ヤングケアラーで思い出したことがある。

 

大昔だが私が中学2年の時に同じクラスになった女子がたまに3時間目で早退する。

病気ではなさそうなので本人に理由を聞いてみた。

 

彼女の母親は3人目だと言うのでまず驚いた。

実の母は病気で亡くなり、2番目の母とは離婚し3番目の若い母は病弱で家事はほとんど彼女がしていると言う。

彼女の父は家内工業の小さな工場を営み、家で何人かの従業員を雇い昼食も手作りのを出している。住み込みの人もいるらしい。

その従業員の昼食作りのために早退するそうだ。母親が体調の悪いときは寝込むそうだ。

3番目の母が産んだ弟の面倒もみている。まさしくヤングケアラーだ。

家政婦さんを雇えばいいのに、なんてケチな父親だろうと人ごとながら憤慨した。

 

あの当時はコンビニも余りなかったし、ホカホカ弁当屋もたぶん無かった。

しかし仕出し弁当屋はあっただろう。スーパーだってあったはず。大衆食堂は近くになかったのか?

いつも何を作っているの?と聞いたら昼は時間がないので総菜屋だそうだ。付け合わせの野菜を刻んだり、それに味噌汁とご飯を作る。

従業員には賄い代としていくらか出して食堂で外食してもらうか、弁当を買ってくればいい。

義務教育なのに授業も受けさせず、勉強が遅れるではないか。先生は家庭訪問して家事の負担を減らしてくれるように言うべきではないか?と余計なおせっかいなことを考えたが家庭の事情もあるので口出し出来ないのだろう。

 

彼女は学校にいる時間が一番楽しくて、学校が休みになる春休み、夏休み、冬休みが一番辛くて寂しいと言った。

私は部活に入るように勧めた。

学校が休みでも部活はある。彼女はバレーボール部に入った。

少しは気がまぎれるかと思った。

3年になるとクラスが代わりあまり話す機会も無くなったが塾に行かせてもらっているようで安心した。

彼女の家庭の事情は同じ小学校から来た人なら知っているのだろうが私は一切、彼女のことについて触れなかった。私の仲良しグループは同じ小学校出身の子ばかりだ。

 

裕福な家の子は家庭教師を付けたり塾に通ったりしていたが私は塾に通わせてもらうことは出来なかった。向上心もあまりなかったから適当に公立高に進んだ。

 

あの時にもっと真面目に勉強に励んでいれば大学に行かれたのになぁと後悔も少しあるが、青春時代は十分に謳歌したのでまあいいか。

 

その彼女とは卒業して20年後にクラス会で再会し、お互い結婚して子供もいて平穏無事を喜び合った。