★2011年3月11日に怒った東日本大震災は、前代未聞のマグニチュード9という地震であり、福島に大津波をもたらし、10万人の命を一気に奪いさるという、スペクタクル映画を超える、現実の脅威の大災害でした。
しかし、この大津波の被害さえ、覆い隠してしまったのが、同じ福島にあった、日本最古の原発である、福島第一原発のメルトダウン・メルトスルーの放射能被害でした。
この事故は、世界の原子力発電所の事故として、世界の三大事故に位置づけられ、世界中で知らぬ人のいない大事件となりました。
事故は、まだ完全に収束したわけではなく、もう一度、大地震がくれば、今度こそ、日本は放射能の海に侵される事になるという状態です。
このまま、原子炉の処理が進んでも、その作業には、40年(おそらく、それ以上)の時間がかかるだろうといわれています。
原子炉で電気をつくってもうけるはずの原子炉が、稼いだ電力以上の労力をかけて、解体・閉鎖されようとしている。
この恐るべき矛盾。
こんな危険な原子炉は、どうしてこの世に誕生しなければならなかったのでしょうか?
★事の起こりは、第二次世界大戦、日本に落とされた原子爆弾の開発に由来します。
もともと、アメリカ連合軍が、ナチスドイツの脅威に対抗して開発したのが原爆ですが、戦争が終わる前に、ナチスが降伏したので、日本に使われたのです。
その経緯は、ともかくとして、せっかく開発した原子力エネルギーなのだから、その技術を『平和目的』に転用しようとしたわけです。
それが、原子力を使った発電、原子力発電でした。
余談ながら、原子力エネルギーの利用法は、他にも、地震を起こして、山を崩して住宅地を作る、海を蒸発させて、土地を作る、などが考えられていました。
原爆の地下実験・水中実験などは、その事を視野に入れて行われたものでもありました。
しかし、この計画には、致命的な欠陥があったのです。
★それは、原子力エネルギーからは、放射能という怪物が生み出される、という事です。
放射能は、わずかな量でも人体に致命的な害(細胞核内のDNAを破壊し、全身の細胞をメチャクチャにしてしまう)をもたらし、しかも、一度、大気中に巻き散らかされると、除去はほとんど不可能、しかも目に見えず、世界中に拡散してしまう、という恐るべき毒なのです。
世界中にある原発のどれか一つでも事故を起こすと、それだけで世界が破滅する、といって間違いありません。
また、原子炉を使った後も、放射性廃棄物という核のゴミが出て、しかもこのゴミを処分する方法はありません。
★これだけ聞いても、すごく危険なもので、到底、人間に扱いきれるものではなさそうですが、その原発や原爆は、どうしてこの世に無数に存在するのでしょうか?
★一つは、アメリカとソビエトが繰り広げた冷戦で、お互いににらみをきかせるための兵器として、核兵器が開発され、その生産工場として原発が利用された、という事情があります。
そして、その生産は、両国の間に、核抑止条約が出来るまで、無制限に続けられていました。
そして、一つは、原発を生産して販売するメーカーが儲けを出すためでした。
原発が開発された当初は、原子力や放射能の事を、いまほど、一般の人たちはよく知らず、こわがらなかったため、メーカーは、人々の無知に付け込んで、政治家や実業家に原発を売り込みまくったのです。
そのため、粗悪な技術の原発が何百機も建設されました。
そして、今頃になって、原発は怖い、と原発を捨てようという運動が持ち上がったのです。
★日本では、読売ジャイアンツのオーナーとしても有名な正力松太郎という人物に、アメリカのCIAが原発を売り込んだのが始まりです。
原発はいい物だ、と思い込まされた正力は、自分の読売新聞まで使って、原発をアピールしました。
ちなみに、正力は、原発推進の功績で、総理大臣にまでのぼりつめようという野心を持っていました。
★原発の技術者は、原発が危険なものだという認識を持っていました。
しかし、会社にはさからえず、黙って原発を造りました。
経営者たちは、原発がどういうものかも知らず、ただ、投機の対象として、原発を売り買いしていました。
政治家にいたっては、、もっと酷く、リベートや見返りを期待して、放射能の事など知りもしないのに、原発を国に入れました。
★原発が開発された60年前は、これから更に60年たてば、技術も進歩して、放射能さえ無毒化できる、と楽観していました。
なにせ、月にロケットを飛ばし、生命すら操作できるという技術が生まれていた時代です。
数十年先の科学技術をもってすれば、出来ない事はないと信じ込んでいた時代です。
しかし、現実の原子炉の安全性は遅遅として進まず、放射能を無毒化するなど、夢のまた夢の話です。
★原発が出た当初は、放射能はカラダにいいというエセ科学が乱立し、放射能入りの化粧品や健康飲料水まであったぐらいです。
今、考えれば笑い話にもならなと思うかもしれませんが、60年前、世間のみなが、その無知に踊らされていた時に、自分はだまされるわけがない、と言い切れる自身が、全ての人にあるのでしょうか?
結局、原発というものの危険は、我々、一人ひとりの無知と目先の欲におぼれた考えがもたらした、因果応報の結果といえるでしょう。
原発の危険、福島の被害は、我々、国民、全員がかぶらなければならない責任の上にある事なのです。
今こそ、それを自覚する事が必要でしょう。






