なんか 違うような気がする
それは 「こうだから こう」と言う発言
ブログでも 書いてますが
私は 今年の2/18から 縁があって
介護の世界で 勤めてます
正直 私が一生の中で しないであろう
という職業の中の1つです
なので 私には 多少なりとも
勤めながら 反面 「抵抗感」を持つことも
あります
一番最初は 「入浴介助」でした
先日も書きましたが 介護度3の
男性で 65歳くらいで 「若い方」です
特徴は こちらの問いかけに
反応することは 殆どありません
要するに 社会的生活を出来る人間だと
「思ってなくても 人に合わせることが
出来る」と言うのが 特徴になりますが
その方は 「人に合わせる事はない」
わけです
また 身体的特徴としては
排泄機能が低下してるので
自分での排泄がコントロールできない
リハビリパンツを着用していて
尿の量も多いので それに対応するために
パッドも更に着用してるわけです
通所にいる時間の中で
三回ほど お声かけをして
トイレ誘導をする
要するに … 公共の場である
「通所の中での お漏らし」を
させないようにしているわけです
ここに至るまでの 先輩方の知恵と
努力 ほんとに素晴らしいです
私は先輩から「こうしたらいいよ」を
教えてもらっているわけです
さて
今日の話は 「こだわり」について
でも この「こだわり」って
認知症だから こだわりが 強い
というのでは 無いとおもう
でも 話を聞いてると なぜか
「認知症の人は こだわりが強い」
とか
「自閉症の人は こだわりが強い」
とか
本や メデイアで表現されることも
見たことがあります
その情報を「鵜呑みにして」
言っている傾向があるなぁ
と
感じるわけです
たとえ 社会生活をとりあえず
過ごせている部分の私達でも
個人によって 「こだわり」がある
座る場所も 隅っこが落ち着く
とか
食べ物の対する事も そうだと思う
私の場合
最近気づいたのですが
公衆浴場 昔は 嫌いではなかったはず…??
だが 最近 嫌いなんですよね
それも 四年くらい前から
「嫌いなんや」に気づいた
他にも 色々ある
だから 「認知症の人だから」とか
「自閉症だから」とかでは無い
と思う
私たちは 自分の今の状態からの
判断や 想像しかできない
年齢とか 関係なく
だって 90歳であっても
シャキシャキ ピンピンしてる人が
現実にいるから
その人からすれば
身体が動かない人の事は
わからないだろう
その人のしている経験が
全てになるし
経験してない人が ダメだ
では ない
「 わからない」から
想像し 妄想し 分析し 判断する
それは
きっと
自分を納得させたい
そして
認知症 とか 自閉症 とか
括りをつける
のは
「 自分は そうじゃない」
と 思っている??
って事なのかなぁ
なんて
書いてるうちに
出てきました
明日から また 仕事です
またまた 一週間 始まります
さぁ どんな一週間になるのかなぁ
あっ
それから
私は おシモの世話をするために
介護職に就いたのでは ない
元気な老人たちを見るために
この仕事をしている