祖母の祖母の書いた本嘉永5年(1852年)に生まれた祖母の祖母が書いた本があることを知... この投稿をInstagramで見る 祖母の祖母の書いた本 嘉永5年(1852年)に生まれた祖母の祖母が書いた本があることを知り、その本を東大名誉教授の杉下守弘先生が、私に下さった。 親族、子孫一同誰もこのような本があることを知らなかった。 思いがけないことがあるもの。 明治12年の本で、当時女性が書いた専門書としては、恐らく近代で最初の例ではないか、とのこと。 この祖母のルーツを何とかたどりたいのだが、3月10日の大空襲で、戸籍から何から丸焼けになってしまい、わからないことが多い。 でもこうして本の現物があり、子孫の手元にやってきたということは素晴らしいことだ。 2012/6/1 金曜日 — 青柳 英介 祖母の祖母である古矢カマは、隅田川の西側、両国広小路に住んでいた。 英国式産婆術を日本で最初に学んだ人で、信頼を得て徳川慶喜家や後藤新平の家のお産をやっていた。私のばあさん(須磨)はそのばあさん(カマ)に連れられて、それらの家に一緒に行った。 徳川家では後の秩父宮妃になられた喜久子さまから、須磨や、須磨や、こっちへ来て一緒にお菓子をお食べと言われた。 高祖母・古矢カマは、明治時代に産婆術の専門書を書いて出版した。女性が専門書の著書を刊行したということは、恐らく明治時代において一番最初の事だったと思われる。「造化生生新論」(国立国会図書館) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/836126 以下は文献に残る高祖母の家の場所。 東陽堂の「新撰東京名所図会」第二十七編、日本橋の三には(明治三十三年十二月発行)、吉川町の「概況」として、かうある、 「裏通りは元柳町に接するを以て、芸妓屋軒を列ねたり、表通りは両国広小路にて商家殷賑を極む。いろは第八支店、一番地(牛肉豚肉販売店)。大黒屋、二番地(美術錦絵画譜画帳出版業)。金花館、三番地(勧業場)。横浜勧業銀行東京支店、五番地。古矢カマ、八番地(産婆)。両国恵比寿屋本店、九番地(餅汁商)。紀文堂、九番地(煎餅商)。」 元柳町は吉川町の隣りの町であるが市役所の「東京案内」に、 「元柳町、昔時幕府の同朋が受領したる地也、その柳原の末にあるを以つて下柳原同朋町及新地と称せり。明治五年四月柳橋の傍にあるより今の名に改む。里俗元と表町裏町の称ありたり。神田川北を流る。」――かう説明される土地である。 #産婆 #産婆術 #産婆の歴史 #英国式産婆術 #明治 #医学書 #徳川慶喜 #後藤新平 #造化生生新論 #助産師 #助産婦 Ryusuke Aoyagi(@dragonbleugoat)がシェアした投稿 - 2018年Jun月27日am8時09分PDT