みなさん、はじめまして。

「はぴはぴえいご」代表のゆみですおねがい

 

鹿児島県で生まれ、引っ越すこと20回以上。。。

鹿児島に帰ってきました。

 

8歳の男の子、3歳の女の子の母です。

 

わたしの英語との出会いから、英語講師になるまでをお話しします。

 

小学高学年で「英語」が存在することを知り、英語のトリコになりました。



中学生。英会話が大好き。

でも、単語がなかなか覚えられず、

文法は、テスト前の丸暗記に頼った中1、2年。



中学2年生で、市のホームステイプログラムに参加したくて、必死で勉強し、夢が叶います。



中3のころ、【ある法則】に気づき、

一気に英語学習がラクになりました。

 


高校生になり、文法、長文読解だらけの授業が好きになれなくなりました。

「勉強にする意味」を求めて、モヤモヤ。

人と合わせるのがイヤで、モヤモヤしていた時期。



その後、鹿児島県の短大(英語英文学科)へ進学します。自分が好きな英語だけを学べるので、必死に勉強しました爆笑

 


卒業後就職。



「英語の先生になりたい」私は、アメリカ・ウィスコンシン州立大学リバーフォールス校の3年生に編入します。

これまでの「文法・長文読解」中心で学び続けていた私は、アメリカに着いたとたん、意思疎通ができず苦しみますガーン

 

留学中、TESOL(第二言語としての英語習得法)を専攻し、コミュニケーション障がい学を副専攻しました。

「英語ができない自分」を自覚していたので、日本人が全くいない寮やアパートシェア、アルバイトをして、英会話を習得していきました。

 

TESOL(第二言語としての英語習得法)では、様々な指導法をまなぶだけではなく、実際に英語を使ってレッスンをしました。また、現地の幼稚園や小学校で見学したり、実際に教えたりしました。



コミュニケーション障がい学では、スピーチセラピー(ことばの教室)を実際に受講し、英語の発音を磨いたほか、言葉を話すのに必要な知識を専門的に学びました。

 


卒業するころには、「夢を英語で見る、日本語と思って実は英語で話していた」までになっていました。

 


帰国後、学習塾の先生として勤務をスタート。(そのころ、鹿児島には英会話教室自体がそんなになかったんです)私は、英語、算数、数学を、「どれだけわかりやすく・シンプルに伝えるか」を心掛けて授業を行いました。(説明が長いと集中力持ちませんよね・・・)志望校合格を、泣きながら伝えに来てくれた生徒様の顔が、今でも忘れられません。

 

でも・・・どうしても「英会話の先生」になりたかった私。福岡県へ向かいます。

読み書き(フォニックス)や英会話、英検指導、リスニング指導を行い、合格者も輩出しました!

 

 

つづきます…