5/2 派遣会社の登録会の後に
40年ぶりに 私は 大阪のとある市に
行ってました
ここは 私が 小学校一年生の六月あたり?から
6年生の秋まで 過ごした場所です
私の生母が 病気入院した為に 私と妹は
父方の実家に預けられました
一年前の三月終わりに 私は 叔母( 父の姉) と
妹に 手紙を出しました
ところが 2度とも 戻ってきてしまいました
ネットで調べられる範囲の事をして
住所も わかったところまでは 奇跡でした
ただ 「訪ねところなし」という消印で
二度 帰ってきました
今日は 登録会が終わった後
行ってみよう と思って 40年ぶりに
その駅に下車して 記憶を頼りに
歩いてみました
さすがに 所々 変わっている
でも やはり 残っている ところもあった
あんなに 遠く感じた 駅までの道は
大人の私の脚では それほどでもなかった
道の幅も こんなに 狭かったっけ?
と 思いながら 歩いた
確か この辺 …と 思いながら 歩いてみたが
私が預けられていた 祖母の家は もう面影も
無くなっていた
あの当時は 日本仕様の家で 狭いながらも
小さな庭があって 緑に包まれていた
その庭を 縁側に座って 眺めるのが
好きで その縁側は いつも私の居場所だった
日当たりのいい日に
庭に咲いていた 沈丁花の花の
甘い香りが 大好きで
その花を摘んでは ママゴトに使っていた
その懐かしい家屋も まったく無くなっていた
近所の建物も ほとんど 様変わりしていたが
はす向かいにある 古ぼけた 文化住宅は
あの頃と 同じ場所にあった
その当時 そこには 女の子と 男の子が住んでいて
私はその部屋へ 遊びに行ったけれど
そこのお母さんが 私に よくしてくれた
母親と離れて暮らす私を 不憫に思ってくれて
自分の子供と同じように接してくれた
この道を 歩けば 叔母が所有する
マンションがあったはず…と
記憶を頼りに 歩いたら それらしい建物が
見つかった
そのマンションの周りも 田んぼだらけだったのに
今は 住宅ばかりになっていた
建物も古くなってて
静まり返って
ポストには 誰の名前も 書かれてない
もちろん 昭和47年の建物で
エレベーターもない
ベランダ側に でてみたりしたが
洗濯物も かかってなくて
だれか? 住んでいるのか?
でも 駐輪場に 自転車がある
あの時 大きく見えた 門のそばの石が
こんなに小さかったなんて 思いもしなかった
一年前に 手紙が かえってきてしまってから
気になっていたけれど
やっと ここに来れた
ネットで 電話も調べてみたけれど
3個ある固定電話の番号は どれも
「 現在つかわれてない」とアナウンスが
流れた
結局 取り扱いのある不動産屋さんの
看板を見つけることができたので
そこまで 訪れてみたが
家主の事を いうはずもなく
時間も時間になってきたので
帰りの電車に 乗った
記憶は 記憶だったが
子供の時と 今では なにもかもが
違って見えた
この場所は 私にとっては
揉め事の多い思い出の場所で
二度と 行かないと思っていたけれど
みれるのなら 父の実家も
みたかったし 叔母の所有するマンションも
見たかったので きて見たけれど
結局 叔母らしき人も 見かけず
表札もなく
妹らしき人も 見かけなかった
なにが したかったのか?
わからない
会いたかったのかも 知らないし
会いたくなかったのかも 知れない
ただ 行って見たかった
死んでいるのなら
なんらかの形で
知らせが来るはずだから
生きているのだろう と
思う
会えたら 会えたで 良かったかも知れない
伯母も いい年齢に来てて
いきてるものは いづれは 死ぬから
そういう年齢に さしかかっていても
おかしくない
今回は これでよかったかも
踏み入れないと 思ってた場所を
歩いて見れたのだから