この事件について思う事を書きたいと思う。
彼が犯した事は当然悪い。
愚かである。
ただ、その事と50dbという難聴の事は
分けて判断して欲しい。
最初に彼を知ったのはNHK特集番組。
凄いと思った。
彼ほどの重度な聴力障害で口話(こうわ)が出来るとはまさに絶対音感の成せる技なのかと。
ただ印象としては…自分に酔ってるのもチラリと。
風貌・服装や、震災で心傷ついた少女との会話の時の彼の話し方に、少しだけそう感じた。
しかし疑いもせず、魂が導かれるように創作活動をしているのだなぁと単純に思って見ていた。
そして事の発覚。
手話サークルで活動する身として、本人の話を聞いてからブログに書こうと思った。
謝罪文は50歳にしては、言葉の選択が拙い感はあった。
今回の会見、やはり最初に感じた自分に酔ってる感は確信した。
創作に関わることは、双方食い違いがあるようで本当のところは分からない。
でも、実の無い事で自分を取り繕って、それを生業とするなど馬鹿げている。
見栄っ張りも病気のレベルだろう。
私が異を唱えたいのは、彼の聴力に関する事。
メディアは端から「やはり聞こえていたのだろう。」と言う見解や報道。
正直反吐が出る。
医療関係者として、聞こえていないのは疑問と出した見解にも、大いに疑問を持つ。
何故聴覚障害を持つ当事者や団体にも聞かないのか?
聴力障害とは0か100ではない。
単にボリュームが小さいのでもない。
聞こえない友人の一人は常にプールの水の中で聞いているように、全てに濁点の付いたように聞こえると言う。
男性の声より女性の声が聴きやすいと言う難聴者の人もいる。
補聴器も感音性難聴と伝音性難聴では効果が違う。
また、人の声だけ明瞭になる訳ではなく、全ての音が増幅されて煩わしいだけだと付けないろう者もいる。
人それぞれ程度・状況は違うのである。
私自身は聴力に問題は無いが、職場の先輩の声が小さ過ぎて困っている。
お国言葉を気にするのと、滑舌が悪いのと性格からか、特に語尾は全く不明瞭。
毎回聞き返せない。
前後のやりとりから判断したり、オウム返し的に聞いている。
まさしく聴覚障害者はそのような日常を送っているのだ。
その判断を誤れば、理解の無い人達からは本人の仕事の能力に問題と誤解される。
また、聴力が戻るなんて奇跡!とバカにした物言いをしているのも目にする。
戻るというのはあまり聞かない。ただ、日によって調子が良い悪いはあるのだ。
聴覚障害者はメニエール病を患っている人、耳鳴りに悩まされている人などが非常に多い。
佐村河内さんが手話通訳を使う事にも異論を唱えている人がいる。
どなたかが、自分で聞こえる部分は聞いて、聞こえない部分を通訳で補っているとおっしゃっていた。
成る程同意。
ただ中途失聴者で手話を選択するのは多くは無いと感じている。
手話は口話にある抑揚やニュアンスの違いの表現を、手話の強弱や顔の表情を使って表す。
時にその表情がオーバーだ、滑稽だと揶揄される。
健聴者同様に口話ができる人も本当にいる。だが、多くは程度の差はあるが違う。
自分はろう者とは違うのだ。
健聴者の社会で生きていけるのだと。
区別する。
中には手話を学び両方の文化を用いる人もいる。
佐村河内さんは手話を、一方的な使い方をしている。
彼曰く、闇(闇と表す時点で理解ない、胡散臭いとは思うが)にいる人々に光を当てたいと活動していたのなら、そこに偽りが無いのなら、自身の発言も手話を使って欲しかった。
(ただ、文法も違う口話と手話を同時に行うのは、難しい。大事な話や込み入った話などは特に。手話通訳者でも通訳を人に頼む時はあるのは事実。)
とにかく、この一件で聴覚障害者に対する誤解が広まらない事を願う。
そして、キッカケに感じた事。
過去の出演番組を一部だけ切り取り、聞こえの矛盾点を指摘するYouTubeを鬼の首を取ったかの如くTweet、それに対し安易に「やっぱ聞こえてんじゃん!」と同調するやり取りを目にした。
彼らはむしろ情弱。
巷に溢れた情報を網羅しているとでも思っているのだろうか?
簡単に鵜呑みにして、踊らされて滑稽ですらある。
もちろん、今回に関しては私は身近にろうあ者がいて、知り得ている立場からの意見ではある。
情報はありふれている。
その中で本当に正しいのか?
中々判断は難しい。
震災の際に、電話も繋がらない中でTwitterが活躍したとあった。
しかし、救助希望など拡散され、助かった後も拡散し情報が錯綜したとも聞く。
だからそういう内容は、公式RTを選択せよと。
今も誘拐事件等の拡散希望Tweetを時として目にする。
だがその信憑性を確かめられないので、私は拡散RTしない事している。
情報の取捨選択、考えさせられる。
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