瀬織津姫 & クンダリーニ…No.125 | 8484yogiさんのブログ

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瀬織津姫No.125

前回は吉備の加夜臣奈留美と大和飛鳥(明日香)の加夜奈留美(飛鳥神奈備三日女神)が同一の方であることの再検証をしました。

簡単に言えば、三日女(みかめ)=御亀(=お多福=ウズメ=瀬織津媛)が加夜奈留美ということでしたね。

お亀は新築の上棟式の時の御幣にも付けられますから、火防の意味を持つ水神でもあるのです。


そして、吉備の加夜臣奈留美(三日女神=御亀神)とは、吉備の中山にある滝祭神社の祭神である瀬織津媛(=御亀)を吉備氏が人格化させて登場させた架空の人物であるとの見解となります。そのあたりを少し復習です。

栢森の方の加夜奈留美命は系譜の上では大国主(猿田彦大神)の子とされますから、事代主神(猿田彦大神)とは兄妹の関係に位置付けられます。この時点で既に陰陽であることが分かりますよね。

で、吉備の加夜臣奈留美は吉備津彦の五代孫とされ、吉備津彦が吉備の中山(ナーガ山=蛇山)にかつて建てた「茅葺宮(かやぶきのみや)」跡に神社を建て、吉備津彦を祀ったとされる方であり、これが備中一宮・吉備津神社の創始となります。

しかし、この加夜臣奈留美は史書に登場しない方で、謎の人物とされます。そのことは、前記したように瀬織津媛を背負った架空の人物なので当然の話なのです。

しかし、ここで大事なのは、大和の石上神宮に出雲建雄神(=天叢雲剣荒魂=猿田彦大神)を祀って欲しいと神女(瀬織津媛の化身=布都御魂剣)が現れたのと同様に、架空の加夜臣奈留美(滝祭神社の瀬織津媛)が吉備津神社を創始させた話となっていることです。

つまり、女神はそこに社を建てたかったわけですね。何故なら、そこに祀られるべき猿田彦大神がいたからです!勿論、これは陰陽二神を信仰する者達の心情を推察した話ではありますけど…。

吉備津彦は本当に四道将軍の一人として鬼の温羅(うら)を退治したのでしょうか?吉備津彦は281歳で亡くなっています。これも「二八」、陰陽和合して一に帰すと読めますから、創作された架空の方のように思えます。

以前、記したように吉備津彦による温羅退治は神武東征の話と同様、吉備津彦のクンダリーニ昇華を描いた物語です。温羅はクンダリーニの荒ぶる部分(エネルギー)として描写されています。

つまり、鬼(御丹)とはエネルギーですから、吉備津彦の中に温羅がいたということです。実際の戦いの場面はあったと思いますが、それをエネルギーの話と懸けて表現しているのですね。

なので、吉備津彦が実際に朝廷側の人物であったとするならば、温羅は猿田彦大神ということになります。実際、温羅の首が埋められているのはこの吉備津神社であり、そこに鳴釜神事があります。

温羅の頭(こうべ=神戸=サハスラーラチャクラ)は床下八尺(シャクティを開く)に埋められています。そして、釜鳴りは金鶏と同じくミロクの世を告げるサイレンでもあります。

なので、加夜臣奈留美(瀬織津媛)にとっての主祭神は鬼の温羅(猿田彦大神)ということになります。また、その温羅とは天日矛(=猿田彦大神)であると自分は思います。

吉備津彦と吉備が付くからややこしいのですね。吉備にいた土着の豪族と吉備津彦(彦五十狭芹彦命)は本来敵対する関係なのですから…。

こうした話はエネルギーの話ですから、人格神を想像していると、訳が分からなくなりますよ(笑)。陰陽二神とクンダリーニの話です。そこに実際の歴史がちょこんと乗っているイメージ。

で、これは私的推理となりますが、以前の解釈にプラスをすると、この「茅葺(かやぶき)宮」とは「伽耶武器(かやぶき)宮」とか「栢(かや=クンダリーニ)噴き宮(かやぶきぐう)」であって、石上神宮が武器庫であったと同様、そこは吉備津彦の宮殿跡などではなくて、温羅(猿田彦大神=天日矛)を祀る神殿であると同時に軍事的施設があったか、或いは、エネルギー(気)の仕掛けが施された祭祀場所であったのではないかと想像します。

それは、吉備の金属精錬集団(タタラ)の神、鬼の温羅(うら)に関係し、温羅は製鉄技術の高かった伽耶からの渡来人達が持ち込んだ神ではなかったのかと想像します。鬼(温羅)に金棒ですからね。

タタラは武器になる製鉄と錬金術(クンダリーニヨガ)との二面性を持ちます。それは、金属としての金棒と背骨の黄金のクンダリーニを表す金棒の二義を言います。

武器ということでは、朝廷の武器庫であった石上神宮と茅葺宮は「武器」というキーワードにおいて、関連性があるのではないかという話ですが、「真金ふく吉備の中山」と言われるように、吉備の中山は金属製錬に関係があり、また、山自体が風水的な気場とされていたと考えます。

崇神天皇の時代、敗者の吉備氏からその茅葺宮(伽耶の武器庫)にあった武器や金属類を吉備とは同族(クズ)がいた大和へ移送したのではないかと考えます。

石上神宮の創建は崇神七年、布都御魂剣(瀬織津媛)を祀ったことに始まります。吉備津彦が温羅を討つ為に派遣されたのは崇神十年ですが、こうした年代は当てにはなりません。

しかし、四道将軍の派遣を信じるならば、各地からの戦利品である武器類は大量にあったはずで、石上神宮の武器類を葛野に移送した時には延べ十五万七千人の人員を要したと記録にあります。

で、「栢噴き宮=茅葺宮」とするならば、石上神宮には天日矛(=温羅)の八種玉津宝という神宝も納められていたと記録されています。八種玉津宝とはニギハヤヒの十種神宝に対応する似たような神宝です。八とか十はチャクラと考えれば話が早いですけどね。

史書上では十種神宝の方が歴史が古いのですが、自分は八種玉津宝(やくさのたまつたから)がベースだと考えます。これも「二八」の「八」です。

二を意味する陰陽は剣に依り憑く神霊ですが、天叢雲剣(猿田彦大神)は熱田神宮ですから、その代わりに出雲建雄神(天叢雲剣荒魂=猿田彦大神)や猿田彦大神、手力男神(=猿田彦大神)が石上神宮には祀られています。

石上神宮は当初、「布都努斯(ふつぬし)神社」と呼ばれていました。布都努斯とは香取神宮の経津主(ふつぬし)神のことですよね。タケミカヅチを祀る鹿島神宮との陰陽では陰にあたる神社です。

その鹿島神宮には石上神宮と同じ名の布都御魂剣があります。すると、布都御魂剣とは経津主神ということになりますが、ややこしいので追いません(笑)。

ただ、鹿島神宮と香取神宮は川を挟んで建つ陰陽(七夕)であり、香取(かとり)は蚊取り=蚊帳(かや=伽耶)と読めますよね(笑)。

また、両社には要石があり、鹿島神宮の要石は日本を取り巻く竜(鯰=ウロボロスの蛇)の頭、香取神宮の要石は尾で地震が起こらないように押さえつけていると言われます。頭と尾は「とうび=とび・とみ=クンダリーニ」です!

日本を取り巻く大地のクンダリーニ(とび)はウロボロスの蛇でもありますから、それが、暴れたら破壊と覚醒が同時に起こると読めます。

石上神宮には人格神以外の神として、布都御魂剣に宿る主祭神の布都御魂大神、十種神宝に宿る布留御魂大神、天羽羽斬剣(十握剣)に宿る布都斯御魂大神が祀られますが、手力男がもたらした布都御魂剣とヤマタノオロチを斬った布都斯御魂剣は共に陰陽の陰である瀬織津媛の神霊が宿る剣であると自分は見ます。十種神宝は10チャクラですね。

十種神宝を八種玉津宝と見れば、石上神宮にも陰陽二神と八玉(八剣)、つまり、「二八」が祀られていることになります。神主の夢に現れて、出雲建雄神社を石上神宮に建てて欲しいとおねだりした神女は吉備の中山の加夜臣奈留美に相当し、それは瀬織津媛の化身なのです。

桃尾滝奥の日の谷竜王社には出雲から飛来した八大竜王(八剣)が祀られていますが、吉備中山の最高峰である竜王山にも八大竜王が祀られ、雨乞いの山でもあります。これらは、よく似たシチュエーションです。

古代出雲の範囲はよく分かりませんが、天叢雲剣と八剣は吉備中山から飛来したのではないかとも考えます。

真金ふく吉備中山は吉備津神社以前から磐座信仰のあったところです。元宮磐座とか天柱岩などといった磐座が多数あり太陽信仰のあった山なのです。温羅(天日矛=猿田彦大神)はそれに関わる神であったと思われます。

天日矛は半島の新羅から来たとされますが、天日矛とは兵主神であり、それは苗(ミャオ)族の神である青銅神の蚩尤(しゆう)のことでもあります。

なので、朝鮮ではなく、朝鮮半島経由で中国から来たということなります。蚩尤は神農や伏羲に繋がる角が生えた神です。伏羲は「二八」の八卦を感得した蛇身の神、ナーガであり、女カとペアであるクンダリーニ神です。神名が多数ありますから、陰陽で捉えないと混乱します。

天日矛とは同一神である都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)の「つぬ」とは「角=つの」であり、角があるのは鬼ですから、その角からも鬼の温羅に繋がります。また、温羅(うら)の「うら」には陰陽の意味がありましたよね。

その温羅の祀られている聖山の吉備中山(竜王山)が遠望できる竜王山という同じ山名の山が備中高松にあり、そこは桃尾滝に龍福寺を建立した義淵の弟子の玄ぼうの弟子である報恩大師が稲荷(荼枳尼天)を感得した八畳岩があり、この竜王山は以前、解説した最上稲荷の奥の院となっています。

報恩大師は吉備の千手寺を創建した方でもありましたよね。瀬織津媛を仏教に習合させた千手観音と北斗七星と荼枳尼天(稲荷)のセットです。

八畳岩も磐座であり、報恩大師はその太古の神の顕現を稲荷として感得したわけです。稲荷もクンダリーニ神です。備中のこうした山々は古代から同じ信仰のもとにあった山だと考えられます。それが、稲荷という神であることがまた引っ掛かります。秦氏が関わっているでしょう。蚩尤は秦氏の神ですからね…。

義淵も玄ぼうも空海も阿刀氏です。何れ記しますが、空海が石上(石成)神社を東寺に勧請したのは空海の祖神に関わる神社だからです。なので、報恩大師も阿刀氏であった可能性がありますよね。

阿刀(あと)氏は物部系ですが、石上神宮の布留氏は和邇氏系です。物部氏も和邇氏系と言えます。和邇氏は阿多隼人と関係しましたから、阿刀(あと)は阿多(あた)から出ているかも知れません。以前は安曇(あずみ・あど)氏の「あど=阿刀」とも推理しましたが…(笑)。

で、和邇氏は秦氏と同族ですから、秦氏で括ると話が早いのですが、氏族は自分にははっきり分からないです。

でも、コノハナサクヤ姫(瀬織津媛)は神吾田鹿葦津姫(かむあたかやつひめ)とか単に鹿葦津姫と呼ばれ、阿多(吾田)隼人の女神です。ここに鹿葦(かや=伽耶・加夜?)が入るのも偶然ではないと思います!加夜津姫(=瀬織津媛)=コノハナサクヤ姫ですからね…。

和邇(わに)氏は赤土を神聖視するということを以前記しました。和邇(わに)の「に」は「丹(赤土)=エネルギー」で、それを和するのですから、和邇とは陰陽和合とも読めます。

和邇坐赤坂比古神社を以前検証しましたが、布都御魂剣(瀬織津媛)は吉備赤坂の石上布都魂神社から石上神宮に遷されました。この同じ「赤坂」は和邇(秦)氏と関係ありかも?ですね。

和邇(わに)は「鰐(わに)」や二八の逆読み(八二・わに)ですね。八二(はに)とすれば、埴(はに=赤土)で、埴安姫=瀬織津媛ですし…。また、阿多隼人が住んだ丹波は逆読みすると、波丹(はに=わに=和邇)となります。でもって、鬼の温羅の弟の名は王丹です。これも「わに・おに」と読めます。

さて、茅葺宮が温羅に関わるとして、温羅について少し記しておくと、吉備津彦に討たれた温羅の首は岡山市首部の白山神社に一旦埋められたあとに吉備津神社の御釜殿に葬られました。白山神社は、菊理媛(九頭竜=瀬織津媛)ですね。九頭(クズ)は葛(クズ)であり、明日香村栢森の加夜奈留美命神社にも葛神社があります。ただ、白山神社は温羅の時代には、まだ無かった筈なのですけとね…(笑)。

その温羅の首は、白山神社に祀られても唸ることを止めず、ある日、吉備津彦の夢に現れて、温羅の妻である阿曽郷の阿曽媛(あそめ・あそひめ)に神饌を炊かせて神事をすれば、吉凶を占うと告げました。これが、鳴釜神事の始まりだそうです。

温羅をエネルギーと見れば、陰陽の陽である火のエネルギーです。温羅の羅は男根、温は温めるですから、勃起と読めます。和合(中和)されないエネルギー(気)が地鳴りとなって、周囲に鳴り響いていたとも受け取れます。これを中和(和合)させる為に阿曽郷の阿曽媛が必要であったわけです。

阿曽は阿蘇で、「あそ」や「あさま」は火山の意です。火山を鎮めるお役は富士山のコノハナサクヤ姫ような水神ですから、阿曽(阿蘇)媛とは吉備中山の場合、滝祭神社の瀬織津媛(加夜臣奈留美)ということかも知れません。瀬織津媛はコノハナサクヤ姫とも同一神ですけどね…。

総社市阿曽に阿宗(あそう)神社がありますが、現在の祭神は八幡系です。由緒は不明。阿曽は鋳物(タタラ)師の多く住んだところで製鉄遺跡があり、この阿宗神社では温羅供養の祭りをしています。タタラですから、製鉄と錬金術の両面を持っています。

阿曽の「阿」は「くま」とも読みます。

なので、阿曽(あそ・くまそ)は熊襲(くまそ)でもありますが、阿=くま=熊(くま・ゆ)は湯(ゆ)であり、湯はクンダリーニの意味がありますから、阿曽を阿蘇とすれば「クンダリーニで蘇る」と読めます。

つまり、それは死と再生を意味し、人体におけるクンダリーニシステムは、発動から昇華(噴火)までその一連の経過が噴石を飛ばすこと以外は火山と同じであることは以前記しました。火山も新たな溶岩を噴出させることにより山が蘇るのです。

で、阿曽の「曽」は「古」の意がありますから「古=ふる=布留」に通じます。総社市には古郡(ふるこおり)神社という神社もあります。

阿(熊=クンダリーニ)が古(曽=布留)とは、クンダリーニが布留部由良由良ということで、ニギハヤヒに繋がります。この「古=布留」と石上神宮の布留氏も関係ありそうです。

また、「阿=くま=熊」ですから、阿曽(くまそ)=「熊會・熊襲」です。すると、温羅(猿田彦大神)の妻である阿曽媛は熊會、つまり隼人の女ということがここに読み取れます。そして、隼人=和邇(鰐)氏ですね。

鰐(和邇氏)=事代主神(猿田彦大神)であり、加夜奈留美と事代主神は兄妹の関係です。その事代主神は「とみ・とび」の登美毘古(長髄彦)の父とも言われます。

で、隼人の女神はコノハナサクヤ姫です。コノハナサクヤ姫は吉備や大和の加夜奈留美(カヤナルミ)の「カヤ(栢・伽耶・茅)」に繋がる鹿葦津(カヤツ)姫という名でもあるわけですから、古代、吉備(秦氏)と隼人(和邇氏=秦氏)と大和は繋がっていたのではないかと思います。

カヤツ姫(コノハナサクヤ姫)=瀬織津媛(加夜奈留美=飛鳥坐神奈備三日女神=お多福)です。

加夜臣(おみ)奈留美と加夜(かや)で一旦切れますから、共に「カヤの姫」なのです。すると、臨済宗の栄西を輩出した吉備の賀陽(かや)氏は隼人かも知れませんね。

隼人は海幸彦の神裔ですから、「なるみ」は海関係で言えば、鳴海や成海と変換できます。エネルギーでの海は気海丹田ですから、栢(かや=クンダリーニ)が丹田で鳴る(鳴海)のは、「槽(うけ)踏み轟こす」ウズメ(オカメ=瀬織津媛)のストリップの場面がそれの表現となります。ウズメ=瀬織津媛=コノハナサクヤ姫です。

で、阿曽媛の「曽」は「古」ですから、阿曽=阿古となりますね。

阿古(あこ)!

阿古にもクンダリーニの意味がありました。その阿古は「あご」でもありますから、それは、飛魚の別名である「アゴ」なのです。飛魚のジャンプはヘルメスの杖のごとき軌跡を残しましたよね。飛魚は「とび・とみ」の「とび(飛)」であり、それは鵄(とび)であって、鵄もクンダリーニを暗喩しますから、「アゴ」は、両面からクンダリーニを意味する言葉であることが分かります。

阿古は伏見稲荷の命婦である白狐が「阿古町」という名で、鹿の首を持つ狐でした。この鹿首という狐の特徴は、鹿葦津姫(かやつひめ=コノハナサクヤ姫)の名前の「鹿」に通じる話です。鹿や葦は瀬織津媛のシンボルでもあります。鹿の角は七支刀。伏見稲荷は秦氏の神です。

白狐の阿古町の阿古はクンダリーニ、「町」は長さの単位でもあり、1町は360尺、距離では109.09091 mです。

36(ミロク)尺(シャクティ)999(陽気マックス)って何なの?…って感じです。

1000も入ってますけどね(笑)。

温羅の妻の阿曽媛に稲荷も関係してきました。その温羅が討伐された吉備の稚武彦からの別れである下道氏を出自とする吉備真備の帰国にあたり同船した金毛九尾狐の話は、実際は創作ではありますけど、吉備と狐(荼枳尼天)というキーワードは重要です。千手寺や最上稲荷などの稲荷(荼枳尼天)も関係しているでしょう。稲荷は秦氏系の神ですよ。

で、サクヤ姫は富士山のカグヤ姫でもありました。富士山本宮浅間大社社家の富士氏は和邇氏です。和邇氏=秦氏も有りだと思います。富士山周辺には徐福伝説が残されています。その富士山の神使は猿(猿田彦大神)でしたね。古い御札に見える両隅に立っている存在が猿です。

この「富士山」の文字が、自分にはデフォルメされた仙骨に見えます。尾骨が山という字の真ん中の棒です。両サイドは鵜か蛇で陰陽のエネルギーですね。それを外したカタチをイメージして、仙骨と比べて見て下さいませ。

この陰陽が鵜ならば、それは隼人に繋がります。



この首をニョッキと出した存在は陰陽を表しますが、これが鵜(う)であれば、何故、隼人かと言うと、神武東征において、大和吉野で神武が出会った国津神の贄持之子(にえもちのこ)が吾陀(あた)の鵜飼の祖と名乗っていますから、鵜飼は吾多隼人の特技なのです。

「アタ」は阿多・吾多・阿陀などで表記されます。

隼人は妻が鰐に化身して出産をした豊玉姫のお相手、ヒコホホデミ(山幸彦)のお兄様の海幸彦が祖神です。その母親がコノハナサクヤ姫です。

海幸彦は釣り師ですから、クンダリーニヨギですね。記紀で、悪役は実はその逆と見た方がよいわけですが…。東大寺へのお水送りの由緒で、山幸彦は漁に出ていたとか、鵜に変身したとかあります。

鯉に変身した温羅は鵜に変身した吉備津彦に打ち負かされます。もっとも、朝廷の派遣した吉備津彦には名前貸ししただけで、これはクンダリーニ昇華の話なのですけどね…。

「アタ」とは鵜のことだともされ、隼人は鵜を神聖視しましたから、その名前を取ったのかも知れません。鳥の鵜や鵜飼もエネルギーを象徴していますが、それはまたいずれ記します。

鵜飼は朝鮮にはありませんから、日本に直に伝わったとされます。鵜飼はミャオ族の文化でもありますから、青銅神の蚩尤(天日矛=猿田彦大神)にも繋がる話です。

「鵜(う)」を自分的に解釈すると、「鵜」は弟の鳥ですから、「弟=おと=乙」で鳥は酉、つまり、「乙酉」ということだと思います。「乙」は瀬織津媛を表すキーワードでしたよね。

乙酉(きのととり)は干支では22番目!

カバラですね。二二(ふし・ふじ・ふに)は「不死・富士山・藤・伏」などですから、富士山本宮浅間大社の富士氏(和邇氏=隼人)に繋がります。また、藤はクンダリーニのメタファー、「伏」は隼人が犬の声を真似ます。なので、隼人は犬人(伏)と言えます。

また、山伏や伏見稲荷の「伏」です。山伏(修験道)の祖である役行者は役小角(えんのおづぬ)で、それは、仙骨の小さな二本の角にちなむ名前かも知れません。

役行者は伊豆に流された時、毎夜、富士山に飛行して修行しました。役行者は加茂(鴨)氏ですが、鴨は富士山の語源とも言われる毒のあるブシ=トリカブトや猿田彦大神のかぶる鳥甲(トリカブト)の逆転した漢字(鳥甲⇔鴨)が鴨です。

鴨(賀茂)氏も秦氏とは同族だと自分は考えます。

で、乙酉(鵜)は陰陽五行説においては、十干の乙は「陰の木(木の弟)」、十二支の酉は陰の金となります。「陰の気(木)、陰の金」を統合して見ると、乙酉は陰陽における陰の金気(クンダリーニ)と読めます。

つまり、鵜(う)という鳥の示すものは陰のクンダリーニ(瀬織津媛)ということなのですよ。イダー管ですね。

そして、鵜は二二鳥(ふしちょう)=「不死鳥・フェニックス」です。不死鳥は蘇りの鳥ですから、いずれ火の中から瀬織津媛は復活します!

1992年の湾岸戦争での油まみれの海鵜の写真が記憶に残りますが、象徴的な写真だと思います。しかし、鵜(瀬織津媛)は復活するのです。


そして、この乙酉の一つ前に位置する干支の21(3×7)番目は甲申(きのえさる)なのですね。

甲申は陰陽五行では、十干の甲は陽の木(気)、十二支の申は陽の金ですから、陽のクンダリーニ(ピンガラ管)ということになります。

なので、先程の富士山の御札にある絵は鵜(乙酉=瀬織津媛=コノハナサクヤ姫=加夜奈留美=阿曽媛)と猿(甲申=猿田彦大神=天日矛=温羅)の陰陽のクンダリーニということだと思います。21(猿=陽)、22(鵜=陰)であり、甲乙の陰陽です。

阿陀(阿多)が鵜を表すのであれば、阿陀隼人は乙酉(二二)隼人ということですね。

海幸彦(隼人)は国津神(クズ神)であり、縄文時代に渡ってきたミャオ族の可能性があります。

吉備真備と阿倍仲麻呂を祖とする陰陽道は阿倍氏と賀茂氏が二本柱です。賀茂氏=秦氏ですから、クズ系は隼人で、ミャオ族ということかも知れません。

因みにですが、鴨を鳥甲とせず、そのまま甲鳥(甲酉)とすると、新潟の十日町市に「甲酉」という地名があります。十日町市甲酉の郵便番号は〒948-0000、櫛(94
)を開き(8)無=悟り(0)となると読めます。櫛(94=13)はクンダリーニを表しましたね。

十日町は「とおかまち」と読み、十は完成を意味します。アナグラムで解くと「おとがまち=乙ヶ町」。

乙は瀬織津媛、「町」は先程のミロク、シャクティ、999・1000です。十日町市の犬伏・松苧山に松苧神社という神社があります。松苧山=360m(ミロク)。

犬伏は隼人関連の犬と伏ですね。松苧は「まつお=松尾」で秦氏の松尾大社に通じます。「苧」とは麻のことです。麻(あさ)は「朝(あさ)」や浅間山(富士山)の「浅(あさ)」に繋がります。

また、苧は「お」「ちょ」「からんし」「からむし」と読みます。

松は日本における世界樹(生命樹)であり、その姿は龍ですね。「お」は「尾」で、その龍(大蛇)であるヤマタノオロチの尾は天叢雲剣で猿田彦大神を表します。松尾大社の祭神である大山咋は猿田彦大神とは同神です。

で、苧の読みである「からんし」「からむし」をアナグラムで解くと、「からんし→しらかん=白神」「からむし→しらかむ=白神」となります。

麻(苧)は白日神・新羅神である猿田彦大神(天日矛=蚩尤)と読めるのです。

三輪山の大物主神(=猿田彦大神)は活玉依姫が大物主神の衣の裾に麻糸を針に通してつけ、翌朝、それを追うと三輪山に行き着き、正体がバレました。残された麻(苧)糸が三回(三巻き)であったところから三輪山と呼ばれます。

麻(苧)は「苧=からむし→しらかむ=白神」の猿田彦大神です。糸はクンダリーニ=玉之緒(たまのお)。針は仙骨を横から見ると釣り針に見えましたよね。

仙骨からのびるクンダリーニ、それが三輪山の白蛇である大物主神(猿田彦大神)です。鰐(わに=クンビーラ)である金刀比羅宮と三輪山は一体と言われ、金刀比羅宮の神は大物主神とされます。鰐は事代主神ですから、こうした神は猿田彦大神に集約されるのです。

松苧=松尾と変換できる松尾大社の大山咋神も猿田彦大神です。

以前、記しましたが、大山咋神の御神体は「鋤(すき)」とされることもあります。鋤は金(クンダリーニ)を助ける道具で、牛(仙骨)に繋がれます。一方、瀬織津媛を表す「すき」は「漉」でしょうか。水と鹿ですからね。紙漉は神漉ですね。紙漉きの動作もクンダリーニの動きです。

で、「三巻の麻糸=三輪」で思い付いたのが、崇神天皇に関してのことです。

崇神天皇の皇女である倭姫、豊鍬入姫といった名前は、倭姫(やまとひめ)が「矢的(陰陽和合)秘め」、豊鍬入姫を「豊=(豊受大神=瀬織津媛)鍬(すき=大山咋神=大物主神)入り秘め」と解釈しましたが、崇神天皇の別名に御真木入日子印恵(みまきいりひこいにえ)命があります。

この「みまき」は「三巻=大物主神=クンダリーニ」であって、それは「大物主神(猿田彦大神・クンダリーニ)が入った太陽神の子が恵みをしるす」とも読めるのです。簡単に言うと、天照大神の子孫ということですが、この場合の天照大神は三巻(三輪山)の大物主神(猿田彦大神)ということになってしまいます。

すると、温羅(猿田彦大神=大物主神=天日矛)の討伐の為に四道将軍の一人、彦五十狭芹彦命(吉備津彦)を送ったのは崇神天皇ですから、話が混乱します。因みに崇神天皇の子に彦五十狭茅命という方がいます。「芹彦」と「茅」の違いですが、似た名前ですよね。しかも「茅=かや=栢=伽耶etc」って…。

崇神天皇には系譜上、神武の妻が大物主神の子であるホトタタライススキ姫ですから、大物主神が入っていますけどね。本来の天照大神である倭大国魂神(猿田彦大神=大物主神)と架空の女神の天照大神を宮中から出したのは崇神天皇です。

女神の天照大神を創作したのは民族的な懐柔策だとは思いますが、今一ピンときません。

このまま追うと、話が益々逸れるのでここまでにしておきますが、十日町市とか崇神天皇とか…いろいろとありそうですね。

さて、話を戻すと、阿古は阿古陀瓜の阿古でもあり、それは、粟田神社の阿古陀鉾(あこだほこ)の阿古でしたよね。「れいけん神事」という神事がありました。また、阿古陀鉾は北斗七星(辰狐)に関係していました。

阿古陀の「陀」は「坂」の意味がありますから、「さか=シャクティ」で、阿古も陀もクンダリーニを意味します。その鉾(矛)とは背骨の比喩ですから、阿古陀鉾はクンダリーニが背骨に上昇することを意味します。また、矛は天日矛(猿田彦大神)の鉾(矛)でもあります。

その粟田神社は八坂神社にリンクする神社で、祭祀場所である瓜生石は牛頭天王(スサノオ)が顕現した場所です。牛頭天王は金毛九尾狐同様、吉備真備が招来した神です。吉備真備(秦氏?賀茂?)は日本の思想・信仰に深い根を張られた方なのですね。彼もまたセオリストです!

で、吉備で討伐された温羅の妻の名前である阿曽(阿古)が「白狐と牛頭天王」に繋がっているわけです。阿曽媛とは、コノハナサクヤ姫(瀬織津媛)のことでしょう。

牛(鬼)の顔に似る仙骨は、それを頭に冠した牛頭天王であり、その牛頭天王も温羅なのです。十三年間、牛の声で唸り続けた温羅の首とは牛頭(仙骨)なのですね。

で、阿古陀鉾は辰狐である北斗七星に関係していましたから、阿古陀鉾の鉾(矛)を日矛とすると、それは阿古(瀬織津媛)と天日矛(猿田彦大神)の陰陽を意味し、それが、五行を生み出す北斗七星ということになります。こうした、陰陽道の祖が吉備真備と言われます。

阿古陀鉾の言葉のイメージとして、クンダリーニが流れる滝(背骨)と同一視してみれば分かりやすいです。北斗七星の柄杓からの水流が滝です。

阿古については、考察したことがまだまだありますが、今は長くなるので改めて記すことにします。

で、この阿曽媛が陰陽和合の陰(いん)の役目を果たすわけですが、以前、何度か解釈した前方後円墳から出土した特殊器台形土器が鳴釜神事に関係するのではないかという説があります。特殊器台もまたクンダリーニのメタファーでしたよね。そして、前方後円墳は北斗七星のメタファーです。火星にも前方後円墳がありました(笑)。

さすれば、温羅の首が埋められた地下八尺の解釈である尺(シャクティ)を八(開く)の意味を鳴釜神事は益々意味することとなります。

総社市奥坂96の阿宗神社は東経133°77698にあり、電話は086-699-9072です。

96・69(陰陽)・33(瀬織津媛)・77(七夕・陰陽)・999(陽気マックス)とこちらも神業ナンバーが揃ってますね(笑)。

更に言えば、奥坂の奥は「くま」とも読みます。「阿」も「くま」と読みましたよね。そして、「陀」には「坂」の意味がありました。つまり、奥坂は阿陀隼人の「阿陀(あた)」なのです!阿陀を改編して奥坂としたのではないか?と勘繰ります。

温羅の妻の阿曽媛とはやはり、コノハナサクヤ姫なのでしょう。コノハナサクヤ姫の旦那は富士山で分かるようにエネルギー視点からは猿田彦大神です。

史書上では天孫降臨したニニギ尊がコノハナサクヤ姫の夫で、天降ったニニギ尊を案内したのが猿田彦大神ということになっています。ニニギ尊も猿田彦大神を背負うのか、この辺りで、差し替えがあるのかは分かりませんが、ちょっと煙たいですね。

で、総社市には大和栢森に祀られる加夜奈留美命に繋がる姫社(ひめこそ)神社があります。祭神はヒメコソ神。神社の鳥居には「秦郷鉄造之発祥之地」と下道郡秦原郷のこの地で秦氏が製鉄を始めたことが記されているそうです。

以前、大和の加夜奈留美は下照姫と同神ということで、難波の比売許曽(ひめこそ)神社へと飛びました。そこでは、下照姫は牛頭天王の妻神である頗梨采女とも習合されている気配がありました。

また、ヒメコソ神とは父のいる国へ帰ると言って日本にやって来た阿加留比売(あかるひめ=下照姫=加夜奈留美=瀬織津媛)であり、阿加留比売を新羅から追って渡来したのが天日矛です。

天日矛とは猿田彦大神であり、牛頭天王であり、スサノオ、蚩尤etcであるクンダリーニ神です。前述したように、石上神宮には天日矛の八種玉津宝が収められました。その天日矛や阿加留比売は秦氏の祀る神なのです。

ヒメコソ神(阿加留比売)=加夜奈留美であるならば、大和の加夜奈留命神社や飛鳥坐神社の祭神である加夜奈留美が吉備の秦氏の居住地にも祀られていたことになり、また、明日香村の男淵・女淵も畑(波多=秦)にありましたから話は「秦」で繋がります。

ならば、温羅とは兵主神である天之日矛(猿田彦大神)なのです!

石上神宮に運ばれた武器は天日矛を神とする秦氏やその同族の氏族の武器庫である伽耶武器宮(茅葺宮)からの略奪品であった可能性もあります。

天日矛は新羅からの渡来とされますが、同神の都怒我阿羅斯等は大加羅(伽耶)から来ました。猿田彦大神の「白(しら)」は新羅(しらぎ)との関連を感じさせます…。ただ、同じ秦氏でも時代時代で流入しています。徐福系とか弓月君系とかありますからね。

猿田彦大神の場合は八頭八尾のヤマタノオロチの八頭(やつがしら)=伽耶津白(かやつしら)からですかね?

また、これらはスサノオや牛頭天王の半島からの渡来という話ともかぶります。

吉備中山(竜王山)にも布留山(桃尾山)にも八大竜王が祀られていますから、先程も記しましたが、天理市長滝町日の谷の竜王社の八つ岩はこの吉備中山からの飛来伝説という線もあるのではないかと思います。

石上神宮の元宮は石上(石成)神社であり、元々はクズが水神(瀬織津媛)を祀っていた土地です。それは、吉備と同族の人達(隼人?)ではなかったかと思います。武器の移送と同時に吉備で帰順した人達が当地へ移住したのかも知れません。

その場合、山に武器庫は造れませんから、彼等にとって同じ信仰対象である瀬織津媛を石上神宮(武器庫)に祀るという懐柔策で神を平地に勧請し、そこへ武器庫を建てたのかも知れません。

茅葺(かやぶき)宮の「ぶき」は鉄の武器の意味だけではなく、エネルギー(栢)が「噴く」という意味での「噴き(ぶき)」も有ると自分は考えているのですけどね。

長くなりました。

次回も天日矛(=温羅)の話をもう少し続ける予定ですが、気の向くまま…かな?


(続く)