瀬織津姫 & クンダリーニ…No.194 | 8484yogiさんのブログ

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瀬織津姫No.194

「梅の枝」に絡んで阿蘇の草部吉見神社から出雲の万九千(まんくせん・まくせ)神社に話が飛んでいます。万九千神社では神等去出(からさで)祭において、旅立ちが近いことを八百万神に知らせる為、神官が弊殿の扉を梅の枝で叩き、三度「お立ち!」と唱えるということでしたね。

神等去出の神等(から)は「加羅(から)=伽耶(かや)」に懸けてあるかも知れません。伽耶は栢(かや)などクンダリーニの意味もありました。「クンダリーニ(八百万神)が去り出る」のが神等去出祭かもです。梅は太極であり、陰陽はその太極が分かれたすがたです。枝の部分は太極が北辰であれば、北斗七星となり、それは背骨のエネルギーラインですね。

梅の花言葉は「厳しい美しさ」だそうです。瀬織津媛は桜と梅、両方をシンボルとしているのかも知れません。以前にも記しましたが「梅にうぐいす」の「うぐいす」はアナグラムで「すいぐう=水宮」ですから、水神である瀬織津媛に繋がります。


で、梅の枝の合図のあと、八百万の神々は直会(なおらい)をします。この間、人々は音を立てぬようにしなければならないそうで、鈴の音だけが聞こえるそうです。鈴の音はクンダリーニを昇華すると聞こえてくる音です。自分も聞こえます。直会で神々が頂くのは酒や米でクンダリーニのメタファーとなります。この場合の直会は飲食ではなく、エネルギーが起動していることの表現であろうかと思います。

この万九千神社の祭神は「 櫛御気奴命・大穴牟遅命(大国主命)・少彦名命・八百万神」です。大国主命と少彦名命は自分的には陰陽二神です。宇屋神庭の宇夜都弁(うやつべ)命が降臨した山は大黒山(=大国主命)でしたね。

大国主命と少彦名命を陰陽とすれば、櫛御気奴命(くしみけぬのみこと)が中軸のスシュムナー管にあたりますが、櫛はクンダリーニのメタファーですから、その気奴(けぬ=きの)命となります。要は陰陽和合したクンダリーニ神ということであり、最高神(梅)の意味合いになると解せます。

或いは少彦名命とは同神で瀬織津媛です。気奴は「女の又(股)の気=宝珠」と読めますからね(笑)。一般に櫛御気奴命はスサノオと解釈されていますから、クンダリーニ神ということに変わりはありません。スサノオは朱砂王で水銀王ですからね。櫛御気奴命は熊野大社では家津御子神となります。「家津御子神=けつみこのかみ」はキツネで稲荷神(宝珠・クンダリーニ神)でもありましたよね。

と言うことで、三相一体であって、それぞれが渉入する三体のクンダリーニ神と八百万の神々が万九千神社の祭神ということになります。八百は「百=もも=桃=クンダリーニ」を開く(八)、よろずの神々と解せます。

万九千神社(神代神社)から名前受けした神代神社の宇夜都弁命の都弁(つべ)は「とべ」ということだそうです。名前の最後に「とべ」とつく女性は多いですが「とべ」は「とび」でしたね。「とび=鵄・桃尾etc」もクンダリーニを表しました。

「宇夜都弁=鵜屋とび」ならば、完璧にクンダリーニ神であり、豊玉姫(瀬織津媛)となります。すると、阿蘇と出雲は梅の枝を持ち出さなくてもリンクしています。

日下部氏の祖である日子(彦)坐王(ひこいますのきみ)の妃の荏名津比売(えなつひめ)も別名を「苅幡戸辺・かりはたとべ」と言い、「とべ」がつきました。で、その日子坐王の娘が垂仁天皇の最初の妃で狭穂(さほ)姫命と言い、スサノオと同じように髭が胸先に伸びるまで泣いてばかりいて、口も利けなかったホムツワケの母親となります。

狭穂姫命の母は沙本之大闇見戸売(さほのおおくらみとめ)、その母親が春日建国勝戸売。「とめ」も「とべ」です。「とべ」は女性の支配者的な意味もあります。

「とべ」というと、日子坐王の娘と同じく垂仁天皇の妃となった大国ノ淵の娘も苅幡戸辺でしたね。日子坐王の妃の苅幡戸売とは同じ方と解しましたが…。

この大国ノ淵は音羽山に垂仁天皇の命により音羽山権現社を建てた方ですが、架空の人物だとは思いますが、やはり、調べると大国主命とは何らかの繋がりがあるように感じられます。大国ノ淵は大国不遅とも表記されますが、「不死=(不遅=淵)」であり、大国ノ淵は「不死の大国主命」と捉えられ、猿田彦大神を背負っているように感じられます。

日子坐王の娘の狭穂姫命が垂仁天皇の后となり、その子供が口が利けなかったホムツワケ(ホムチワケ)となるわけですが、ホムツワケはスサノオやアヂスキタカヒコネとの関連が神話研究では言われます。また、白鳥(鵠)を見て言葉を発したことから日本武尊とも関係しそうですが、これらの神々は猿田彦大神と関連しているのでトータルすれば猿田彦大神とも繋がりそうです。

当然、ホムツワケも架空だと思います。

引用。

『誉津別命(ほむつわけのみこと、生没年未詳)は、記紀における皇族(王族)。「日本書紀」では誉津別命、「古事記」では本牟都和気命、本牟智和気命。「尾張国風土記」逸文に品津別皇子。

誉津別皇子は父天皇に大変寵愛されたが、長じてひげが胸先に達しても言葉を発することがなく、特に「日本書紀」では赤子のように泣いてばかりであったという。』

と名前のバリエーションがありますが、本牟都和気命とすれば「本牟の気を和合した命」と解せます。「本」は分解すると「八十一」で八十一(九九)鱗の「竜」でしたね。「牟」は「牛」が入ります。牟は「牛の元(一)を開く(八)」とも読めますし、「八一牛」とも読めますから竜(蛇)と牛とも解せます。要するに本牟は「竜(蛇)と牛」であり、その「和気」とは気を和合するということで竜(瀬織津媛)と牛(猿田彦大神)の陰陽和合と読めます。

また、ホムツワケはホンダワケと名前が似ています。ホンダワケとは誉田別尊で神功皇后の子である応神天皇のことですが、応神天皇は秦氏の神である八幡神でもあります。宇夜都弁命(うやつべのみこと)を祀る宇屋神庭(うやかんば)の神代(かみしろ)神社は以前、宇屋八幡神社という名前でした。神代(かみしろ)はやはり、白神(しらかみ)でしょう。

で、この垂仁天皇の皇子であるホムツワケが白鳥を見て初めて言葉を発し、その白鳥を垂仁天皇の命で追ったのが鳥取造の祖である天湯河板挙で、出雲の国の「宇夜江」で捕まえます。宇夜江は「宇屋谷」で神代神社のある宇屋神庭なのです。偶然この場所に突き当たるわけがありませんから、当然、関係ありでしょうね。

宇屋(宇夜)が「鵜屋(うや)=豊玉姫」であれば、「白鳥と黒鳥(鵜)」で白黒の首の長い(=蛇)鳥の陰陽が揃います。

宇夜江の「江」もエイとか江州(近江)とか海老とかキーワードでした。また、瀬織津媛を背負う如意尼の別名である宇屋居子(うやいこ)は宇夜江(宇夜都弁)の子=宇夜江子(うやえこ)の転訛かも知れません(うやえこ→うやいこ)。

天湯河板挙(あめのゆかわたな)についても何度か記していますが、自分は瀬織津媛を背負う女性(巫女)ではないかという考えです。天湯河板挙は少彦名命(瀬織津媛)の末裔とされますし、少彦名命とのペアは大国主命(猿田彦大神)であり、宇夜都弁命が降臨した山は大黒山で大黒様は大国主命でもありますから、ここにも陰陽が見られます。

滋賀県東近江市の川桁神社の祭神は天湯河桁命、瀬織津姫、稲倉魂神でしたね。鳥取部は鳥に関わる他、鍛治・冶金をする部族であり、鳥取とは「ととり」でこちらも「たたら」の転訛と考えられます。タタラには鍛治の他に錬金術の意味もありましたよね。錬金術とはクンダリーニの技術です。密教の加持(かじ)も錬金術の意味における鍛治(かじ)に懸けた言葉だと自分は考えます。

大国主命が出たところで、この一連の話の元である音羽山に垂仁天皇の命で音羽権現社を建てた大国ノ淵(大国不遅)に関連させると、大国ノ淵の娘の弟苅羽田刀弁(おとかりはたとべ)と垂仁天皇の間に両道入姫(ふたじいりひめ)命があり両道入姫命は日本武尊の后となります。その子供が神功皇后の夫の仲哀天皇です。

日本武尊も白鳥(猿田彦大神)ですから、ホムチワケの白鳥神話とは無関係ではないでしょう。両道入姫の両道とはイダー管とピンガラ管の両(ふた)つの道(管)をいうのではないかと考えます。カリハタトベの妹の弟苅羽田刀弁ですが、この羽田は秦でしょう。

大量の銅鐸が出た加茂岩倉遺跡は雲南市ですが、中国・雲南と言えば苗族です。何故、雲南市と名付けたのか?単に出雲の南ということでしょうかね。神の意思を自分は感じますけど…。銅鐸や銅剣をつくるのは鍛治ですから、青銅神の蚩尤(しゆう=猿田彦大神)を神とする苗族や秦氏がここには関わっていると思います。

で、ホムツワケですが、鵠(くぐい・白鳥)が空を渡るのを見て 「是何物ぞ」と初めて言葉を発したのですが、鵠は分解すると、あとちょっとで「牛の口の鳥」となりますね(笑)。たぶん、牛の意は含ませてあると思うのですが…。牛はクンダリーニが鎮まる牛の顔(牛頭)に似た尾骨や仙骨で、白鳥の首から上は白蛇です。それが飛ぶということはクンダリーニの比喩だと思います。

鵠(くぐい・くくい)は「九九い」ですね。白鳥は九九=八十一鱗の蛇や竜でもあるわけです。秦伊呂具が弓矢の的にした餅が白鳥となって飛び去ったその山が伊奈利山(稲荷山)で、山の峰に稲が生じるという奇瑞がありましたが、山の峰は頭頂であり、稲はサハスラーラチャクラです。蓮の花の日本版が稲というのが自論です。


で、稲荷神はクンダリーニ神。秦氏と鵠(白鳥)は無縁ではありません。先程の瀬織津媛と天湯河板挙を祀る川桁神社にも稲倉魂神(うかのみたまのかみ=稲荷神)が相祀されていました。

餅も白蛇でクンダリーニのメタファーですが、弓矢の的の中心の白丸は正鵠(せいこく)を射るというように鵠を使います。的の中心が黒丸の場合は「正鵠を射る」と同じ意味で図星という言葉がありますが、中心を「星」と言います。鵠=星でもあるわけで、この場合の星とは北辰(太極)だと思います。

すると、的の白黒は陰陽(の蛇)ですね。陰陽和合して中心が太極となります。弓は背骨、矢はエネルギーの比喩です。先程のホムツワケと名前が似た応神天皇は弓矢(クンダリーニ)の名手とされます。

ホムツワケが鵠を見て初めて言葉を発したとは、鵠の「告」をおまけして「牛の口」と解すと、ホムツワケが口が利けるようになったという意味は、牛の口が開いたということであり、それはつまり、クンダリーニが起動したということの比喩かも知れません。このことは追求します。

ホムツワケの話にもバリエーションがあるのですが、口が利けなかったのは出雲大神の祟りということが記されます。

で、クンダリーニに関係するようなことも古事記には書かれています。

引用。

『爾其御子、一宿婚肥長比賣。故、竊伺其美人者、蛇也、卽見畏遁逃。爾其肥長比賣患、光海原、自船追來。故、益見畏以自山多和引越御船、逃上行也。』

出雲に出向いたホムツワケが肥長姫(ひながひめ)という美人と一夜を共にするのですが、その正体をうかがい見ると彼女は蛇でした。ホムツワケはおそろしくなって逃げるのですが、肥長姫は正体を見られたことでショックを受け、海原を光照らしてホムツワケを船で追いかけます。ホムツワケは追い掛けてくる肥長姫に一層恐怖を感じて山の窪みを船で乗り越えて大和へようよう逃げ帰ることができました。

というような意味なのですが、これは、イザナギがイザナミのいる黄泉から逃げ帰った時の話、豊玉姫がヒコホホデミ(山幸彦)に鰐(竜・鮫)である正体を見られた話、男女逆では、モモソ姫が三輪山の神の正体を知った時の話、斑駒を天井から落とされ杼(ひ)でホトをついて亡くなった織女の話などと同じパターンであり、クンダリーニの話と言えます。

肥長(ひなが)姫の肥は「巴(ともえ)の月」、つまり、白黒陰陽の二つ巴からなる太極図の陰(月)が「肥」であり、その長(ナーガ=蛇)ですから、要するに肥長姫は陰神たる瀬織津媛(=イザナミ・豊玉姫)をかぶることとなります。ホムツワケはイザナギと同じく逃げたので陰陽和合しなかったことになります。

それは、牛の口が開いて(鵠)、クンダリーニは起動しましたが、未だ、昇華していないということですね。

ホムツワケ(本牟都和気=竜(蛇)と牛の和合)という架空の個人の話ではなく、イザナギ・イザナミがいまだ和合してないように、これは千に一厘足らない「999」の話で、もっと大きな意味でこの話は記されているのではないかと自分は考えます。この場合、出雲は黄泉の国ということは言えますが…。

人体の黄泉は仙骨を境(黄泉比良坂の千引岩・尾閭関)としましたよね。そこに封じられているのがクンダリーニ神たるイザナミ(瀬織津媛=肥長姫)です。国体は竜に例えられ、頭が北海道の場合と九州の場合がありますが、頭を北海道とすると、出雲は丁度、竜のお尻にあたり、そこにクンダリーニは鎮まります。


肥長姫は海を光で照らしてホムツワケを追い掛けましたが、海を光で照らしてやって来たのは三輪山の大物主も同じですね。

海は下腹部の気海で、クンダリーニは金色に光るエネルギーですから三輪山の蛇体の大物主(猿田彦大神)も肥長姫(瀬織津媛)もクンダリーニの比喩ということになります。(荒ぶる)肥長姫も頭頂を抜ければ白鳥です。

で、文中の「船」もクンダリーニの船であり、塩土老翁がヒコホホデミに作り与えた目無堅間船(無目籠船=クンダリーニ船)と同義です。

目無堅間(めなしかつま)の船については大本神諭にも記載があります。

引用。

『富士と鳴戸の昔からの経綸が判りて来たら、世界は激しく成りて、外国が薩張(さっぱり)り帰順いたして日本へ末代従ふやうに成るぞよ。東京の経綸(しぐみ)はミノヲハリ、尾張の経綸は世の終り、伊勢は丹波に丹波は神都(みやこ)、みやこの経綸は万古末代つづくぞよ。

続く血筋は世の本の天と地との直系(ぢきぢき)の日の大神と地の神、天地揃ふて水晶の誠一とつの末永き結構な神代に致すぞよ。神代に成りたら人民の身魂にも御光が刺すぞよ。

暑さ凌いで秋吹く風を待てど、世界は淋しくなるぞよと、今迄出口直の筆先に知らして置いたが、今が其時節であるぞよ。未だ未だ世界は安心な所へは行かぬぞよ。是からが彦火々出見(ヒコホホデミ)の初り(はじまり)であるぞよ。

目無堅間の神船はこれから出て来るぞよ。

水火地(しほつち)の大名(おうな)は何処に現れて居るか、これを知りた人民今に一人も無いが、燈台元暗の誓えの通りの世であるぞよ。』

以上。

富士と鳴戸は鳴戸が国体のムラダーラチャクラ、富士がサハスラーラチャクラと考えます。これからがヒコホホデミの始まりであって、「目無堅間の神船はこれから出る」とあります。

水火地(しほつち)の大名(おうな)とは塩土老翁(しおつちのおじ)のこと、塩椎神(しおつちのかみ)とも言います。塩は潮(しお・うしお)で「うしお=牛尾」、椎は脊椎(背骨)で「つち」には蛇の意味があります。塩土老翁も猿田彦大神でしたね。

ヒコホホデミも猿田彦大神を背負っています。ヒコホホデミの始まりとは個人や世界(大地)のクンダリーニ起動が始まるという意味に自分はとります。ミロク世界に到る為には再生の為の破壊、終末的大峠があるということは自然です。浄化ですからね。

塩土老翁(猿田彦大神)が何処に現れているか、知った者はいないが、それは「灯台下暗し」ということですが、それは、自分の霊的内部にあるクンダリーニ(塩土老翁)ですから、外ではなく、自分自身の中にある故に、灯台下暗しということになると考えます。神は自分を離れて外にはいません。自分の中にいて(アートマン=真我)、その神と見(まみ)える手段がクンダリーニ昇華なのです。

無目籠と表記すれば。籠ですから、竹(エネルギーライン)の下に鎮まる龍(クンダリーニ)ですね。「無目・目無」も意味があるでしょう。「無(なし)=梨=宝珠(クンダリーニ)」「目=まな=クンダリーニ」とか…。

さて、いつの間にか、ホムツワケに話が飛んでますね(笑)。

牛尾山宝厳寺から琵琶湖竹生島、続いて阿蘇、出雲と飛びましたが、牛尾山の牛尾も潮(うしお)で塩(潮)土老翁に繋がります。現在の牛王山(=牛尾山)の名も牛王は牛頭天王であって、塩土老翁は牛頭天王でもあります。神の名前などにあまり固執していては真実は見えないと考えます。

次回、ホムツワケ関連でもう少し検証します。

(続く)