こんにちは
今日も読んで下さって
ありがとうございます

で、今日はいよいよ移植決定について

腎臓の移植は、できるだけ遠くの未来に設定したい
出来事でした

できるだけ遠く

そう思ってる時点で移植って現実を創ってたのか(笑)

体が大きくなって、

筋肉量が増えていくと
腎臓の機能が

体に追いつかなっていくよ

と言われていて

高校生になって
普通高校に通うのが

大変になって

一年生の冬に

通信制に転校したのです

その後も腎臓の数値は悪くなり

透析、移植、が見えてきたのが
高校2年生の夏でした

家族で相談し
移植を選択したのですが

やはり、賛否あり

私自身、エネルギー、氣や波動
に馴染んでいることもあり

移植については、

複雑な思いもあり

でも、一方で
移植することで、

なんとなく感じる
肩の荷が降りる感
私ができることを

河太郎にしている
満足感


超未熟児で

産んでしまったと言うことを


ちょっと軽くしてくれるような


人生の大きな

タイミングを迎えてる
ような

まぜこぜの感情が入り乱れて

起こることがただ起きている

そう思うと、ただのストーリー

罪悪感や被害者意識

そういったものを

ただ、感じる

それ以上、

それ以下でもない

そんな、

体験になっているのです

時々起こる
恐怖や不安や安堵

それらは、腎臓移植
という出来事で

起こっているように見えるし

私にとっては、

重大なストーリなんだけど

だた、起きてるだけ

と、移植決定に

ついて書いてるけど
ちょっと、意味不明?

ちょうど、

河太郎の腎臓が悪くなっていって
その頃、

ノンデュアリティーと出会って


気づきが深まっていく過程に
腎臓移植がストーリとしてあった

と言う感じでしょうか

ストーリの渦の中では
罪悪感、不安、恐れ、

肉体的痛みへの恐怖
喪失感への不安

などなど、ラベルできるのですが

まあ、全部、

身体感覚として起こっている


そして、

別に私が起こしている訳ではない

そんな感覚で今います











こんにちはチュー

今日も読んで下さって

ありがとうございますびっくりマーク


河太郎の腎臓移植

について書いてます


今回はいよいよ腎臓が

悪くなってきてって

経過を書きたいと思います


河太郎は

超未熟児で生まれて、

1歳前に腎臓が弱い

ことが判ったのですが


特に症状もなく、

食事制限、

運動制限もなく

中学生まで過ごしました


小学校4年生の時に

腎臓の組織を

一部採取して調べる

検査をして

慢性糸球体腎炎

と診断されまた。


その後は服薬をしながら、

経過観察

だったのですが


中学校3年生の夏頃から

微熱、倦怠感が

出るようになって


コロナ禍という事もあって

登校できない日が

増えてきました


だるい、微熱


腎臓が悪化してきて

それまでできていた事が

だんだん辛くなっていった

時期でした


ちょうど中学3年生で

受験も控えていて

学校に行けない、

進路をどうしよう


そのような思いが

親子ともグルグル

していました


その後、高校進学したものの

一年生の秋頃から

また調子が悪くなり


一日を通して

授業を受けることが

本当に難しくなって


「普通の高校生活」

を送りたい

でも送れない


一方で、

普通の高校生活

を送っている

山次郎もいて


色んな意味で

家族が苦しい時期

だったな


↑全然医学的な数値とか

書いてなくて

参考にならないかもですね


当時を思い出すと

砂を噛む思い


その言葉がピッタリですね


わたしのエゴ

そう、全部

わたしのエゴ

なんですよね


〇〇でいてほしい

〇〇であってほしい

〇〇が幸せ


子どもの幸せを願うのが

親の愛だと思うけど


その愛さえ、

エゴまみれで

わたしの都合

わたしのビリーブ


に基づいている


と言うことを

まざまざと

感じた時期でした


次は腎臓移植決定に

ついて書いて行きますね〜



こんにちは照れ
今日も読んで下さって

ありがとうございます飛び出すハート


腎臓移植について②です

そう、

明日には

河太郎の腎臓移植です
ドナーはわたし

と言うことで、

これまでの子育てと
腎臓移植について

書いてききたいと思います

河太郎の腎臓が悪い

とわかったのは
生後1年くらい経った頃

だったでしょうか

超未熟児で生まれた
河太郎と山次郎
1月11日が出産予定日でしたが
生まれたのは10月中旬

産休に入って数日して

お腹が痛くなって
双胎間輸血症候群

と診断されて
超未熟児で生まれたんです

出生児の体重は確か
1200グラムくらい

だったんじゃないかな
(記録したの持ってきて

なくてゴメンね)

その後、NICUに入院して
3月に退院したのでした

もちろん、NIUCに入院中

色んな検査をして、

1ヶ月に1度検診を

受けていたのですが

河太郎の腎臓が

思わしくないのは
近くの小児科を

風邪症状で
受診した時判明したのです

エコーで見てもらって、
詳しく見てもらった

ほうがいいよってと言う事で
NICUからお付き合いしている

病院で詳しく見てもらいました

でも、その時は

目立った症状もなくて
あまり気にしてなかったかも

そもそも、超未熟児で産んでしまったっていう
罪悪感、、、
罪悪感、、、

ストレスフルだった職場とか
初めての出産で

母体がよくわかってなかった
自分と夫とか

もう、攻撃したいよね

そんな中で
良いお母さん
素敵なお母さん
子どもを受容するお母さん

にならなければと
それこそ、

必死に子育てしてきたのですよ

わたしの子育ては
超未熟児で産んだことへの

罪悪感

を埋めることがテーマに

なっていたかも

離れて子ども達を思うと
本当に愛おしいのですよ

こんなに子どもが可愛いと
思わなかった

って、胸がホワーンって
なるんですよね

でも、日々は
〇〇しなくては、
〇〇でなければ

が多かったかも

だって、

不足を埋めたかったんだもの


元気に丈夫に

産んであげられなかった
そんな思いが根底に

あったかもな〜

そんな思いも、

子ども達の成長と
内観や色んな

スピチュアル的なワークで
癒していって、

掘っていって、

また癒す

を繰り返してきたのです

では、

長くなってきたので


③に続きます〜




久々の投稿ですてへぺろ


読んで下さってありがとうございますニコニコスター


私は、今、入院中


高校生2年生の息子

河太郎の腎臓移植が決まって


私がドナーです


ドナー、YESドナーびっくりマーク


と言うことで、移植に向けて

入院中の病室からお届けしております


後2日もすれば、手術です


不安、恐れ、ホッとした感じ

いよいよな感じ


色んな思いがありますが

このストーリーを

ちょっと、書いておこうと言う思いが湧いていて


支離滅裂アンド

時系列バラバラ

かと思いますが


アウトプットする場がある

受け取ってくれる方がいる

(かもしれない)


と言う場があることに

ありがた味ですラブラブ


思い付くままに書いていきたいと思います


が、明後日には手術、


どこまで書けるかなびっくり





ご無沙汰しておりましたあせる

ちょっと、前に書いていた

記事なんですよショボーン

 

私、怒ってましたびっくりマーク

色んな事に

ちょっと、怒っていて

投稿するまでに塩づけ期間を置きましたよあせる

 

では、ちょっと前の私の

怒りを、どうぞ

 下矢印


 

悲しい出来事があって、

どうしても理不尽で

でも、どうしようもなくて

神を呪う気持ちになる

 

この、沈んだ、胸のあたりに

灰色の雲が立ち込めて、

どうにもこうにも動かない感じ

 

それに対して、怒りだと気づかなかった

 

その理不尽さを呪う

現実は自分が創っている

意識したことが現実化する

 

私たちは創造主

 

では、こんな現実を作った神を呪う

創造主である私を呪う

 

そんな出来事があったのです

 

やがては、移り変わって消えていく出来事なのですが

 

ワクワクやハッピーやラッキーやシンクロ

 

これも必然

 

そんなことが吹っ飛ぶできごとを

時として創造する私

 

そんな私を呪いたくなったりしませんかね

 

ワクワクやハッピーやラッキーやシンクロを

つねに求めている私は

 

胸のあたりに立ち込めているのが、

この怒りだとわかったら、

少し元気になってきました

 

そんな時は、この曲ですね

祝ってた

 

 

 

 

車の中で、熱唱するのだ

呪いたくなる出来事に

呪いたくなる夜に