自分が気づかないとそれは確かなものではない。


どんなに今現在苦しくても、
輝きが日々失われていこうとも、
誰からも相手にされなくとも、

過去の偉人を考えてごらんなさい。
みんな持ってる人は、最後には認められる。

それを疑うか、疑わないかは、、、

今、神話伝説が復活したのです。
神話から、過去へ、そして今、現在、未来…

歴史は繰り返される
何も変わらない、変わってないのよ。
つまり基本が基本だけに、三つ子の魂百までなんです。

聖書も古事記もエジプト記も

さぁ新たなる、神話物語の始まりです。
もうひとつの神話物語~
とでは大違い!!


がっかりΣ(|||▽|||)

聞いてビックリ!こんなに素晴らしく素敵な話があるなんてラブラブと思い、知識を広め、見せてもらったら・・・
げぇぇ澈瀇
現実は甘くはなかった。


ところで、ずっーと、一人だけの人だけを思って添い遂げることは出来るのであろうか・・・
出来ると思うけど、人生って山あり谷あり

それからやっぱり最近しみじみ思ったことは、
「年には勝てない!」
ってことです。

マタニティ体験をして、マタニティを知るのと同じく、年寄り体験をして、年寄り気分になった時、冷静な考え方が出来るのか?!ということ。

ストレス溜まる。
絶対溜まる。言い切れると思う。…

『何のために生まれて
何をして生きるのか…』


アンパンマンマーチじゃないけれど、初心に返るとは、どゆこと??
いつに返る?

”人は死という一大事のあることを知りながら、平素はそれを一日送りに先延ばしている。…死が見えてくると不安になり、昨日今日とは思わなかったとあわてるものである。


人の生涯に確かな地位というものはない。運命は天の意のままである。”


人は、能力が優れていたり、個性が強いと一目おかれるか、のけ者外れにされるか、嫌なら上に立つか、逆に優柔、無能になるか、のどちらかなのだ。つまり、出る杭は打たれるってこと。


はてさて、はてさて
知れば知るほど難しい~~~~

『古事記』によると、まず男神伊邪那岐神が我が身の「成りあまれる所」を女神伊邪那美の「成りあはざる所」にさしふさぎて「みとのまぐはひ」をなして「国生み」をなされました。
(国土造成・万物生成)

しかし火の神を生んだ時にイザナミは女陰を焼いて死ぬ。これは産褥熱で高熱を発したのであろう。

イザナキはイザナミが恋しくなり、黄泉国に訪ね行き(墳墓に入ったということであろう)、もう一度帰ってくるようにと懇願したが、イザナミの腐乱死体を垣間見て驚き、逃げ出した。恥を与えたと追っかけてくるイザナミに対し、イザナキは黄泉比良坂に千引の石を据えて、黄泉国とこの世の境界線とした。
これで生死の世界の区別が明確になった。
そこで怒ったイザナミが、一日に千人の人を取り殺そうと言ったのに対し、イザナキは、千五百人を生もうと言い返した。

ここにマルサス主義を待たずして人口増殖の原理が確立した。この過程に人間の始原的なあり方とそれの認識が見られる。

イザナキは帰って潔祓をした後、イザナミに明言したとおり次々と子を生んだ。
女神を失った男神イザナキが独り身でどうして子を生むことができたのかは、いわずもがな…


ともかくもこうして国生みを終えて環境が整うと、その終わりに三貫神を生む。
天照大神・月読命・建速須佐男命である。
天照大神は日の神・太陽神で女神とされているが、ギリシャ神話の太陽神アポロは男神。

月読命は、「つくよ」が月夜、「み」は「わたつみ」と同じく「原始的な霊格の一」即ち月の神、男神である。

建速須佐男命は海神。
姉兄は天上界に君臨しえたのに対し、スサノヲは下界にあらねばならない。
「建」は強者の意。「スサ」は「すさ(荒)ぶ」の語幹である。「を(男)」が付いて荒らぶる強男の意となる。
これを自然界に返せば吹きすさぶ嵐となり、嵐は海のかなたから台風となってヤマトの国に押し寄せてくる。
海の神は暴風神に変身し、台風は天上地上の秩序を破壊する。スサノヲはそういう秩序破壊者、つまり反逆児として性格を持たされていた。


なんか聖書も古事記も、まぁぁー、難しい言葉でいろいろ書いてますけど…、結局子作りして、競い合い、嫉妬やら戦いやら裏切りやら、世界広しと言え、どっこも一緒じゃん。今も昔も。違うの男神か女神かのことだけで、初心に返るってことは、自然に返るということなのか??

もう疲れた(´△`)アァ-