ以外のときは調子を崩すなどして、
🟦精神科デイケアや地域活動支援センターに通っていた。
🟦契約社員を契約満了で辞めた後は、学生の時にしたいと思っててできなかった、留学をちょくちょくした。